Skip to main content
2025年6月15日20時35分更新
クリスチャントゥデイ
メールマガジン サポーターのご案内
メールマガジン サポーターのご案内
Facebook Twitter
  • トップ
  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
  • 記事一覧
  1. ホーム
  2. 論説・コラム
  3. コラム
不条理なる死を不可知の光で中和せよ

生ける者と死ねる者への裁き(その3・最終回)―生死を決めるのは神―

2022年10月27日12時00分 コラムニスト : 藤崎裕之
  • ツイート
印刷
関連タグ:マルコによる福音書藤崎裕之
生ける者と死ねる者への裁き(その3・最終回)―生死を決めるのは神―+

不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(32)

※ 前回「生ける者と死ねる者への裁き(その2)」から続く。

予定は未定だ

下げたくない頭も、折りたくない膝も、尽くしたくない手も、結果としてイエスにひれ伏すなら、それもありだというのが、聖書の教えるところであろう。人間はいくらでも「ふり」をすることはできる。それが本物かどうか、分かるといえば、分かるのであろうし、それが「ふり」であっても喜ぶ人はいる。

イエスはどうだろうか。人間が自分にひれ伏すことを喜ぶだろうか。そもそもひれ伏しを望んでいるふうでもないのだが。少なくとも求めているという感じはしない。

悪霊に取り憑(つ)かれたゲラサの男性、瀕死の娘がいたヤイロ、12年間病気に苦しんだ女性、この3人もまた、気が付けば膝を突いていたということであろう。前回に述べたように、自分ではどうにもならない状況の故にイエスの前に倒れ込んでいた、それがひれ伏しであったというのが本当のところではないか。

われわれ人間には、しばしばこういうことがあるのだ。礼儀うんぬんということではない。神の子イエス・キリストと出会う人間の一面なのだ。ひれ伏すという行為を、屈辱的だとか、あるいは、そこには何かしらの支配構造が隠されているとか、そういう見方はふさわしくないのだ。ひれ伏せる喜びもあると、某神父さんが言っていたのを思いだす。

イエスも、膝を折って自分の前にひれ伏す人に対して冷静ではなかったのかもしれない。少なくともイエスは足を止める。そしてイエスは、足を止めて何かをするにしても、何かを言うにしても、その瞬間はもともとどこに向かう「予定」であったことを忘れてしまっているように見える。

イエスは、急いでいるはずだが、急ぐことを目的にはしていない。その途上で足を止め、その時、その場所、その人に必要なことをなされるのだ。

ガリラヤ湖の東岸に行ったときも、その目的は悪霊に取り憑かれた人の救出だったわけでもなかろう。その先を目指していたはずなのに、彼を助けたら、180度回れ右してガリラヤに帰ってしまった。まるで使命は果たされたかのように、元の場所に帰るのだ。これもまた神の不思議というべきか。

眠っているだけさ

そうこうしているうちに、ヤイロの娘が死んだと知らせが届いた。出血病に悩まされていた女性の相手をしているうちに、死んでしまったということではない。それくらいの寄り道をしたから、少女が死んだと読み取ってはならない。そうではないのだ。

イエスが少女を助けるためにヤイロの家に向かっていたのに、命が尽きてしまったのだ。ヤイロの努力も報われなかったということである。努力のかいなくだ。これもまた、人間の世界ではしばしばあり得ることだ。精いっぱいの手立てを尽くそうとしたし、尽くしたのだけれども、どうにもならなかったのだ。ヤイロは会堂司(つかさ)であり、身分も名声もある人物だったのであろう。そういう人物であったとしても、やはり不幸は訪れるのだ。

ヤイロの家から来た人々は、「もう、先生を煩わすことはないでしょう」と言う。イエスに引き返せと言うのか。もう出番はないということか。しかし、イエスは足を止めない。そして、ヤイロに言う。「恐れることはない。ただ信じなさい」

これもまた、むちゃくちゃな言葉だ。ヤイロは「まさか娘を生き返らせるということか」と考えてしまうだろう。しかし、イエスは生き返らせるとは言わない。イエスは「子供は死んだのではない。眠っているのだ」と言う。

これは慰めの言葉ではない。肉体を去って、天において平安の眠りに就いたのだと言っているわけでもない。イエスは少女の死を認めないのだ。死ぬことを許さないのだ。たとえ生物学的には、死んでいるようにしか思えない状況であったとしても、イエスは少女の死の知らせを受け入れないのだ。死んではいない、眠っているのだと。

言いたいことは言った方がいいのだが

父であるヤイロが、娘の死を受け入れず、眠っているだけだと信じたい、そう願いたい、というのなら分かる。しかし、イエスはまるでヤイロの心を代弁するがごとく、「子供は死んだのではない。眠っているのだ」と宣言するのである。

そう、ヤイロは言えないのだ。言いたくても言えないのではないか。人間は生きもすれば、死にもする。それが道理だ。それを認めてこその大人である。でも、道理がなんだ。物分かりの良さが人生を救うのか。わが身に起こった不幸もまた神のなさることだと、素直に受け入れることが、人間のあるべき姿なのか。断じて違うのである。物分かりの良い、分別のある態度を求められる立場であったとしても、否は否である。

「わが子は死んでない。眠っているだけだ」と、そう口にすることをなぜ躊躇(ちゅうちょ)しなければならないのか。そんな道理があるものか、死を受け入れるというのは、簡単ではないのだ。イエスは足を止めない。なお、イエスはヤイロの家に向かっていく。

生を求める

生きているのか、死んでいるのか。それは、誰が決めるのか。医者か、科学か、常識か。あるいは現代社会の得意な定義というものか。私にはさっぱり分からない。24時間を経過してなお呼吸なく、脈拍なく、反応なくということか。確か、それが火葬の条件だったと思う。

生きているのか、死んでいるのか。それは、家族が決めるのか、周りが決めるのか。「眠っているだけだ」と思わずにはいられない、そういう悲しむ人々に諦めて死を受け入れるよう諭すのも、ある面で愛のある行為であることは知っている。また、それを口にするのは勇気が必要だ。

生きているのか、死んでいるのか、誰かが決めないといけないのは承知の上で、なお言い得ることがあるならば、いや、あるから大胆に述べよう。生ける者も死ねる者も結局、最終的には神が決めるのだ。

つまり、人間がなし得る死の宣告もまた仮置きに過ぎない。葬儀も埋葬もまた仮のものだ。終わりの前のちょっとした息抜きに過ぎないのだ。それは実につつましいものだ。やがて本当の意味で、生きているのか、死んでいるのかを神が決めるのだ。

死んではいない、眠っているだけだ。
死んではいない、肉体を失っただけだ。
死んではいない、陰府(よみ)にいるだけだ。

恐らく、われわれ人間に言い得ることは、このようなことに過ぎない。

イエスが死んでいないと言うなら、死んでいないのだ。確かにそれはむちゃくちゃな論理だ。そんなことを何にでも適応していたら、大変なことになる。

われわれに言えることがあるとすれば、たとえ肉体が停止しても、まだ終わりではないということだ。火葬され、埋葬され、肉体のほとんどを失ってしまっても、その気になればイエスには、この世においてさえ肉体の停止を終わらせ、その体に起きて歩けと命令もし、実際にその人は歩きもする。そういうことを、マルコ5章はわれわれに知らせているのだ。

イエスの裁きとは、そういうものなのだ。「はい、天国行き」「はい、地獄行き」という単純なものではない。むしろ、イエスはその時々において生死を自在に操るのだ。公式はない。気まぐれかもしれない。神であるので気まぐれもまた良しだ。

ただ、われわれ人間の側から言えることがあるとしたら、いずれ誰もが本当の意味で生きているのか、死んでいるのか、イエス・キリストによってはっきりさせられる時が来るということだ。その時、誰がどうなるのか、それはわれわれ人間が決めることではない。その時が来るということを自覚し、祈り続けるしかない。

イエスが死んだと言わない限り、その人は死んでいないことだけは事実なのだ。生を求める者は、徹底的に生を求めるのが正解だ。たとえ肉体が終わりを迎えても、それは恐らく一時の眠りに過ぎないのだから。(終わり)

<<前回へ     次回へ>>

◇

藤崎裕之

藤崎裕之

(ふじさき・ひろゆき)

1962年高知市生まれ。明治から続くクリスチャン家庭に育つ。88年同志社大学大学院神学研究科卒業。旧約聖書神学専攻。同年、日本基督教団の教師となる。現在、日本基督教団隠退教師、函館ハリストス正教会信徒。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
関連タグ:マルコによる福音書藤崎裕之
  • ツイート

関連記事

  • 生ける者と死ねる者への裁き(その1)―ヤイロの娘を巡って―

  • おこぼれは大事だ(その1)

  • そりゃないでしょう的なバベル譚(その1)

  • 福音は力である?(その1)

  • 口数の多い死体? ヨブ記考察(その1)

クリスチャントゥデイからのお願い

皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間30~40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、月額1000円からのサポーターを募集しています。お申し込みいただいた方には、もれなく全員に聖句をあしらったオリジナルエコバッグをプレゼントします。お支払いはクレジット決済で可能です。クレジットカード以外のお支払い方法、サポーターについての詳細はこちらをご覧ください。

サポーターになる・サポートする

人気記事ランキング

24時間 週間 月間
  • コヘレトの言葉(伝道者の書)を読む(5)時の賛歌 臼田宣弘

  • 米南部バプテスト連盟、同性婚、ポルノ、中絶薬の禁止を求める決議案を可決

  • 「みにくいアヒルの子」など数々の童話生み出したアンデルセン自伝 『わが生涯の物語』

  • 日本人に寄り添う福音宣教の扉(224)音楽が支える聖霊による祈り 広田信也

  • ワールドミッションレポート(6月14日):スイス 信仰で買ったトラクター、ローレン・カニングハムとYWAMに託された農場の奇跡

  • ワールドミッションレポート(6月15日):ベラルーシのために祈ろう

  • 花嫁(27)絶えず喜んでいなさい 星野ひかり

  • クリスチャンロックバンド「ニュースボーイズ」元ボーカルに性的暴行・薬物疑惑

  • ワールドミッションレポート(6月12日):ベルギーのために祈ろう

  • 戦時下でも福音は止まらない ウクライナの伝道者が欧州伝道会議で講演

  • 「ハーベスト・ジャパン2025」開催決定! “世界的な癒やしの器” ギエルモ・マルドナード牧師が来日

  • 【ペンテコステメッセージ】約束の成就と聖霊の力―ペンテコステの恵みにあずかる 田頭真一

  • クリスチャンロックバンド「ニュースボーイズ」元ボーカルに性的暴行・薬物疑惑

  • 『天国は、ほんとうにある』のコルトン君、臨死体験から22年後の今

  • 1990年代生まれのプログラマー、カトリック教会の聖人に

  • 「みにくいアヒルの子」など数々の童話生み出したアンデルセン自伝 『わが生涯の物語』

  • 大統領選の結果受け韓国の主要キリスト教団体が相次いで声明、和解と相互尊重を訴え

  • ウォルター・ブルッゲマン氏死去、92歳 現代米国を代表する旧約聖書学者

  • 戦時下でも福音は止まらない ウクライナの伝道者が欧州伝道会議で講演

  • 米南部バプテスト連盟、同性婚、ポルノ、中絶薬の禁止を求める決議案を可決

  • 「ハーベスト・ジャパン2025」開催決定! “世界的な癒やしの器” ギエルモ・マルドナード牧師が来日

  • 『天国は、ほんとうにある』のコルトン君、臨死体験から22年後の今

  • 1990年代生まれのプログラマー、カトリック教会の聖人に

  • 【ペンテコステメッセージ】約束の成就と聖霊の力―ペンテコステの恵みにあずかる 田頭真一

  • クリスチャンロックバンド「ニュースボーイズ」元ボーカルに性的暴行・薬物疑惑

  • 大統領選の結果受け韓国の主要キリスト教団体が相次いで声明、和解と相互尊重を訴え

  • フランクリン・グラハム氏、ゼレンスキー大統領と面会 和平求め祈り

  • 淀橋教会、峯野龍弘主管牧師が引退し元老牧師に 新主管牧師は金聖燮副牧師

  • 「みにくいアヒルの子」など数々の童話生み出したアンデルセン自伝 『わが生涯の物語』

  • 米南部バプテスト連盟、同性婚、ポルノ、中絶薬の禁止を求める決議案を可決

編集部のおすすめ

  • 四国の全教会の活性化と福音宣教の前進のために 「愛と希望の祭典・四国」プレ大会開催

  • イースターは「揺るぎない希望」 第62回首都圏イースターのつどい

  • 2026年に東京のスタジアムで伝道集会開催へ 「過去に見たことのないリバイバルを」

  • 「山田火砂子監督、さようなら」 教会でお別れの会、親交あった俳優らが思い出語る

  • 日本は性的人身取引が「野放し」 支援団体代表者らが院内集会で報告、法規制強化を要請

  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
Go to homepage

記事カテゴリ

  • 教会 (
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
    )
  • 宣教
  • 教育
  • 国際 (
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
    )
  • 社会 (
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
    )
  • 文化 (
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
    )
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム (
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
    )

会社案内

  • 会社概要
  • 代表挨拶
  • 基本信条
  • 報道理念
  • 信仰告白
  • 編集部
  • お問い合わせ
  • サポーター募集
  • 広告案内
  • 採用情報
  • 利用規約
  • 特定商取引表記
  • English

SNS他

  • 公式ブログ
  • メールマガジン
  • Facebook
  • X(旧Twitter)
  • Instagram
  • YouTube
  • RSS
Copyright © 2002-2025 Christian Today Co., Ltd. All Rights Reserved.