Skip to main content
2026年1月21日20時52分更新
クリスチャントゥデイ
メールマガジン サポーターのご案内
メールマガジン サポーターのご案内
Facebook Twitter
  • トップ
  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
  • 記事一覧
  1. ホーム
  2. 論説・コラム
  3. コラム
不条理なる死を不可知の光で中和せよ

生ける者と死ねる者への裁き(その1)―ヤイロの娘を巡って―

2022年9月22日15時24分 コラムニスト : 藤崎裕之
  • ツイート
印刷
関連タグ:マルコによる福音書藤崎裕之
不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(30)+

不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(30)

固着する悲惨

自分は本当に生きているのか、それとも死んでいるのか。模範的な回答をするとしたら、人間誰しもが、キリストの再臨の時にこそ、その人の「生き死に」がはっきりするということなのかもしれない。キリストの再臨、最後の審判については、筆者の大いなる誤解があり得るので省略する。今まであまり考えてこなかったし、これからも考えたくはない。要するに裁きが怖い。

筆者にとって関心があるのは「信仰者の生き腐れ」なのだ。このように書くと不遜ではあるが、大抵の人は身に覚えがあるだろう。そう、「信仰」ではなく「信仰者」はしばしば生き腐れるのである。最後の審判にたどり着く前に「熟成」を通り越してしまうというわけである。煮詰まるということだ。

相対的な論じ方をすれば、神が固定されれば人が動く、人が固定されれば神が動く、ということである。なかなかお互いに相対するのは難しいのだ。つまり、神が確固たるものとして不動であればあるほど、人間は揺らぐのである。何を言いたいのかというと、美しい「神学体系」に支えられた神というのは、実のところ、人間には少々「イライラもの」であるということなのだ。むしろこのように言えばよいか。救済者としての神が不動であれば、人間は迷うのである。当然である。神の救いというものが整っているとしたら、理路整然としていればいるほどに、常に人間の側が問われるからだ。人間が神の救済システムに合致しない限り、その人は不安なのだ。神のお救いプログラムに「私」がしっかりと固定され、万事OKと誰が断定できようか。教会か、牧師か、はたまた教派神学か。誰が保証できようか。あの美しく整った神の国運動にあなたが組み込まれていると。誰もが本心を述べれば「NO」であろう。

筆者にはとても無理だ。なぜならば筆者にとっての神は、全く固定もされず、行方知れずの出稼ぎ父さんのようなものだから。筆者が断定できるとしたら、人間は確かに救済が必要だということ、それだけだ。その点において人間は動かない。「自分は救いを求めていない」と言い張ったとしても、あるいは「自分は無神論者なので、神を信じていないし、神には何も求めもしない」としかめっ面をしたところで同じなのだ。人間という存在は、結局は自分以外のものにほぼほぼ全てを依存して生きているし、そうせざるを得ないのである。「神」という存在に頼ることを弱々しく愚かなことだと口にするのは簡単であるが、何事にも依存しないで生きていけるすべがあるなら教えてほしいと思う。

神が不可知であってこそ

人間は救済の必要性においては「静」である。その点において、実はあまりふらふらしていない。というかできない。ふらふらではなく、ジタバタしているのだ。それは個々の希望とか願望とかとは関係のないことである。はっきりしているのは、何とかしてもらわないと何ともならないということだ。

信仰者がしばしば生き腐れるのは、あまりにも立派過ぎて岩のように固まった神しか思い描けないからである。もちろん、そのようなことは先輩方が一生懸命に考えてくれたことであって、まさか人間も神のように頑強な精神を持っているなど、普通、人は想定もしていない。

人間というものが神と相対するときは、必ずジタバタするものだということを歴史は知っているのだ。つまり、長い年月において固定されてきた神のイメージというものはやはり、「仮置き」にすぎないのであって、そんなことは承知の上で、宗教というか、キリスト教もまた成り立っているのだ。つまり、岩のような不動の神は何の役にもたたないと悟りながらも、ついつい不動であるのは良いことのように錯覚しているのだ。そういう意味で信仰箇条を論じるべきであって、それらも不動だと考えてはならないのである。とはいえ、実際は仮置きにせよ、「信仰箇条は不動である」としないと、教会なんて成り立たないのではあるが・・・。

なぜならば、とにかく神を仮置きでもよいから公に提示しなければならなかったし、その限界もまた承知の上で信仰なるものを告白してきたのだ。教理というものは不可知の上に成り立っているのであるが、そんなことすらお忘れになったかのように、「キリスト教の本質は?」などと口にしている。それは確かにお作法ではあるが、個々人には全く役には立たないことを承知すべしなのだ。多分、読者は承知しているだろう。

大事なことは、こちら側、つまり人間様の側は「何とかしてもらわなくては困るのだ」という切羽詰まった状況をずっと生きてきたのであって、あえてそういう状況をつくり出す必要はないということだ。あえてそういう状況をつくって、さも神に対して「お願い上手」を演じているなら、そういう人間は「アホ」なのだ。信仰偏執狂なのだ。だからそういう人間は無視してよい。信仰者はジタバタするのだ。われわれ人間は大いに自分自身を固定化できる、というか、人間であることに固定されている。仮面をかぶっていなくても、「人間である」という現実にしっかり固定されているではないか。その上に捉えどころのない神さえも、「けんかして出ていったお母さんの行方」を探すかのごとく恋い焦がれているのだ。そういう心情を理解したいのであれば、詩編か雅歌を読めばよい。

ひれ伏し人々

レギオンに取り憑(つ)かれた人との出会いの後に、イエスはカファルナウムに帰ってきた(マルコ福音書5章参照)。「邪」なるものに支配されていた人間を救い出して帰ってきたのだ。ここからはガリラヤ湖の西側の出来事となる。会堂司(つかさ)の一人であるヤイロという人物がイエスの元へ来た。そして、この人もイエスにひれ伏したのだ。というのも、マルコ福音書5章の初めには、すさまじい悪霊レギオンに取り憑かれていた人がイエスにひれ伏したと書かれているからだ。またもや、ここにひれ伏す人が来た。何とも人間世界はこのようなものなのだ。神の子イエスにひれ伏す人がいるのだ。救い主なのだから当たり前ではあるが。でも、当たり前で済ますわけにはいかない。

レギオンはイエスに「わたしを苦しめないでください」と願った。つまり放置してくれとの懇願であった。ヤイロは真逆である。娘に手を置いてほしいと言うのである。そうすれば娘は救われ、生きるでしょうと言っている。ヤイロは娘の救いを求める、そして生きることを求める。レギオンは放置を願ったが、最終的には豚に飛ばしてほしいと、つまり滅びを願った。真逆のことなのだが、結果としては同じである。取り憑いた「邪」なるものが滅びを願い、その結果として取り憑かれていた人は救われる。ヤイロは死にかけている娘にイエスが触れることを願う。両者はイエスの手によって実現する不思議を期待しているのだ。レギオンとは正反対のように見えるが、実は同じことではないのか。

ほぼすべての人が、やがて「本当の意味で生きる者」へと昇華されるとひそかに信じている。それは無神論者であっても同じではないか。それがどのように実現されるか、その道理などどうでもよい話しで、「あなたが助けてくれないと困る」と語るのだ。誰に? 「神」にである。無神論者であれば、運命にそれを願うのかもしれない。あるいは社会に対してか。とにかく「生きる」ことを目指しているのが人間である。そこに「生まれながらの罪」を抱えているのかどうかなど、どうでもよい話ではないか。

ひれ伏すとは、そういう意味であろう。生きることへの願望だ。捨て身ではない。少なくとも宗教においてはそうなのだ。われわれはこの人生において、本当の意味で神にひれ伏したことがあるだろうか。どうも筆者にはその記憶がないのだが。

「さあ、これからだ」

イエスはヤイロの娘のために出かけていく。このイエスが救い主である限り、われわれにもまた、まだまだひれ伏しチャンスはあるだろうから。(続く)

<<前回へ     次回へ>>

◇

藤崎裕之

藤崎裕之

(ふじさき・ひろゆき)

1962年高知市生まれ。明治から続くクリスチャン家庭に育つ。88年同志社大学大学院神学研究科卒業。旧約聖書神学専攻。同年、日本基督教団の教師となる。現在、日本基督教団隠退教師、函館ハリストス正教会信徒。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
関連タグ:マルコによる福音書藤崎裕之
  • ツイート

関連記事

  • おこぼれは大事だ(その1)

  • そりゃないでしょう的なバベル譚(その1)

  • 福音は力である?(その1)

  • 口数の多い死体? ヨブ記考察(その1)

  • やっかいな話(その1)

クリスチャントゥデイからのお願い

皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間30~40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、月額1000円からのサポーターを募集しています。お申し込みいただいた方には、もれなく全員に聖句をあしらったオリジナルエコバッグをプレゼントします。お支払いはクレジット決済で可能です。クレジットカード以外のお支払い方法、サポーターについての詳細はこちらをご覧ください。

サポーターになる・サポートする

人気記事ランキング

24時間 週間 月間
  • 無料オンライン講座「キリストの基礎知識コース」第11期受講者募集 2月14日開講

  • ドニー・マクラーキン牧師の件で日本の皆さんに伝えたいこと

  • 山上徹也被告に無期懲役の判決 安倍晋三元首相銃撃事件

  • サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(37)パンと魚の教会

  • 世界最悪は北朝鮮、死者が最も多いのはナイジェリア 迫害国50カ国まとめた報告書発表

  • お薦めのボンヘッファー入門書3冊 映画を観て興味を持った人のために

  • ナイジェリアで武装集団が複数の教会を襲撃、信者ら160人以上拉致か

  • 刑務所伝道プログラム「受刑者の旅」修了生が100万人突破 プリズン・フェローシップ

  • ドニー・マクラーキン牧師の件で日本の皆さんに伝えたいこと

  • 世界最悪は北朝鮮、死者が最も多いのはナイジェリア 迫害国50カ国まとめた報告書発表

  • カトリックとプロテスタントが合同開催 キリスト教一致祈祷週間、18日から

  • 「信徒の友」「こころの友」などが休刊へ、日本キリスト教団出版局の事業整理・縮小で

  • 同志社前総長の大谷實氏死去、91歳 犯罪被害者支援に尽力

  • 大きな喜びを引き寄せる御言葉の恵み 万代栄嗣

  • 刑務所伝道プログラム「受刑者の旅」修了生が100万人突破 プリズン・フェローシップ

  • ゴスペル歌手で牧師のドニー・マクラーキン氏、元秘書による性的暴行告発を否定

  • ナイジェリアで武装集団が複数の教会を襲撃、信者ら160人以上拉致か

  • 韓国の李在明大統領、国内の宗教指導者らと懇談会 旧統一協会や新天地の問題にも言及

  • いのちのことば社元職員が不適切な会計処理、数千万円規模か 社長は引責辞任へ

  • いのちのことば社、元職員の不適切な会計処理巡る質問・意見への回答を公表

  • 米福音派の著名作家、フィリップ・ヤンシー氏が不倫を告白 執筆・講演活動から引退

  • 米のベネズエラ攻撃・大統領拘束に対する現地の福音派キリスト者の反応

  • 「信徒の友」「こころの友」などが休刊へ、日本キリスト教団出版局の事業整理・縮小で

  • ドニー・マクラーキン牧師の件で日本の皆さんに伝えたいこと

  • 英ポルノ女優リリー・フィリップスさんが受洗 心からの回心?売名行為? 真意巡り議論

  • 世界最悪は北朝鮮、死者が最も多いのはナイジェリア 迫害国50カ国まとめた報告書発表

  • 【クリスマスメッセージ】この世に来られた救い主―イエス・キリスト 渡部信

  • 日本聖書神学校、2026年度から「基礎科」新設

編集部のおすすめ

  • 上智大学キリシタン文庫が初の貴重資料展、キリシタン版や大友宗麟書状など30点を公開

  • 給食で子どもたちに笑顔と教育の機会を 最貧国マラウイを支援する「せいぼじゃぱん」

  • 日本聖書協会が恒例のクリスマス礼拝、聖書普及事業150年を感謝しコンサートも

  • 「神の霊によって、主はこの国を造り替えられる」 日本リバイバル同盟が「祈りの祭典」

  • 15人の演者でマルコ福音書を再現、観客をイエスの物語に引き込む「マルコドラマ」

  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
Go to homepage

記事カテゴリ

  • 教会 (
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
    )
  • 宣教
  • 教育
  • 国際 (
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
    )
  • 社会 (
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
    )
  • 文化 (
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
    )
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム (
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
    )

会社案内

  • 会社概要
  • 代表挨拶
  • 基本信条
  • 報道理念
  • 信仰告白
  • 編集部
  • お問い合わせ
  • サポーター募集
  • 広告案内
  • 採用情報
  • 利用規約
  • 特定商取引表記
  • English

SNS他

  • 公式ブログ
  • メールマガジン
  • Facebook
  • X(旧Twitter)
  • Instagram
  • YouTube
  • Threads
  • RSS
Copyright © 2002-2026 Christian Today Co., Ltd. All Rights Reserved.