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不条理なる死を不可知の光で中和せよ

生ける者と死ねる者への裁き(その1)―ヤイロの娘を巡って―

2022年9月22日15時24分 コラムニスト : 藤崎裕之
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関連タグ:マルコによる福音書藤崎裕之
不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(30)+

不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(30)

固着する悲惨

自分は本当に生きているのか、それとも死んでいるのか。模範的な回答をするとしたら、人間誰しもが、キリストの再臨の時にこそ、その人の「生き死に」がはっきりするということなのかもしれない。キリストの再臨、最後の審判については、筆者の大いなる誤解があり得るので省略する。今まであまり考えてこなかったし、これからも考えたくはない。要するに裁きが怖い。

筆者にとって関心があるのは「信仰者の生き腐れ」なのだ。このように書くと不遜ではあるが、大抵の人は身に覚えがあるだろう。そう、「信仰」ではなく「信仰者」はしばしば生き腐れるのである。最後の審判にたどり着く前に「熟成」を通り越してしまうというわけである。煮詰まるということだ。

相対的な論じ方をすれば、神が固定されれば人が動く、人が固定されれば神が動く、ということである。なかなかお互いに相対するのは難しいのだ。つまり、神が確固たるものとして不動であればあるほど、人間は揺らぐのである。何を言いたいのかというと、美しい「神学体系」に支えられた神というのは、実のところ、人間には少々「イライラもの」であるということなのだ。むしろこのように言えばよいか。救済者としての神が不動であれば、人間は迷うのである。当然である。神の救いというものが整っているとしたら、理路整然としていればいるほどに、常に人間の側が問われるからだ。人間が神の救済システムに合致しない限り、その人は不安なのだ。神のお救いプログラムに「私」がしっかりと固定され、万事OKと誰が断定できようか。教会か、牧師か、はたまた教派神学か。誰が保証できようか。あの美しく整った神の国運動にあなたが組み込まれていると。誰もが本心を述べれば「NO」であろう。

筆者にはとても無理だ。なぜならば筆者にとっての神は、全く固定もされず、行方知れずの出稼ぎ父さんのようなものだから。筆者が断定できるとしたら、人間は確かに救済が必要だということ、それだけだ。その点において人間は動かない。「自分は救いを求めていない」と言い張ったとしても、あるいは「自分は無神論者なので、神を信じていないし、神には何も求めもしない」としかめっ面をしたところで同じなのだ。人間という存在は、結局は自分以外のものにほぼほぼ全てを依存して生きているし、そうせざるを得ないのである。「神」という存在に頼ることを弱々しく愚かなことだと口にするのは簡単であるが、何事にも依存しないで生きていけるすべがあるなら教えてほしいと思う。

神が不可知であってこそ

人間は救済の必要性においては「静」である。その点において、実はあまりふらふらしていない。というかできない。ふらふらではなく、ジタバタしているのだ。それは個々の希望とか願望とかとは関係のないことである。はっきりしているのは、何とかしてもらわないと何ともならないということだ。

信仰者がしばしば生き腐れるのは、あまりにも立派過ぎて岩のように固まった神しか思い描けないからである。もちろん、そのようなことは先輩方が一生懸命に考えてくれたことであって、まさか人間も神のように頑強な精神を持っているなど、普通、人は想定もしていない。

人間というものが神と相対するときは、必ずジタバタするものだということを歴史は知っているのだ。つまり、長い年月において固定されてきた神のイメージというものはやはり、「仮置き」にすぎないのであって、そんなことは承知の上で、宗教というか、キリスト教もまた成り立っているのだ。つまり、岩のような不動の神は何の役にもたたないと悟りながらも、ついつい不動であるのは良いことのように錯覚しているのだ。そういう意味で信仰箇条を論じるべきであって、それらも不動だと考えてはならないのである。とはいえ、実際は仮置きにせよ、「信仰箇条は不動である」としないと、教会なんて成り立たないのではあるが・・・。

なぜならば、とにかく神を仮置きでもよいから公に提示しなければならなかったし、その限界もまた承知の上で信仰なるものを告白してきたのだ。教理というものは不可知の上に成り立っているのであるが、そんなことすらお忘れになったかのように、「キリスト教の本質は?」などと口にしている。それは確かにお作法ではあるが、個々人には全く役には立たないことを承知すべしなのだ。多分、読者は承知しているだろう。

大事なことは、こちら側、つまり人間様の側は「何とかしてもらわなくては困るのだ」という切羽詰まった状況をずっと生きてきたのであって、あえてそういう状況をつくり出す必要はないということだ。あえてそういう状況をつくって、さも神に対して「お願い上手」を演じているなら、そういう人間は「アホ」なのだ。信仰偏執狂なのだ。だからそういう人間は無視してよい。信仰者はジタバタするのだ。われわれ人間は大いに自分自身を固定化できる、というか、人間であることに固定されている。仮面をかぶっていなくても、「人間である」という現実にしっかり固定されているではないか。その上に捉えどころのない神さえも、「けんかして出ていったお母さんの行方」を探すかのごとく恋い焦がれているのだ。そういう心情を理解したいのであれば、詩編か雅歌を読めばよい。

ひれ伏し人々

レギオンに取り憑(つ)かれた人との出会いの後に、イエスはカファルナウムに帰ってきた(マルコ福音書5章参照)。「邪」なるものに支配されていた人間を救い出して帰ってきたのだ。ここからはガリラヤ湖の西側の出来事となる。会堂司(つかさ)の一人であるヤイロという人物がイエスの元へ来た。そして、この人もイエスにひれ伏したのだ。というのも、マルコ福音書5章の初めには、すさまじい悪霊レギオンに取り憑かれていた人がイエスにひれ伏したと書かれているからだ。またもや、ここにひれ伏す人が来た。何とも人間世界はこのようなものなのだ。神の子イエスにひれ伏す人がいるのだ。救い主なのだから当たり前ではあるが。でも、当たり前で済ますわけにはいかない。

レギオンはイエスに「わたしを苦しめないでください」と願った。つまり放置してくれとの懇願であった。ヤイロは真逆である。娘に手を置いてほしいと言うのである。そうすれば娘は救われ、生きるでしょうと言っている。ヤイロは娘の救いを求める、そして生きることを求める。レギオンは放置を願ったが、最終的には豚に飛ばしてほしいと、つまり滅びを願った。真逆のことなのだが、結果としては同じである。取り憑いた「邪」なるものが滅びを願い、その結果として取り憑かれていた人は救われる。ヤイロは死にかけている娘にイエスが触れることを願う。両者はイエスの手によって実現する不思議を期待しているのだ。レギオンとは正反対のように見えるが、実は同じことではないのか。

ほぼすべての人が、やがて「本当の意味で生きる者」へと昇華されるとひそかに信じている。それは無神論者であっても同じではないか。それがどのように実現されるか、その道理などどうでもよい話しで、「あなたが助けてくれないと困る」と語るのだ。誰に? 「神」にである。無神論者であれば、運命にそれを願うのかもしれない。あるいは社会に対してか。とにかく「生きる」ことを目指しているのが人間である。そこに「生まれながらの罪」を抱えているのかどうかなど、どうでもよい話ではないか。

ひれ伏すとは、そういう意味であろう。生きることへの願望だ。捨て身ではない。少なくとも宗教においてはそうなのだ。われわれはこの人生において、本当の意味で神にひれ伏したことがあるだろうか。どうも筆者にはその記憶がないのだが。

「さあ、これからだ」

イエスはヤイロの娘のために出かけていく。このイエスが救い主である限り、われわれにもまた、まだまだひれ伏しチャンスはあるだろうから。(続く)

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◇

藤崎裕之

藤崎裕之

(ふじさき・ひろゆき)

1962年高知市生まれ。明治から続くクリスチャン家庭に育つ。88年同志社大学大学院神学研究科卒業。旧約聖書神学専攻。同年、日本基督教団の教師となる。現在、日本基督教団隠退教師、函館ハリストス正教会信徒。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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