安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。六日のあいだ働いて、あなたのすべてのわざをしなければならない。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのである。(申命記5:12~15)
今回の聖書箇所には、主にある安息について書かれています。
聖書では、信じる者は主の安息に入ることができると教えています(参照・ヘブル4:3)。私たちの生活の中で、不信仰の故に安らぎを体験できていない領域はどこでしょうか。自覚していないかもしれませんが、まずは自分が落ち着くことのできない領域を知ることから始めましょう。そのために、神様の導きを求めましょう。
心が集中できず、平安も安らぎもないことにいら立ちを感じていませんか。口から出る習慣的な不満の言葉について、どうすることもできないと感じていませんか。自分の見た目で気に入らない部分があり、それで腹立たしい思いになることはありませんか。
神様は信仰を通して、こうした状況においても私たちに安息を与えてくださいます。ただし、ブレイクスルー、自由と解放を求めて、御言葉を追い求め続けることです(参照・マタイ7:7、8)。一つの御言葉が複数の問題を同時に解決することもあります。自由と解放を体験するために、御言葉に期待し続けましょう(参照・ヨハネ8:32)。
例えば「神は霊である」(ヨハネ4:24)という御言葉は、私たちのいら立ちや、汚い言葉を放ち続ける悪習慣、外見に関するあらゆるコンプレックスなどから私たちを解放し、神様に似せて創造された霊的存在であるというアイデンティティーへと導きます(参照・創世記1:27)。
私たちは魂を宿した体を持つ霊的存在であるため、成長過程にある心と思いが、キリストにある完全な霊に干渉することがあるのです(参照・1テサロニケ5:23)。私たちは霊の領域において、神様の御霊が与えられている、新しく創造された者です(参照・2コリント5:17)。私たちはキリストのようです(参照・1ヨハネ4:17)。
「神は霊である」という御言葉は、私たちの否定的な思いを、キリストのようであるという信徒たちの真のアイデンティティーへと導く力があります。キリストにある霊的なアイデンティティーによって、神様の喜ばれない思いや考えが断ち切られ、私たちは良い実を結ぶ者へと変えられていくのです。
今日も、主にある自由と安息を求めて、御言葉を通して主の御声に耳を傾け、信じ続けましょう。
GOD BLESS YOU!
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