Skip to main content
2025年8月25日07時12分更新
クリスチャントゥデイ
メールマガジン サポーターのご案内
メールマガジン サポーターのご案内
Facebook Twitter
  • トップ
  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
  • 記事一覧
  1. ホーム
  2. 論説・コラム
  3. コラム
不条理なる死を不可知の光で中和せよ

福音は力である?(その3・最終回)

2022年6月23日11時58分 コラムニスト : 藤崎裕之
  • ツイート
印刷
関連タグ:藤崎裕之
不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(24)+

不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(24)

※ 前回「福音は力である?(その2)」から続く。

パウロは決断しない

パウロにとって、キリストの迫害者からキリストを信じる者への転回は突然の出来事であった。一方で、伝道者としての道のりは、熟考されたものであったということを前回で確認できたと思う。パウロはダマスコ途上で復活のキリストに出会い、アナニアを通してキリストへと目を開かれるのであるが、使徒言行録では「わたしが選んだ器である」というイエスの言葉をもってパウロについて語られている。すなわち、パウロは信仰に目覚めて伝道者への道を決断したというよりも、キリストの迫害者であった人物を「キリストご自身」が選んでその器としたことが強調されているのである。その器とされるために、パウロはダマスコから南方へ向かい、アラビアで3年を過ごしたとパウロ自身が語っているわけである。使徒言行録だけを読むと、回心したパウロがすぐにダマスコで伝道を始めたような印象を受けるが、実際はそうでもなかったという点は押さえておきたい。

事情はどうであれ、パウロが熱心な迫害者からキリストを信じる者になったというこの大転回によって、彼自身はユダヤ人から命を狙われるまでになったわけで、そこに時に宗教が持つ「負の情念」のすさまじさを感じさせられる。棄教あるいは転教が命の危機を生む!それが当時の宗教世界であったならば、 われわれはそんな世界に生きているわけではないのだから、なおさら驚かされるのである。なお、追記しておくが、パウロが隠遁(いんとん)していたアラビアというのはトマスの宣教地域でもあった。

パウロが訪ねたエルサレム

そのようなパウロが、這々(ほうほう)の体でエルサレムにやって来たというのが使徒言行録の記述であるが、そこにおいて問題が起こる。それは、パウロ自身の証言によれば、ダマスコの回心から3年後のことになる。エルサレムでパウロは、キリストの弟子の仲間に入ろうと努めたがなかなかうまくいかない。というより、皆パウロを恐れてしまうのだ。

ここで言われる弟子というのは、12使徒ではなく、一般のキリスト教徒たちのことであろう。あるいは、信仰者ではなく、キリストの教えに学ぼうとする者たちだったのかもしれない。これは議論の余地があるとは思うが、当時のいわゆるユダヤ人キリスト教徒の実体を反映しているのかもしれない。それは律法を忠実に守りながら、キリストに従うというグループである。あくまでもユダヤ人として律法に従いつつ、その一方で、主にキリストの教えの部分について受け入れていくという立場だと表現できようか。またそのグループは、キリストの復活を信じ、キリストを物理的な救い主として受け入れつつも、再臨の時はすなわちエルサレムの解放の時であって、その時には新しい地上の王権を確立してくれると期待していたのかもしれない。つまり、天上の神の国よりも地上の王国優先ということか。

なにしろ当時は、キリストが語られた事柄や言葉はまだ文章化されていないわけで、キリストに対するいろいろな解釈がなされていた。であるから、エルサレム教会の中にも温度差があったと思われる。そのような人たちの目の前に現れたパウロという人間は、かつて彼らのキリスト運動を迫害したまさにその人であったから拒絶されるのも無理はない。

拒絶されるパウロ

そのようなパウロであったが、バルナバの執り成しで使徒たちと面会して大いに語り合えたようである。パウロはしばらく使徒たちと過ごしたが、エルサレムで主の名によって大胆に語り過ぎたせいか、またしてもユダヤ人から命を狙われるようになる。その事実について「兄弟たちはそれを知って」(使徒9:30)と書いてあるが、それがイエスの兄弟たちを指しているのかどうかは確かではない。

ここでエルサレム教会の実情について考えたい。ある時点からエルサレム教会の実権というか、教会的にいえば主教に当たる地位であるが、それは12使徒からイエスの兄弟ヤコブに移ったようである。口悪い人なら、ヤコブがイエスの兄弟であることを理由にエルサレム教会を実質的に乗っ取ったのだと批判的な目を向ける人もいる。果たしてそうだろうか。エルサレム教会にそんな魅力があったかどうかも怪しい。なぜかと言えば、イエスご自身はエルサレムで処刑されたわけであって、その記憶は町の人たちの中に強烈に残っているのである。そして、ローマによって十字架で処刑された人物を、救い主だと信じて活動している連中というのは、どう考えてもユダヤ人にとっては迷惑なのだ。いつもぶっつぶしてやりたいと思っていたはずである。

それに比べれば、エルサレムを離れて宣教していた12使徒の方が自由であったと考える余地もある。何にしろ、エルサレム教会の責任を負うことが権力と結び付くというのはあり得ないので、ヤコブと他のイエスの兄弟たちに汚名を帰せることは意味のないことである。むしろ、ヤコブは熱狂的なユダヤ人キリスト教徒と、パウロのようなヘレニズム的・普遍的なキリスト教を目指す者たちの間に立たされて難儀したのであり、結果としてエルサレムで殉教するわけだから、使徒的な教会が彼を聖人として記念するのには正当な理由があるのである。イエスとは直接の血のつながりはなかったともいわるが、とにかくイエスと共に育った者として、そのイエス・キリストの体たる教会に殉じたことも福音の力であったというべきであろう。ヤコブが殉教した後、その兄弟シメオンがその地位を継いだが、彼もまた殉教している。

エルサレムではなく

というわけで、パウロがエルサレムで自身の実体験を語るのはかなり危険であったし、この時点において、パウロが教会執事ステファノのように殺されてしまう可能性もあった。それは誰も願いもしなかったであろうから、結果としてギリシャ語を話すユダヤ人や異邦人への宣教者となるしか方法はなかったとも思われる。裏切り者というのは、いつの時代も憎まれるものである。また悲しいかな、ユダヤ人キリスト教徒の中にもパウロに恨みを抱く者もいただろう。だから、なおさら彼はユダヤにとどまることはできなかったはずだ。

ただし、その後もパウロ自身は何度かエルサレムを訪れているし、エルサレム教会に対する尊敬心を失ったわけではなかったようだ。また、パウロには類いまれな文才というか、とにかく言葉に優れていたし、キリストを信じるということをかなり掘り下げて証しすることができた。そのための学問的な裏付けもあったわけで、そういう意味でいえば、12使徒やイエスの兄弟たちとはまったく違っていたのかもしれない。とはいえ、パウロもまた人間であり、キリストの前には欠けたところの多い信仰者であったから、時には教会の人々や12使徒に対する愚痴のようなことも言ったり書いたりしている。まあ、それはご愛嬌(あいきょう)である。

福音を力として

そろそろ結論というか、終わりにしたい。福音とはイエス・キリストそのものである、というのが初代教会の理解であったと思う。「福音を恥としない」とパウロが語るとき、それはもちろんイエス・キリストを恥としないという意味である。かつてキリストを恥として、キリストの迫害者であったパウロが大転回してそのように語っているのだ。

それをパウロ自身も、使徒言行録も、パウロの熟考による決断とはけして語っていない。われわれは時に、迫害者パウロを変えたものは何かと考えてしまう。そこにいろいろと理由付けをしてしまう。しかし、実際のところは、その時のパウロに冷静さがあったわけではなく、それは何であったかと言えるものはないのだ。「これこれこういう理由でキリスト教徒になりました」という説明など不可能だし、パウロ自身には必要もなかったのである。まさにそれが、キリストのミステリーなのだ。パウロは冷静にユダヤ主義とキリスト信仰を比較検討などしてないのだ。その事実が大事である。ある日、突然にイエス・キリストが私の救い主になる。これもまた人生である。繰り返しになるが、キリストが私の救い主になるという事実が大事なのだ。

むしろ、比較検討していたのはユダヤ人であり、またキリストに学ぶことがあったとしても、それでもやはりユダヤ人のように生きなければならないと考えた人々である。ユダヤそのものがなくなったときに、その人たちの信仰傾向も消えてしまったのは言うまでもないことだが。

福音を恥としない、キリストを恥じない、というパウロの生き様が彼の信仰の原点であると著者は考えているわけだが、時としてイエス・キリスト本人よりも、イエスの行動や教えに重点を置いてしまう傾向はいつの時代にも存在した。イエスの生き様が大事、イエスに学ぶというのはその通りであるが、しかしなお、それを超えているのが福音である。福音とはイエスの生き様ではなく、キリストのミステリーなのだ。不思議なのだ。神秘なのだ。神の出来事なのだ。12弟子やイエスの兄弟を、そしてパウロを動かしたミステリーなのだ。

そういう意味において、キリスト教という名称も多少は誤解を与えるのかもしれない。キリスト教が意味しているのは、イエスの教えではないし、聖書の教えでもない。キリスト教が意味するのは「福音」そのものなのだ。(終わり)

<<前回へ     次回へ>>

■ 福音は力である?:(1)(2)(3)

◇

藤崎裕之

藤崎裕之

(ふじさき・ひろゆき)

1962年高知市生まれ。明治から続くクリスチャン家庭に育つ。88年同志社大学大学院神学研究科卒業。旧約聖書神学専攻。同年、日本基督教団の教師となる。現在、日本基督教団隠退教師、函館ハリストス正教会信徒。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
関連タグ:藤崎裕之
  • ツイート

関連記事

  • 口数の多い死体? ヨブ記考察(その1)

  • やっかいな話(その1)

  • 人生は三度くらいおいしい(その1)

  • 転生なきビジョンはない(その1)

  • エデンの東 終日(ひねもす)のたり のたりかな(その1)

クリスチャントゥデイからのお願い

皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間30~40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、月額1000円からのサポーターを募集しています。お申し込みいただいた方には、もれなく全員に聖句をあしらったオリジナルエコバッグをプレゼントします。お支払いはクレジット決済で可能です。クレジットカード以外のお支払い方法、サポーターについての詳細はこちらをご覧ください。

サポーターになる・サポートする

人気記事ランキング

24時間 週間 月間
  • 牧師を辞めた理由は? 元牧師730人を対象に調査 現役牧師や信徒へのアドバイスも

  • 花嫁(31)神に従う者の道 星野ひかり

  • 日本人に寄り添う福音宣教の扉(229)コロナ禍による信仰生活への影響 広田信也

  • 誇り高き勇士 穂森幸一

  • ワールドミッションレポート(8月24日):イラク シャバック族のサリムと父なる神

  • サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(26)故郷の没落

  • ワールドミッションレポート(8月25日):ザンビアのレンジェ族のために祈ろう

  • 進藤龍也氏×山崎純二氏対談イベント「神様との出会いで人生が変わった」 埼玉・川口市で8月30日

  • 幸せな人生とは 菅野直基

  • 福音派増えるベネズエラ、大統領が「マーチ・フォー・ジーザスの日」制定 全国で行進

  • 福音派増えるベネズエラ、大統領が「マーチ・フォー・ジーザスの日」制定 全国で行進

  • 牧師を辞めた理由は? 元牧師730人を対象に調査 現役牧師や信徒へのアドバイスも

  • N・T・ライト著『わたしの聖書物語』が大賞 キリスト教書店大賞2025

  • 世界福音同盟、新総主事にアラブ系イスラエル人弁護士を選出

  • 新約聖書学者の田川建三氏死去、89歳 新約聖書の個人全訳を出版

  • 米韓政府の政策で対北朝鮮ラジオ放送が80%減少、キリスト教迫害監視団体が懸念

  • 嫌いと無関心 菅野直基

  • キリスト教徒が人口の過半数を占める国・地域、この10年で減少 米ピュー研究所

  • いのちの書に名を記される幸い 万代栄嗣

  • 篠原元のミニコラム・聖書をもっと!深く!!(240)聖書と考える「レプリカ 元妻の復讐」

  • 新約聖書学者の田川建三氏死去、89歳 新約聖書の個人全訳を出版

  • キリスト教徒が人口の過半数を占める国・地域、この10年で減少 米ピュー研究所

  • N・T・ライト著『わたしの聖書物語』が大賞 キリスト教書店大賞2025

  • 「20世紀のフランシスコ・ザビエル」 聖心女子大学で岩下壮一神父の特別展

  • 「苦しみ」と「苦しみ」の解決(10)「苦しみ」から「苦しみ」へ 三谷和司

  • 日本キリスト教協議会、戦後80年の平和メッセージ キリスト者の戦争加担にも言及

  • 日本基督教団、戦後80年で「平和を求める祈り」 在日大韓基督教会と平和メッセージも

  • コンゴで教会襲撃、子ども含む43人死亡 徹夜の祈祷会中に

  • 福音派増えるベネズエラ、大統領が「マーチ・フォー・ジーザスの日」制定 全国で行進

  • 牧師を辞めた理由は? 元牧師730人を対象に調査 現役牧師や信徒へのアドバイスも

編集部のおすすめ

  • 「罪のない赤ちゃんを殺さないで」 東京でマーチフォーライフ、中絶の問題を訴え

  • 教育改革が「日本のリバイバルにつながっていく」 牧師の金子道仁参院議員が講演

  • いのちの言葉聖書学校、日本語クラス2期生7人が卒業

  • 淀橋教会で新主管牧師就任式・祝賀会 金聖燮牧師が6代目に

  • 四国の全教会の活性化と福音宣教の前進のために 「愛と希望の祭典・四国」プレ大会開催

  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
Go to homepage

記事カテゴリ

  • 教会 (
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
    )
  • 宣教
  • 教育
  • 国際 (
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
    )
  • 社会 (
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
    )
  • 文化 (
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
    )
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム (
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
    )

会社案内

  • 会社概要
  • 代表挨拶
  • 基本信条
  • 報道理念
  • 信仰告白
  • 編集部
  • お問い合わせ
  • サポーター募集
  • 広告案内
  • 採用情報
  • 利用規約
  • 特定商取引表記
  • English

SNS他

  • 公式ブログ
  • メールマガジン
  • Facebook
  • X(旧Twitter)
  • Instagram
  • YouTube
  • RSS
Copyright © 2002-2025 Christian Today Co., Ltd. All Rights Reserved.