日野原重明氏召天1周年、晩年共に歩んだベー・チェチョル氏が「愛のうた」届ける

2018年7月21日10時19分 印刷
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スクリーンに映し出された生前の日野原重明氏=19日、東京オペラシティ(東京都新宿区)で
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昨年、105歳で亡くなった日野原重明・聖路加国際病院名誉院長の召天1周年を記念するコンサートが19日、東京オペラシティ(東京都新宿区)で行われた。日野原氏の次男の妻である日野原眞紀さんを交えてのトークや、思い出の映像でその歩みを振り返りつつ、日野原氏が晩年、自らコンサートをプロデュースし、共に全国各地を巡った韓国人テノール歌手、ベー・チェチョル氏が、日野原氏から託された「愛と平和」のメッセージを歌声に乗せて届けた。

「私の本当の仕事はこれから始まるんだよ。でもその時には私の身体はないかもしれません」。そう言葉を残して天に召されていった日野原氏。最期の3年間は、ベー氏、またベー氏を日本にプロデュースした輪嶋東太郎氏(ヴォイス・ファクトリー株式会社代表)と共に、「日野原重明プロデュース ベー・チェチョルコンサート」を全国で10回以上開催してきた。輪嶋氏は日野原氏の生前、コンサートを継続していくことを約束しており、今回は日野原氏を天に送ってから初めて開催される東京公演となった。

開催日前日の18日は、日野原氏の没後満1年の日。この日には、日野原氏が作詞・作曲した「愛のうた」を収録したベー氏の日本メジャー2枚目となるCD「THE SINGER II」が発売され、コンサートはCDの発売も記念して行われた。

日野原重明氏召天1周年、晩年共に歩んだベー・チェチョル氏が「愛のうた」届ける
日野氏との思い出やエピソードを語った輪嶋氏と日野原眞紀さん

第1部は、輪嶋氏と日野原眞紀さんによるトーク。輪嶋氏は日野原氏が亡くなる前、没後に発売されることになった『生きていくあなたへ 105歳どうしても遺したかった言葉』(幻冬舎)のインタビューアーとして、日野原氏から直接さまざまな話を聞いていた。トークの合間には、亡くなる半年前に撮影されたインタビューの様子などが映像で映し出され、当時まだ元気だった日野原氏が、2020年の東京オリンピックへの参加を夢見ていたことなどを紹介した。

インタビューの中で最もつらい質問だったのが「死ぬのは怖いですか」というものだった。輪嶋氏が尋ねると、日野原氏は何も包み隠さず「怖い」と答えたという。これまで千人以上の患者の死を見届け、また生きる希望を伝え続けてきた日野原氏の言葉だけに、輪嶋氏、眞紀さん2人にとってこれは意外なものだった。

その後、「これで本当に最期か」と思うような時を3回ほど経験するが、亡くなる約2週間前に1つの「奇跡」が起こった。それは、きれいな花畑の方へ来るよう、誰かが声を掛けてくる夢を日野原氏が見たことだった。その時、日野原氏は呼び声には応じず、花畑へは行かなかったという。しかし「今度は行くんだ」と日野原氏。その花畑には家族がおり、またイエス・キリストの姿もあり、そこへ行くことがとても楽しみになったのだという。日野原氏が喜びをもって死を受け止めた瞬間だったのかもしれない。

日野原重明氏召天1周年、晩年共に歩んだベー・チェチョル氏が「愛のうた」届ける
日野原氏が召天してからちょうど満1年となる7月18日に発売された、ベー氏の日本メジャー2枚目となるCD「THE SINGER II」

第2部のコンサートでは、ベー氏が発売したばかりの「THE SINGER II」からの曲を中心に歌い、一度声を失いつつも回復した「奇跡の歌声」を披露した。

「アジアのオペラ史上最高のテノール」と称され、欧州を中心に活躍していたベー氏。しかし、2005年に甲状腺がんに襲われ、手術で声帯と横隔膜の神経を切断。歌声に加え、右肺の機能も失ってしまう。「歌手として死んでしまった」(ベー氏)状況にあったが、音声外科医の世界的権威である一色信彦・京都大学名誉教授による声帯機能回復手術を受け、またその後の厳しいリハビリにより回復していった。

日野原重明氏召天1周年、晩年共に歩んだベー・チェチョル氏が「愛のうた」届ける
ベー氏とルーマニア出身のピアニスト、クリスティアン・アガピエ氏。アガピエ氏は、近年は日本で活躍しており、今年からベー氏のピアノ伴奏者として活動している。

コンサートでは、その様子を記録したNHKのドキュメンタリー番組をスクリーンに映しつつ、輪嶋氏が当時を振り返った。声帯の機能は一色教授の手術により取り戻すことができたが、横隔膜に関しては医学的になす術がなかった。しかし、08年のカムバック直前、ベー氏に横隔膜が動いているような感覚がよみがえってきた。レントゲンを撮って確認すると、8、9割程度まで機能を回復していることが分かった。「なぜ治ったのか、医学的にはよく分かりません。人間には分からなくても、神様が造られた私たちには、いろいろな可能性があるのだと、あらためて感じさせられました」と輪嶋氏は言う。

声を失った後、甲状腺がんの手術をドイツで受けたベー氏はドイツで、また輪嶋氏は日本で、それぞれ解決の道を探った。しかし、別々の地にいた2人が行き着いたのは、一色教授による手術だった。「こういうことを考えると、神様が全部アレンジしてくれたとしか思えない」とベー氏は話す。

この日は、いずれもベー氏の思い出が詰まった曲を歌った。「ねむの木の子守歌」は、2年前に東京オペラシティで行ったコンサートにも出席された美智子皇后作詞の曲。「もしもピアノが弾けたなら」は、声を失って歌えなくなってしまったとき、代わりに家でギターを弾いたというベー氏自身の経験と重なる曲だ。

日野原重明氏召天1周年、晩年共に歩んだベー・チェチョル氏が「愛のうた」届ける
コンサート最後は、ベー氏、アガピエ氏、ゴスペルグループ「THE SOULMATICS」、東京スクール・オブ・ミュージック(TSM)の学生ら出演者総出で、日野原氏作詞・作曲の「愛のうた」を歌った。

アンコールでベー氏は「アメイジング・グレイス」、そして日野原氏作詞・作曲の「愛のうた」を歌った。「愛のうた」は、日野原氏が10年ほど前に、ホスピスで働く人たちのためのコンサート用に作った歌だという。日野原氏がプロデュースした公演では、いつも最後に歌っていた曲だった。「愛の手を求めるその声に応えて、愛(いと)しみの心人々に送らん」という歌詞に込められた日野原氏のメッセージを、ベー氏と共に出演者が総出で歌い上げた。

コンサートを終えて輪嶋氏は「純粋な思いでささげたコンサートは、必ず人の心に届くということを毎回実感します」と語った。今後も「日野原重明プロデュース ベー・チェチョルコンサート」は継続していく考えだ。日野原氏の召天1周年を記念した公演は、宮崎県でも16日に地元の実行委員会が主催して開催され、約1300人が参加した。9月6日(木)には、ザ・シンフォニーホール(大阪市北区)で大阪公演も予定されている。

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