百人一読―偉人と聖書の出会いから―(94)マハトマ・ガンディー 篠原元

2018年5月15日06時48分 コラムニスト : 篠原元 印刷
Facebookでシェアする Twitterでシェアする
関連タグ:篠原元
+百人一読―偉人と聖書の出会いから―(94)マハトマ・ガンディー 篠原元
マハトマ・ガンディー(1869~1948)
- 広告 -

世界中の多くの人に知られている、有名なガンディー。1869年10月に英国領インドで生まれ、弁護士、政治指導者として活躍。英国からインドが独立するための運動を導いた彼は、インド独立の父と呼ばれています。よく知られるのは、非暴力、不服従の提唱です。

そのガンディーがこう語っています。「『山上の垂訓』は、特別であった。それには、じかにわたしの胸に響くものがあった。・・・『されどわれはなんじらに告ぐ、悪しき者に手向かうな。人もしなんじの右の頬を打たば、左をも向けよ。なんじを訴えて下着を取らんとする者には、上着をも取らせよ』という句にいたっては、わたしを限りなく愉快にし・・・」(『100人の聖書』142ページ)

つまりは、ガンディーも聖書を読んでいたようです。ここでいう「山上の垂訓」とは、新約聖書・マタイの福音書5章から書かれている、キリストの神様が山の上で語られた教えのことです。

その教えは、ガンディーにとって特別であったようで、じかにガンディーの胸に響いたそうです。ある言葉にいたっては、ガンディーを愉快にまでしたようです。

ガンディーにここまで大きな感動を与えた聖書の教え。皆さんも、一度読んでみませんか。キリストの神様の言葉、教え、戒め、励まし、慰めこそ、聖書なのです。

山上の垂訓は、マタイの福音書5章から7章にあります。キリストの神様が語られ、ガンディーに「特別」と言わしめたこの山上の垂訓を、今日読んでみませんか。きっと、皆さんにも特別な何かが与えられるはずです。(聖書購入の際は、新改訳聖書、もしくは新約聖書のみですが、新和訳の聖書か新約聖書翻訳委員会訳の聖書でどうぞ)

さて、山上の垂訓の教えの中で、ガンディーを限りなく愉快にした言葉の意味と、聖書が実際的にどういうことを語っているかをご紹介して終わります。聖書というとつまらなくて、難しくて、戒めだらけのような感じがあると思いますので、そこを解かせていただきますね。ぜひ、お付き合いください。

まず1つ目です。ガンディーが「わたしを限りなく愉快にし・・・」と語った山上の垂訓の教えは、マタイの福音書5章39~40節に書かれていて、次の通りです。

「しかし、この私はあなたたちに言う、悪人に手向かうな。むしろ、あなたの右の頬に平手打ちを加える者には、もう一方の頬をも向けてやれ。また、あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ」

このような教えです。皆さんは、率直にどう思われますか。「大変な教えだ!」と思われますよね。「こんなことしないといけないのか!?クリスチャンはッ!」と思うかもしれません。

でも、ご安心ください。クリスチャンになったら殴られっぱなしにならないといけない、ということはありません。泥棒が家に入ってきたのに、何もせずに「はい。どうぞ、どうぞ。ご自由に」と言って盗られっぱなしにするような愚かなことをする必要はまったくないのです。

侵入者が入ってきて、お子さんや奥さんを襲っているのに「悪人に手向かってはいけない。しょうがない。どうぞ、好きにやってください!」と言って好きにやらせるような必要はまったくありません。その場合は110番するなり、戦うべきですよね。

また、某国が攻めてきたというのに、そのまま侵略や占領を許すような国があるでしょうか。そのような場合は、徹底的に自国民を守るべきです。その前段階として、いざという時に戦える備えが十分にあるならば、侵略や戦争を避けることができるはずです。攻めてこられないようにするには軍が必要です。兵力や武力で他国からなめられてしまっては、一気に攻め込まれます。今は、米軍のおかげで守られていますが。

国でも個人でも、応戦するときは徹底して応戦すべきです。その時のための備えも必要ですよね。何も起こってないときには備えをして、有事の際はなすべきことを徹底して行う。これが、個人にも国にも必要だと思います。

つまり、聖書の教えは、すべてに時があるというものです。イエス・キリストは、ある時は悪人に手向かうことをせずに(山上の垂訓にあるように)、悪人たちの手に自らを引き渡されました。ご自分の力で簡単に滅ぼすことができるような人々から打たれ、バカにされ、あざけられました。

しかし、ある時は別でした。イエス・キリストは、聖なる場所を「強盗の巣」にしている人々に対して大暴れしました。彼らが私利私欲の商売をやってその聖なる場所を汚しているのを見たからです。イエス・キリストはそれを、「フーン。まっ、いいか。見て見ぬふりしよう、今回は」とはされませんでした。

なんと、縄で鞭を作り、商売人たちや彼らの羊や牛も追い出しまくったんですね。また、両替屋の金をまき散らしたりもしました。彼らの使っている台や椅子をひっくり返したりもしました。その聖なる場所を清めるためです。

イエス・キリストはそのような神様なのです。よくキリストっていうと、色白で髪が長くて女っぽいようにイメージされますが、実際のイエス・キリストは違うのです。ぶどう酒も飲まれました。叫ぶときは叫ばれました。叱責するときは叱責されました。怒る時はめちゃくちゃ怒られるお方です。そして何よりも、戦うときは全力で戦われるお方です。

また、イエス・キリストは、批判すべきときはこてんぱんに人を批判されるお方です。最高に柔和で優しくて、愛なるお方ですが、やる時は全力でやられるお方です。

ある時は、目の前にいる人のことを「愚か者」と言い、何度も「わざわいだ」と宣言されました!もし皆さんがそんなことをしたら大変ですよね。目の前の人に「あんたって愚かやな~」と言って、それで終わらずに「それだけじゃない!あんたはわざわいだ~!」と言いまくったら、いろいろなものが、もしかしたら皆さんの人生そのものが終わるかもしれませんね。

でも、キリストの神様は、ある時はそうされました。徹底して宣言されました。それが必要な時だったからです。

つまり、イエス・キリストという神様は、やる時はやるお方です。飲み食いするときはしっかり飲み食いもされました。そして、戦うときは全力で戦い、愛するときは心から愛し、赦すときは真心から赦されます。そう、キリストの神様は「時」を大事にされるお方です。

聖書の真ん中あたり、旧約聖書・伝道者の書3章1~8節では、キリストの神様が「時」について語っておられます。つまり、何事にも定まった時があるということです。実際に読んでいただくことをお勧めします。ここに書かれていることを受け取るなら、人生が変わります。戦うのに時があり、和睦するのにも時があります。泣くのに時があり、笑うのに時があります。生まれるのにも時があり、死ぬのにも時があるのです。

いつでもニコニコ笑っていればよいということはありません。怒るべきときは怒り、応戦すべきときは応戦して自分を守るべきです。それこそ、聖書の教えです。悪人に手向かわないで、そのままにさせるべき時があるかもしれません。

でも、ある時には、悪人に全力で立ち向かい、自分を守るべきかもしれません。すべては、その時、その時によります。それが、聖書の教える真理です。

去年、感動した映画がありました。こんなに感動した映画はないほどの作品です(あくまで、私個人の感想です)。その名も「否定と肯定」(2017年12月公開。英国・米国合作)です。

私はイスラエル共和国の側に常にいます。イスラエルについての正しい理解を持って生きています。昨今、ニュースや新聞はイスラエルに不利な情報ばかりです。皆さんが考えている以上に、イスラエルという国は悪く言われ、悪く思われています。どこにも利害関係があります。そして、利害関係によって真実は歪められています。

しかし、私はイスラエルや周辺諸国について正しい情報を入手しています。イスラエルが直面している事実を知り、イスラエルを応援しています。そのイスラエル側が最終的に大勝利するという映画だったこともあり、「否定と肯定」は本当に感動でした。

ぜひ、DVDをレンタルするなり、購入するなりして観ていただきたい作品です。ホロコースト否定に関する実話に基づく映画です。ユダヤ人の女性歴史学者と英国の歴史家(ホロコーストを否定する人物)の法廷での対決が描かれています。

感動するのは、ユダヤ人の歴史学者が訴えられてしまうのですが、訴えられっぱなしではなくて、毅然と立ち向かうところです!仮に、歴史学者の彼女(実在した人物です)が英国の歴史家に訴えられて、結果うろたえたり、怯んだりしていたならば、歴史が変わってしまっていたはずです。

世界の歴史が大きく変わり、現代の常識が常識でなくなっていたはずなのです。女性歴史学者デボラは訴えられた際に、示談を選ぶことなく、また、逃げることも選びませんでした。彼女と弁護士たちの必死の戦いにより、歴史的判決が下されました。

「否定と肯定」の歴史学者デボラのように、戦うべきときは戦い、応戦すべきです。そして、それが皆さんの将来を変えます。もしかしたら、後世の何かをも変えるかもしれませんね。

(現在「否定と肯定」が、神楽坂にある映画館・飯田橋ギンレイホール[地下鉄有楽町線・南北線・東西線・大江戸線の飯田橋駅出口B4aすぐそば]にて上映されています!5月18日までなので、映画館の大きなスクリーンで観ることのできるこのチャンスをお見逃しなく。午前9時30分、午後1時55分、午後6時10分の1日3回上映中です)

これが、聖書が教える「時」です。その時、その時に聖書が教える正しい生き方や歩み方をすることが、キリストの神様の皆さんに対する願いです。

だから、安心してクリスチャンになって、堂々と正しく生きてください。クリスチャンは、神様によって「時」を正しく判断して、悪に立ち向かい、正しく堂々と生きることができます!戦うときは戦い、やるときはやります!それこそ、聖書の教える生き方です。

目の前で困っている人がいたら、全力で助けるべきときですので、全力で助けてあげてください。皆さんにしか助けることのできない誰かがいるはずです。目の前で泥棒が犯行に及んでいるなら、110番するなり、取るべき行動を速やかにしてください。誰かが殴ってきたなら、ちゃんと自分を守ってください。

そしてもう1つ、タバコの問題です。聖書では、タバコを直接的に禁じる教えや戒めはありません。タバコという言葉が出てこないのです。だからといって、「タバコは吸ってもいいですよ!!」ということにはならないようです。

皆さんの体は、キリストの神様によって創造されました。たまたま、ある男女の性的交渉によって皆さんが生まれてきたのではなく、キリストの神様があなたを愛し、あなたを創造してくださったわけです。

キリストの神様というお方は、今のあなたを、今の状況のあなたを愛しています。だからこそ、キリストの神様から頂いた自分の命や体をタバコの煙に含まれる200種以上の有害物質によって自分で傷つける、破壊するのは明らかによくないことであり、やめるべきことなのです。

皆さんの体は、皆さんが勝手に努力して組み立てたものではありませんよね。スゴイ人体です。偶然というわけでもないし、精子と卵子だけによるわけでもないのです。キリストの神様に愛されて、キリストの神様のご計画のもとに造られた自分の体を大切にして、病気を招き込むようなことをしない。これこそ、正しい生き方だと思いませんか。それを、キリストの神様は望んでおられます。

特にタバコは、周囲の人の健康をも(受動喫煙によって)奪います。同僚や部下や上司の方、家族や友達、その他の人々の健康を奪い、有害物質を吸わせてしまうことになるので、これは明らかに悪いことです。だからこそ、周囲の人のためにもタバコはやめるべきです。

キリストの神様は、皆さんの目の前に座っているあの人やあそこに立っているあのオジサン、あのキレイなお姉さんも、そして会社の同僚や部下や上司の方、家族や友達のことをも愛しておられます。

そのような方々の健康を奪う権利は誰にもありませんし、誰かの健康を奪うようなことは正しいことではありませんよね。そんなことをキリストの神様も喜ばれるはずありません。だからこそ、タバコはやめるべきです!

自分のためにも周囲の人のためにも、今すぐにパッとやめることが一番です。タバコをスパスパするのをスパっとやめて、その分浮いたお金で、家族サービスをしませんか。SPAに連れていってあげることや、パスタ屋さんに連れていってあげることができるはずです。家族みんな、驚きですね!そして、家族に笑顔が広まって、みんなhappyです。

または、タバコに使っていたお金で、同僚や部下や親友におごってあげるなり、何かをプレゼントしてあげるなら、幸せがグーンと一気に大勢に広がります。それだけでなく、みんなが健康になれます!

今が、タバコをやめる時です!なかなかやめることができませんよね!でも、今日決心しませんか。自分のために、周りのみんなのためにやめると。浮いたお金でみんなを笑顔にしてあげようと!

今日が、チャンスです。この時をお見逃しなく、タバコをスパスパする生活を今日、今からスパッとやめませんか。

一度決心しても誘惑が来るでしょう。だからこそ、キリストの神様に「タバコをやめます!どうかお助けください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」と祈りつつ、聖書を読みながら、聖書の言葉を告白しながら、誘惑に打ち勝って前進なさってください。キリストの神様のお助けがあれば、絶対にタバコと縁のない人生にできます!

さあ、聖書は「時」を重要視しています。聖書によって縛られるということはあり得ません。だから、安心してクリスチャンになれますよ。クリスチャンになったら、あれできない&これできないと縛られるのでなくて、今よりグーンとスキルアップして、その時その時に適った生き方ができるはずです。

それだけでなくて、クリスチャンになったならいつ死ぬ時を迎えても、天国へ行けるのです!クリスチャンになって「私はいつ死んでも天国なんだ!」という安心感のもと、日々の一秒一秒をもっと美しく、さらに豊かにしていきませんか。「時」に適って聖書の教えることを実践する生き方をしていくならば、皆さんの人生はグーンと豊かなものとなるのです!

次回の百人一読は・・・。外面的な美しさはいつまでも続かないものです。美貌もキレイなスタイルもいつかはすたれますね。でも、できるならば、いつまでも美しく生きたいものです。その秘訣は、聖書にあります!次回もお楽しみに。

<<前回へ     次回へ>>

【書籍紹介】
篠原元著『100人の聖書

『100人の聖書』

本書を推薦します!
「他の追随を許さない数と挿話」
――奥山実牧師(宣教師訓練センター[MTC]所長)
「牧師の説教などに引用できて便利」
――中野雄一郎牧師(マウント・オリーブ・ミニストリーズ)
「聖書に生きた偉人たちの画廊」
――峯野龍弘牧師(ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会)

ご注文は、全国の書店・キリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。

篠原元

篠原元(しのはら・げん)

1991年7月、東京都千代田区生まれ。プロテスタント・炎リバイバル教会伝道師。JTJ宣教神学校卒業、アンテオケ国際宣教神学校卒業、同神学院中退。現在、VIPクラブ、キリスト教各団体、ホテルなどにて講演、またテレビ番組「ライフ・ライン」などに出演するなど多方面で活動中。2017年1月に有志のメンバーにより設立された社会福祉活動団体「100人の聖書基金」の、学校・児童養護施設・病院などへの書籍寄贈活動に著者として携わっている。著書に『100人の聖書』(発行:イーグレープ)がある。

各種依頼などに関する問い合わせは、以下の教会ホームページまたは「100人の聖書基金」ホームページを参照。

炎リバイバル教会ホームページ
「100人の聖書基金」ホームページ

Facebookでシェアする Twitterでシェアする
関連タグ:篠原元

関連記事

クリスチャントゥデイからのお願い

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。

記事の一つ一つは、記者が取材をして書き上げ、翻訳者が海外のニュースを邦訳し、さらに編集者や校閲者の手も経て配信しているものです。また、多くのコラムニストや寄稿者から原稿をいただくことで、毎日欠かすことなくニュースやコラムを発信できています。

この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、読者の皆様にはぜひ、祈りと共に、サポーターとして(1,000円/月〜)、また寄付(3,000円〜)によって応援していただきたく、ご協力をお願い申し上げます。支払いはクレジット決済(Paypal)で可能です。希望者には、週刊メールマガジンも送らせていただきます。サポーターや寄付の詳細、またクレジットカードをお持ちでない方はこちらをご覧ください。

  • 金額を選択:
  • 金額を選択:

コラムの最新記事 コラムの記事一覧ページ

主要ニュース

コラム

人気記事ランキング