牧師の小窓(57)肉体が弱いとき 福江等

2016年12月4日22時41分 コラムニスト : 福江等 印刷
関連タグ:福江等
+牧師の小窓(57)肉体が弱いとき 福江等
十字架上のキリスト

昔、神学校で学んでおりました頃、チャペルの時間に聞いた話で忘れられないものがあります。それは、ある牧師が自分の教会の信徒を入院している病院に見舞いに行ったときの話です。

その信徒は長い間、教会の柱のような存在で、信仰者の模範のような人生を送ってきた人でありました。教会の諸活動には常に率先して参加されて、他の人々の希望となるような生涯を送ってこられた方でした。

ところが今は高齢となり、体も次第に弱ってきて、同時に精神的にも内向きになってきておりました。かつての快活な姿は見る影もなくなっておりました。体の衰えと同時に精神も衰えて、そのために、この信徒は自分の信仰は一体どうなったのだろうか、と考えるようになりました。

牧師が見舞いに行って彼のベッドのそばに腰をかけると、その信徒が内面の不安を語り始めたのです。自分はこの頃、時々、信仰を失ったのだろうかと思う時があって、本当に悲しい、考えることが暗くなり、心も弱ってしまいました、自分はすっかり不信仰になってしまいました、と内面の苦悩をありのまま牧師に語ったのでした。

その時、牧師はこの老信徒に次のように語りました。「あなたがそのように感じられるのは、自然なことであって、決して自分を責める必要はありません。肉体が弱いときは、それが精神に作用して、心も弱く感じるのはごく自然なことです。あのヨブのことを考えてみてください。彼ほどの素晴らしい信仰者でさえも、自分の体が病気にむしばまれていったとき、神様に敵対するような言葉さえ発しました。自分がこの世に生まれてこなかった方がよかったとさえ口にしています。それだけではありません。イエス・キリストご自身をご覧ください。あの極限の苦しみの時、キリストでさえ、『わが神、わが神、どうして私をお見捨てになられたのですか』という叫びを上げています。あなたが今の心身の試練の中で、信仰がなくなっているのではないかとお感じになるということは、まさしく、あなたの中に確かに信仰が生きているという証拠なのです」と。

なんという真実の言葉でしょうか。40年たっても忘れることができないお話です。

<<前回へ     次回へ>>

福江等

福江等(ふくえ・ひとし)

1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)、『天のふるさとに近づきつつ―人生・信仰・終活―』(ビリー・グラハム著、訳書)など。

福江等牧師フェイスブックページ
高知加賀野井キリスト教会ホームページ
高知加賀野井キリスト教会フェイスブックページ

関連タグ:福江等

関連記事

クリスチャントゥデイからのお願い

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。記事の一つ一つは、記者や翻訳者、さらに編集者の手などを経て配信されているものです。また、多くのコラムニストや寄稿者から原稿をいただくことで、毎日欠かすことなくニュースやコラムを発信できています。

この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、読者の皆様にはぜひ、祈りと共に、毎月定期的にサポートする「サポーター」として(1,000円/月〜)、また単発の「サポート」(3,000円〜)によって応援していただきたく、ご協力をお願い申し上げます。支払いはクレジット決済で可能です。申し込みいただいた方には、毎週のニュースやコラムをまとめた申込者限定の週刊メールマガジンを送らせていただきます。サポーターやサポートの詳細、またクレジットカードをお持ちでない方はこちらをご覧ください。


コラムの最新記事 コラムの記事一覧ページ

新型コロナウイルス特集ページ

人気記事ランキング

おすすめのコンテンツ【PR】

コラム

主要ニュース