「個を脅かすものに敏感になるべき」国家神道的なものの復活に強い危機感 憲法学者の斉藤小百合氏(2)

2016年7月8日18時08分 記者 : 行本尚史 印刷
+「『個』を脅かすものに敏感になるべき」国家神道的なものの復活に強い危機感 憲法学者の斉藤小百合氏
最近の共著書である元山健・建石真公子編『現代日本の憲法』第2版(法律文化社、2016年4月14日)で、斉藤教授は「第15章 地方自治」「第27章 平等」「第28章 思想・良心の自由」「第29章 信教の自由と政教分離」の執筆を担当した。

国家神道の残りと訴訟の判決にみる目的効果基準

あらためて本当に私たちは戦前の国家神道をきちんと解体したというか、あれが何だったのであって、現行の日本国憲法においてはそれをどうしていくべきなのか、真剣に考えてきたのでしょうか。国家神道の残滓(ざんし)、残りみたいなものっていうのが、津地鎮祭判決も含めて、さっき言及した石川県の白山比咩(ひめ)神社っていうのは少し、「ザ・国家神道」みたいなものではないと思うんですけど、公共空間における神道というのをきちんと精算してきたのだろうか、と。

それに前後して出てきていた北海道の砂川神社に、要するに公民館と神社が一緒になってしまっていて、公民館の入り口のところに鳥居があって、土地を共有していたっていうものですよね。あれも典型的にまさに国家神道的にやってきてしまったからこそ、公共的な施設と神社が土地などを共有するとか、くっついてしまっているっていうことが起こっているのだと思うのですけれど、これもそうであるように、津地鎮祭から始まって、愛媛玉串料(※注10)もそうであり、自衛官の合否訴訟(※注11)であったりとか、一連のものがそうであるように、結局、戦後もずっと憲法の20条がどのような訴訟で争われてきたかというと、旧国家神道をいかに解体するのか、その残滓をどうするかということをずっと問われて来たのだと思うのですね。

それが問われてきたのだと思うのだけれども、でもそれが津地鎮祭判決みたいな形で、あんまり20条がきちんと生かされなかった。一番めがけていたのは国家神道のはずなのに、その牙を抜けないという効果しかなかったわけですよね。しかも、愛媛玉串料訴訟では確かに違憲判断が出たけれども、結局、目的効果基準を適用することについては、合憲という判断をした2人の裁判官も目的効果基準を適用することには同意しているので、結局、(多数意見にくみするものの、「意見」を述べた)2人の裁判官のみが目的効果基準の有効性を問題視しているにすぎないということになってしまっています。

これは、津地鎮祭判決でも5人の裁判官が(合憲の判断に)反対意見を述べていたのからすると、後退にも見えます。それだけ、目的効果基準が通用力を持ってしまっているというか。目的効果基準というのは、「分離」が原則だけれども、実際には「政教」の関わり合いは「程度問題」で、限度を超えなければ多めに見ることができる、ということに帰結するわけです。あるいは、「分離原則」が語られながら、即座に「でも例外が認められます」という構造になっているというか。

そこで、そもそも神職が司式する宗教行事に直接的に市の公金が支出される、といった問題について憲法判断をするために有用な基準とは言えないのではないかという疑念があるわけです。それでも、この目的効果基準を厳格に適用する余地はあるので、愛媛玉串料訴訟のように違憲の結論も引き出される、と。

愛媛玉串料訴訟のように、政教分離原則について厳格な立場も示されてきたこともあって、では、目的効果基準的な判断枠組みを憲法規範化してしまおう、というのが、まず2005年11月に公表された自民党の改憲草案で、この草案では、20条3項に「国および地方公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない」という文言が盛り込まれていました。

次に、2012年4月の自民党改憲草案では、もう少しスリム化されて、でも主旨は同様で、20条3項に「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」が付け加えられています。緩和された政教分離原則が固定化されて、靖国神社に参拝するのも、伊勢神宮を政治利用するのも、特段、憲法問題とはならなくなってしまうわけです。

国家神道の復活がキリスト教会やキリスト者にとって持つ意味

―国家神道の復活は、日本のキリスト教会やキリスト者にとって何を意味するのでしょうか?

斉藤小百合教授:さっきの20条をめぐる訴訟のお話をしましたが、なかなか負け戦的ではあったけれども、やはり主として頑張ってきたのはキリスト者が多いのだと思うのですよね。それは、やはり、国家神道下で痛めつけられてきたっていうことがあるでしょう。ただ、組織のピラミッドの上のほうではまずくっついちゃうっていうことを決断してしまったわけですから、戦争責任を表明されてはいるものの、主流派のキリスト教会はやっぱりもう一回、マイノリティーのクリスチャンの人たち、マイノリティーの教派の人たちというのが徹底して生き残れないというか、あるいは植民地化された地域のクリスチャンたちは、自分たちの信仰を貫いていこうとすれば、社会に居場所がないっていうことになってしまった状況を思い起こし、伝えていかなければならないのでは。

日本社会の中では全然マイノリティーではあるんだけれども、でも何となく主流派意識があると、大きな組織によってしまいがちだったりとか、権威にすり寄ってしまいがちだったりするのだと思うのです。たぶん私たち誰もが何となく権威にすり寄ってしまいがちだと思いますが、そうした私たちの弱さへの戒めというのを歴史的に振り返ってみれば、戦前のキリスト教会は、そういうたどってきた道というのがあるわけです。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

っていう(マルティン・)ニーメラー(牧師)の詩があるじゃないですか。手遅れにならないところで、あらためて振り返って、国家神道下におけるキリスト教会はどうだったのか、キリスト者はどうだったのか―特に小さな群れですよね―ということを振り返って、大きなものにすり寄らなければならない信仰ではなく、小さな人と寄り添える信仰を私たちは貫いていかなくちゃならないことを、国家神道的なるものが何だか大きくなってくる中で、あらためて吟味しないとならないのかなというところでしょうかね。でも、それは本当に勇気を必要とすることだと思います。

やはり、「個」の自由というのを脅かされる状況にあるわけじゃないですか。やはりキリスト者は一番それに敏感であるべきなのだと思います。神と自分との関係というのを揺るがされてしまうわけですから、それは組織としての教会が崩れるかどうかっていうことも、もちろん重大ではあるけれども、私たちの信仰ってやはり絶対的な神と自分との関係のところにかかっているわけで、まさに「個」であることを崩されてしまったら、そこが揺るがされてしまうので、そのことに私たちは敏感でなくてはならなくて、信教の自由にしても政教分離原則にしても、その一番の核心部分は個であることだと私は思っていて、それが危うくなっているのが現状だし、自民党改憲案に進んでしまえば、それが本当に憲法体制として確定してしまうのですよね。だからそれに敏感にならないといけないのかなって。

「『個』を脅かすものに敏感になるべき」国家神道的なものの復活に強い危機感 憲法学者の斉藤小百合氏
斉藤教授による記事が掲載されている月刊誌『まなぶ』(労働大学出版センター刊)。左から順に2016年6月号、2015年増刊号、2015年9月号、2015年5月号。表紙は長沢和子さんによるもの。

法の支配と個人

(月刊誌『まなぶ』[労働大学出版センター刊、2016年6月号]にある斉藤教授の記事「『法の支配』ってどんなこと?」について)ここ数年来、「立憲主義」という考え方が、よかれあしかれ、ひんぱんに取り沙汰されるようになりました。立憲主義的な憲法である日本国憲法の最も重要な条文は憲法13条です。「すべて国民は個人として尊重される」と。やっぱり「個」っていうことだと思うのです。

今回あらためて考えたのは、法の支配の法っていうのが、単に統治の手段であるのではなくて、尊厳ある個人としてちゃんと扱うような法でなければならないのではないかと。だから法が知らされていなければならないとか、誰にでも平等に適用されなくちゃならないだとか、昨日までこうだったのに今日になったら変えてしまうような朝令暮改みたいなことはしてはいけないとか、その意味で安定的でなくてはならないとかっていうのは、法を適用されている人っていうのを、ただ統治の客体として扱うのじゃなくて、尊厳ある個人として扱うっていうところに趣旨があるのかなと、今回あらためてそんな風に思って書きました。

―今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
 斉藤小百合教授:どうもありがとうございました。

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斉藤小百合(さいとう・さゆり)

1964年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業、同大学大学院行政学研究科修士課程、博士課程修了(学術博士)。現在、恵泉女学園大学人間社会学部国際社会学科教授(憲法学)。元々は信教の自由や政教分離原則を自らの専門として、1996年9月から1998年12月まで、雑誌『時の法令』(大蔵省印刷局刊)で、故奥平康弘氏(国際基督教大学教授・東京大学名誉教授=当時)が第1回から書いていた連載記事「宗教の自由の系譜」を第4回から第23回まで奥平氏と共に執筆した。最近の共著書である元山健・建石真公子編『現代日本の憲法』第2版(法律文化社、2016年4月14日)では、「第15章 地方自治」「第27章 平等」「第28章 思想・良心の自由」「第29章 信教の自由と政教分離」の執筆を担当した。その他の共著書に『学生のためのピース・ノート』(御茶の水書房、2013年、第2部「日本とアジアの歴史から」第3章「日本国憲法と平和」を担当)、元山健・建石真公子編『現代日本の憲法』(法律文化社、2009年、第12章「地方自治」、第28章「平等」、第29章「思想・良心の自由」、第30章「信教の自由と政教分離」を担当)、自由人権協会編『憲法の現在(いま)』(信山社、2005年、第7章「『国家と宗教』の周辺をめぐって」を担当)、『憲法でまなぶ「自由、人権、平和」—知らないでは、すまされない!』(労働大学出版センター、労大ブックレットNo. 11、第1部「基礎からまなぶ 立憲主義 個人としての尊重 国民主権」で「憲法は、現状に疑問を持ち、立ち上がる人には大きな力になる」を担当)など。『キリスト教史学』第62集(2008年7月)では、公開シンポジウム(第58回キリスト教史学会大会)「国家とキリスト教—その歴史的関係を『今』に問う」での発題「立憲主義との邂逅と、その不在」を著した。最近では、同センター(東京都千代田区)の月刊学習誌『まなぶ』で、「『法の支配』ってどんなこと?」『まなぶ』2016年6月号(No.712、特集「ゆがむ『法の支配』」)、「自由ならば、なにをしてもいいの!?」『まなぶ』2015年5月号(No.698、特集「自由と権力を考える」)、「憲法を活かすためのたたかいからみた『表現の自由』の戦後」『まなぶ』増刊号(No.704、2015年11月号「戦後70年、そして71年へ」)、「『ホンネ』の行動も『武力』も排除してきた日本国憲法 戦争を放棄した憲法を有する日本にこそ、多様な人々を包摂し、交流を豊かにする地域共同体の形成への期待が貢献できる」『まなぶ』2012年11月号(No.666)、「日本の片隅で『権力監視』を叫ぶ」『まなぶ』2010年6月号(No.634)を執筆している。また、東京YWCAの機関紙『東京YWCA』No.704 、2015年5月号では「『憲法9条』という希望をつなぐ」という記事を著している。また、キリスト教団体などでの憲法カフェやキリスト教会などで
講演活動も行ってきている。斉藤教授によるその他の論文や記事はこちら

※ 注10 愛媛県玉串料訴訟…愛媛県が、靖国神社および愛媛県護国神社に玉串料、献灯料、供物料等として公金を支出した行為は憲法20条および89条に違反するとして争われた住民訴訟。最高裁は、県が玉串料等を靖国神社又は護国神社に前期のとおり奉納したことは、その目的が「宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり」、「憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たると解するのが相当である」として、この支出を「違法というべきである」とした。元山健・建石真公子編『現代日本の憲法』第2版(法律文化社、2016年4月14日)、斉藤小百合教授による第29章「信教の自由と政教分離」289−290ページにある「愛媛県玉串料訴訟」の欄を参照。

※ 注11 自衛官合祀事件…殉職した自衛官が、隊友会山口支部連合会の申請によって1972年に護国神社に合祀された。その妻が、合祀申請の取り消しと、宗教的人格権の侵害に対する慰謝料の支払いを求め、国と隊友会に提訴した。最高裁は、1988年、目的効果基準に照らして、政教分離原則違反を否定した。元山健・建石真公子編『現代日本の憲法』第2版(法律文化社、2016年4月14日)、斉藤小百合教授による第29章「信教の自由と政教分離」290ページ「自衛官合祀事件」の欄を参照。

※ 注12 砂川政教分離訴訟:2010年1月、北海道砂川市が所有する土地を町内会に無償提供し、町内会では公民館(集会所)として使用していた建物の一角に神社のほこらが設置されていたことが政教分離原則に違反するかが争われた。最高裁の判例はこちら()。元山健・建石真公子編『現代日本の憲法』第2版(法律文化社、2016年4月14日)、斉藤小百合教授による第29章「信教の自由と政教分離」290-291ページ「空知太神社訴訟」の欄を参照。

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