オバマ米大統領広島訪問後初の主日 世界平和記念聖堂でミサ「記憶を刻む」必要性訴える

2016年5月29日23時21分 記者 : 土門稔 印刷
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世界平和記念聖堂で行われたミサ=29日

オバマ米大統領が広島を訪問してから最初の主日となる29日、広島市内の教会では、ミサや礼拝がささげられた。原爆で信徒の多くが亡くなったカトリック幟町教会の世界平和記念聖堂で行われたミサの中で福田誠二神父は、ドイツの「記憶・責任・未来」委員会について触れ、日本でも歴史に対して「記憶を掘り起こし、刻みつけることで責任を自覚する必要がある。そこから初めて未来への志向が立ち上がってくる」として、次のようなメッセージを述べた。

今週はキリストの聖体(聖体の祝日)とされています。これはドイツのケルンから始まり、それが全世界の教会の祝日となっていると教会史の神学書には書かれています。

私がしばらくいましたドイツのミュンヘンという町は、先の大戦で町全体が爆撃され、ほぼ全ての建物が破壊されました。もともとカトリックの多い地方ですので、5月8日に戦争が終わると、周辺の村や地下壕に逃れていた人が地上に姿を現し、町の中央に当時の大司教、司祭、シスター方が集まりミサを行い、ご聖体を掲げ破壊された町のビルの周りをずっと祈り歩きながら、ビルのがれきの中にそのままになっていた多くの戦争犠牲者のご遺体を掘り起こして弔い、埋葬することから始めたということです。

ドイツ語で今日のご聖体の日を「Fronleichnam(フロン・ライヒナウ)」と申します。「ライヒナウ」は直訳すれば「亡くなった人間の体」「ご遺体」を表します。「フロン」は「聖なる」という意味。聖なるご遺体、それをご聖体と理解しているわけです。

ドイツの戦後の復興はそこから始まりました。犠牲者のご遺体を掘り起こして葬る中で一番中心となるのは、イエス様が十字架の死の3日目に復活されたということです。その一点に期待と希望を持ちながら戦後のドイツの復興が始まったのです。

今日の第二朗読、パウロのコリントの教会への手紙には、いわゆる聖体制定、御ミサの原型の最初の記事がはっきりと書いてありました。

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で杯も、同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。(Ⅰコリント11:23~26)

「わたしの記念として」とはドイツ語では「Gedächtnis(ゲデヒトニス)」、英語ではメモリアル、つまり「はっきりとした記憶」です。それは過去の出来事をただ思い起こすのではなく、イエスの言葉は永遠に、現在もまさに今も実現されている、この瞬間もイエス様と同じ十字架の苦しみのそばにあることで、イエス様は一緒に進んでおられる。そのイエス様のうちに私たちも共にあずかるという言葉なのだそうです。

その「記念」にはイエス様自身の人間性、ミッション(使命)、地上でイエス様がなすべき全ての救いの業が、イエス様自身の人間性の中にしっかりと現れている。それゆえに、十字架に進まれたイエス様のあらゆる思いを、今の私自身、一人一人が自分の心にしっかり刻み、しっかり生きるようにということが、イエス様の記念ということの意味そのものです。

言うまでもなくこの数日間、この広島の地にアメリカの大統領オバマさんが来られたことが話題になり、メディアでいろいろな方々がいろいろな見解を述べておられます。おおむね肯定的な評価があったと思います。けれども同時に、それはまだまだ新しい課題の出発点であるという論評もたくさんありました。

戦後のドイツでも戦争に関するいろいろな議論がありました。どこに原因があったのか。どうしてあんなことが起きたのか。誰に責任があってどう償うべきか。どう新しく出発するべきなのか。大変な議論がありました。

ドイツには「記憶・責任・未来」委員会というものが政府と教会、民間の方々で作られました。しっかりした記憶を全員でしっかり記憶する。どうしてあのような戦争が、どの辺りから何が原因で起きてしまったのか。国民全員がなぜあんなことを許してしまったのか。どの時点で国民全員が立ち上がってそれを防ぐ責任があったのか。

その全てをしっかり掘り起こしてしっかり刻み記憶すること。そして、本当のことを刻んで記憶した人には、記憶全体から本当の責任が湧き上がってくるのです。しっかりした記憶から湧き上がってくる責任に基づいて、自分たちはどこから何をどのように未来に向けてするべきか。それが「記憶・責任・未来」委員会というものです。

オバマさんの広島訪問は、いろいろな意味があって素晴らしいことだと思いますが、日本においてなぜ広島に原爆が落とされたのか。なぜ日本はあのような戦争を始めたのか。誰に責任があるのか。最後は私たち国民全員に責任があるのではないのか。ならば、どのような可能性があったのか。どの時点でどのような認識と行動を持つべきだったのか。その全体をしっかりと認識・記憶しないと、本当の責任が自覚されません。

本当の記憶から責任をもって、そこから本当の未来に対する本当の一歩が始まる。これが、戦後のドイツの政府、教会、キリスト教、そして一般の方々の立場と考え方でした。

何か私たち日本の社会では、ちゃんとした認識・記憶、そこからの本当の責任というものが、私を含めて足りないように私自身は思っています。

今日のイエス様の「記念」という言葉、これは単なる過去ではなく、今現在進行中でそこにイエス様が実際に働いておられる、十字架にかかっておられる、それを私たちはしっかり認識し記憶し、責任をどこかでふさわしく自覚しなければいけない。

そこから、自分たちが何をどうすべきかがはっきりと、未来へ向けて立ち上がってくる。大変な作業で大変なことだと思いますが、何かこの数日間の議論とメディアの報道の中では、それが十分にないような思いがしております。

私たちはまずイエス様の出来事、イエス様がいったい何を願い、どういう使命のもとで人生を生きられたのかを知らなければならない。ある神学者はそれを「危険な記憶だ」と言っています。「これを記念しなさい」「記憶しなさい」というその記憶自体が大変危険な記憶だと言っています。決して楽な、自分には危害が及ばない、安全地帯にいてただ思い出すことでは全くない。イエス様の道を本当に理解して記憶する人は、自分にとっても危険なものになる。その認識が、私はとても必要だと思います。

私たちの信仰は、ただ祈ればいい、ただ家族が平安になればいい、そういう信仰だけではありません。イエスと真剣に正面に向かえば、どこかで私たちにもイエス様の歩みのように危険なところまで行くかもしれない。そこに私たちも参与しなければいけないという時が来る、必要がある、そう思っています。私たちのこの教会の十字架は、イエス様が実際に歩まれた「危険な記憶」の一端をはっきりと表している十字架でもあります。

もちろんそれをどう生きるかは、私たちそれぞれが自分で祈りのうちに選び取ればいいわけですが。しかし、あらためて、今回のオバマさんの広島訪問に関して、私たち幟町教会のミッションは非常に深いものがあり、そこにはイエスに従っていく本当の道が、本当のイエスの福音を生きる喜びがあるのだろうと私は感じています。

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