京都ハリストス正教会で「アトスの修道士」写真展と司祭の特別講演会

2016年2月25日13時04分 記者 : 土門稔 印刷
京都ハリストス正教会で「アトスの修道士」写真展と正教会司祭の特別講演会
京都ハリストス正教会・生神女(しょうしんじょ)福音大聖堂には、30枚以上のイコンが飾られている。 ©Hirohito Nakanishi

写真家・中西裕人氏の写真展「Stavros アトスの修道士」が6日から11日まで、京都ハリストス正教会で開かれた。11日には裕人氏の父で、日本正ハリストス正教会司祭のパワェル中西裕一氏による特別講演会「アトスの修道士たちとともに―正教の祈りと修道院の生活―」も行われ、約100人が訪れた。

この写真展は、世界遺産として知られるギリシャ正教の聖地アトスを30回以上訪れている裕一氏と裕人氏が親子でアトスを訪れ、修道院や修道士の祈り姿を間近でカメラにとらえた貴重な写真展。2015年夏のキャノンギャラリー銀座を皮切りに、札幌、梅田(大阪)など全国で展示が行われ、今回は同教会で企画された。

裕一氏は、日本大学の教授として古代ギリシャ哲学と東方キリスト教思想の研究を続ける中、正教会の洗礼を受け、現在は日本ハリストス正教会東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)司祭も務める。15年ほど前から、30回以上アトスの修道院に通い、修道士と交流を持ちながら生活と祈りの体験を重ねてきた。

裕一氏によると、アトスはヘロドトスの『歴史』やホメロスの『イーリアス』の中にも記され、神聖な土地として注目されており、今から約千年前に修道士たちが暮らすようになったという。現在は20の修道院に約2千人の修道士が生活しており、ギリシャ共和国憲法でも自治区として規定されている。

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写真展を開催した中西裕人氏と、父の裕一司祭

ギリシャ正教の人間観について

裕一氏は「ギリシャ正教の人間観」について触れ、正教の信仰を象徴する言葉として、師父ニッサのグレゴリオスの言葉を引用した。

「創造のはじめ、人間は神の善が何も欠けていないまま誕生し、人間のすべきわざは、ただその善きものを守ることであって、獲得すべきことではなかった」

他のキリスト教会では「罪」「原罪」を重視するが、正教会ではそうではないという。「私たちは生まれた時点では神に最も近かったが、生活し過ちを犯すうちにそれを失って神様から遠ざかってしまう。その失ったものを取り戻さなければならない」「そこで神様をイメージしていく道行きとしての生活そのものを大切にするのが、正教の信徒の歩みなのです」と強調した。

正教会で使われるギリシャ語『七十人訳旧約聖書』の創世記では、「人間は神の"像"(似姿)と"肖"に従って創造された」(1:26)と記されている。これは、人間は神のイメージを持って生まれてきた素晴らしい存在である、ということを示している。

しかし、それを生活の中で失いつつある、そういう自分を見つめて、再び神の与えてくれた元の姿へ戻ろうというのが、カトリックやプロテスタントとは違う部分であるといえる、と語った。

「だからある意味では明るいともいえます。罪に打ちひしがれて暗い存在というキリスト教徒のイメージに比べると、私たちは明るいかもしれません。写真に表れている修道士たちの気さくな表情にもそれが表れています」と述べた。

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講演する裕一司祭

実践的な正教の信仰

そして「正教会の信仰は、概念や知識ではなく非常に実用的です」と語り、『フィロカリア』(新世社)から、聖大アントニオスの言葉を引用した。

「人は、しばしば誤った意味で理性的であると言われる。理性的な人々とは、弁舌と賢者の書物とについての学識がある人々のことではなく、理性的な魂を持ち、何が良いことであり、どのようなことが悪いのかを識別することができる人々のことである。彼らは、邪悪なこと、魂を害することを避け、善いこと、魂のためになることを熱心に心がける。そしてそのことを、神への心からの感謝をもってする。このような人々だけが、真の意味において理性的であると言われるべきである」

裕一氏は「だから概念的に考えるのではなく、明日からどう生きたらいいのか、神様にふさわしいようになれるのかを追求して生きる。そのために神様にお祈りして生きる。神様がいなければ私たちに救いはない、と実践して生きているのです」と語った。

アトスの修道生活の中では「知識を持っても役に立たなければ、何の意味があるのですか」と常に問われるという。

「修道院というと、禁欲生活をして自らの罪のことだけを考えているように思われるが、そうではなく、自分が神様に向かって生きていけるかということを考えるのが正教の修道生活なのです」と述べた。

さらに、海外の放送局が制作した、アトスをテーマにしたドキュメンタリー番組を上映しながら、修道院の様子や生活についての詳しい解説も行った。

京都ハリストス正教会で「アトスの修道士」写真展と正教会司祭の特別講演会
祈りをささげる中には東欧系の信徒の姿もあった。

正教の実践的な知恵について

裕一氏はある時、お世話になった修道士たちに「エフハリストー(ありがとう)」と言うと、「その言葉は神様に言う言葉だよ」と言われたことがずっと印象に残っていたが、それがある時、師父のある教えにつながったという。

「もし、お前が、ある人から物質的に助けてもらったので、神を考えずに彼を称賛する場合には、後になって同じ人が、お前には悪人と思われるであろう」(『フィロカリアⅠ』(新世社)修得者マルコス「霊的な法について」より)

「さまざまな意味が昔の師父たちの言葉に隠されている。後になってその意味に初めて気付くことがある。客観的な知識ではなく、自分の生き方にどう関係していくかということを教えてくれているのが師父たちの言葉なのです」と裕一氏は話す。

「祈りの中でもこれらの言葉が読み上げられる。信仰体験の中で言葉だけではなく、それが心と体となっていく。そのような生活を積み上げ、天国へと向かって歩いていくという確信を持って生きている人たちの生きる現場が修道院なのです」

人はなぜアトスを訪れるのだろうか。裕一氏は最後にこう語った。

「私たちは、日々の中で、時に確信が揺らぎ、迷う。アトスには、確信を持って生涯を生きる人がいる。だからこそ、そのような場所に行きたいという巡礼者が、世界から絶えないのではないでしょうか」

「アトスを訪れる巡礼者は修道士の話を聞き、会話をします。そして家に帰り、それを家族や友人に伝え、『あなたのために祈ってきました』と言います。正教会は、祈りは自分のためだと考えません。もし自分のための祈りがあるとすれば、みずからの「罪の赦(ゆる)し」だと考えます。祈りは自分が出会ったさまざまな人のことを思い起こし、祈ることが根底にあります。そして一番大事なことは、神様を讃美することにあるのです」

講演の後には、1901年に建造され京都市指定有形文化財に指定されている、同教会の生神女(しょうしんじょ)福音大聖堂で、裕一氏により祈祷がささげられた。

京都ハリストス正教会で「アトスの修道士」写真展と正教会司祭の特別講演会
生神女(しょうしんじょ)福音大聖堂で裕一司祭により祈祷がささげられた。 ©Hirohito Nakanishi

同聖堂は、平等院鳳凰堂など古寺社の修復に携わる一方で、京都府府庁旧本館や中国の旧大連市役所などを設計した建築家、松室重光(1873~1937年)によって設計された、本格的なビザンチン建築としては国内最古のものだという。

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