米宣教師の孫ギューリック3世が各地を回り、戦前の日米「人形」交流再び

2015年6月4日17時18分 記者 : 新庄れい麻 印刷
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渋沢雅英さん(中央右)から、「渋沢さくら」と名付けれらた市松人形を受けとるシドニー・ギューリック3世(中央左)=5月30日、渋沢史料館(東京都北区)で

昭和初期に日米親善を願って、約1万2千体の「青い目の人形」が、キリスト教宣教師シドニー・ギューリック(1860〜1945)によって、日本の子どもたちに贈られた。その返礼として、日本からは実業家の渋沢栄一(1840〜1931)がまとめ役となり、58体の「答礼人形」が米国に贈られた。祖父の志を受け継ぎ、米国のメリーランド大学教授で孫のシドニー・ギューリック3世(78)は日本各地を回って「新友情人形」を寄贈しており、このほど、その250体目となる人形が渋沢史料館(東京都北区)に贈られた。その歓迎式典が5月30日、同館で開催され、ギューリック3世と渋沢栄一のひ孫にあたる渋沢雅英さん(90)が初めて対面を果たした。

ギューリック3世からは、「サラ」と名付けられた女の子の人形が贈られ、雅英さんからは「渋沢さくら」と名付けられた市松人形が贈り返された。この市松人形には、「渋沢あすか」という双子の妹も一緒に作られており、サラと共に6月9日から8月30日まで、同館で公開される。式典では、88年前に米国から日本に人形が贈られた際、文部省が制作した「人形を迎える歌」が私立川村小学校(東京都豊島区)によって合唱され、歓迎の気持ちを表現した。

シドニー・ギューリックは、米国の外国伝道会「アメリカン・ボード」から派遣され、25年にわたって日本での伝道活動に従事した。ギューリック家は日本との関係が非常に深く、祖父であるピーター・ギューリックの墓は神戸の外国人墓地にある。ギューリック一家の多くは献身者で、ピーターの子どもたちも8人中5人が日本で働いている。シドニーの父であるルーサー・ギューリックも、米国聖書協会の中国・日本担当責任者としての働きを担った。シドニー自身も、熊本、大阪、松山などで働いた後、同志社大学や京都大学で科学概論や宗教学の教鞭を取り、宗教教育に大きく貢献した。

シドニーは病を患ったことをきっかけに、1913年に帰国するが、その頃の米国では排日の動きが強まっていた。日本人移民に対する排斥運動が過熱し、24年に「排日移民法」が成立すると、いよいよ日米関係は悪化の一途をたどる。シドニーは、米キリスト教連盟に事態の改善のために努力することを求め、自ら日本人居住地区の調査を開始。その調査から明らかになった実情や、日本に関する著作を数多く出版し、平等な移民法案を提唱していった。

米宣教師の孫ギューリック3世が各地を回り、戦前の日米「人形」交流再び
新友情人形の「サラ」(左)と、新答礼人形の「渋沢あすか」と「渋沢さくら」

シドニーの働きは、米国民に日本の正しい知識を与えることに寄与したが、彼は、世界平和の実現のためには、子どもの頃からの教育が何よりも大切だという考えを深めていく。子どもの国際親善の心を育む「世界児童親善会」を設立したシドニーは、全米の少年・少女団体、教会の日曜学校に呼び掛けて、世界各国の子どもたちに贈り物を届ける運動を始める。本やおもちゃ、カバンなど、それぞれの国に合わせた贈り物が集められた中で、日本の子どもたちにと選ばれたのが「人形」だった。日本に長く滞在していたシドニーが、ひな祭りの文化を知っており、子どもたちが「青い目の人形」という動謡を口ずさんでいたのを聞いていたからだと考えられている。

この「Doll Project(人形計画)」は、シドニーから、日米協会会長であった渋沢栄一に持ち掛けられた。渋沢は、人形を受け入れるために「日本国際児童親善会」を設立し、政府への働き掛けを行った。それを受けて、外務省は人形の関税免除を決定し、文部省は人形の全国配布を受け持つことを承諾するという、国全体を巻き込んでのイベントに発展した。

27年の1月から3月にかけて横浜港に到着した人形は、小学校や幼稚園に配られ、当時珍しかった西洋人形は、子どもたちに大きな喜びを与えたという。人形を受けとった学校や園の児童たちの寄付によって、日本からも答礼人形が用意され、横浜港から米国のハワイ、サンフランシスコ、シカゴ、ワシントンへと届けられた。答礼人形は米国で熱狂的な歓迎を受けたといい、この人形による交流が、両国の友情と信頼を確かに築くこととなった。

だが、時代が第二次世界大戦へと突入すると、日米は敵対関係に陥り、人形たちは「敵国のスパイ」などと呼ばれるようになってしまった。1万体以上あった人形は、次々に破壊されたり、燃やされたりしてしまい、戦後発見されたのはわずか300体ほど。米国では、24体の現存が確認されているという。シドニーを通して贈られた人形の多くは失われてしまったが、「シドニー・ギューリック」の名前は、ギューリック家では代々末っ子に名付けられ、その志は現在にまで確かに受け継がれている。

米宣教師の孫ギューリック3世が各地を回り、戦前の日米「人形」交流再び
1927年12月27日に米ワシントンで行われた答礼人形の公式歓迎会で。後列中央がシドニー・ギューリック(写真:渋沢史料館所蔵)

今回で14回目の来日となるギューリック3世に話を聞くと、祖父であるシドニー・ギューリックについては、「彼と会ったのはわずか数時間だけで、しかも、彼が亡くなる数週間前のことだった」と言い、「祖父は85歳まで生きましたが、もう少し生きて、じっくりと日本について話を聞きたかったです」と残念な様子だった。しかし、「日本を心から愛し、子どもたちが大好きなのは、祖父も私も同じです」と、柔らかな笑顔で話してくれた。

今回贈られた人形のサラは、長いブロンドの髪で、青い目をしている。旅行用カバンの中には手作りのナイトウェアや着替えが入っており、レインコートを着て長靴を履き、傘も持っている。ギューリック3世は、「これからの梅雨の季節でも大丈夫」と茶目っ気たっぷりに紹介。また、88年前の人形たちと同じように、パスポートを持っている。このパスポートの有効期限は「なし」とのことだ。

「新友情人形・サラ」「新答礼人形・渋沢あすか」の展示に関する詳細・問い合わせは、渋沢史料館(電話:03・3910・0005、ホームページ)まで。

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