マンデラの陰で語られなかった話 南アフリカから

2014年5月27日19時30分 記者 : 行本尚史 印刷
+マンデラの陰で語られなかった話 南アフリカから
ネルソン・マンデラが投獄されていた独房(写真:世界福音同盟)

世界福音同盟(WEA)は20日付で、同団体のグローバル大使であるブライアン・C・スティラー氏による記事「マンデラの陰で語られなかった話 南アフリカから」を公式ウェブサイトに掲載した。以下は本紙によるその全文の日本語訳(非公式)。

私はネルソン・マンデラが投獄された27年間のうちの18年間を過ごした独房に立っていた。それは今では取り立てて言うほどのことはないように見えたが、それでもそれはいくぶん神聖なものであるように思えた。ケープタウンに近い南アフリカ沿岸のすぐ沖合にあるロベン島を私たちが歩き回ると、私はマンデラの感情を想像しようとしたり、アフリカ民族会議(ANC)の同僚たちとのたくさんの会話を聞こうとした。

そこには、ムダだという感覚が、彼らの理想に対する希望と入り混じっていたに違いない。

白人による少数政権から黒人と有色人種の両方への移行は、他に類を見ない。アパルトヘイトと呼ばれる政治制度は20世紀の初期を通じて発展し、1960年代に最盛期を迎えた。関連の法律がより抑圧的で不条理なものになるにつれ、マンデラは地下で抵抗を指導し、ついには、ANCの彼の仲間たちと同じく、白人による法廷で有罪判決を受けた。抵抗が反乱となった時、政府はそれらの法律を変える必要があることにやっと気付き、彼らは結局獄中にいるマンデラと協議した。彼らは彼の即時釈放と、1994年に総選挙が行われることを約束したのである。

1990年、世界はマンデラが出獄しフェリーに乗ってケープタウンへ渡るのを見つめては驚いた。彼の平和に満ちた存在感、彼の整然とした言葉、彼を逮捕した人たちに対する彼の敬意、注意深く考え抜かれた信念は、彼が違うタイプの指導者であることを示していた。彼の成熟した知恵と礼儀正しい振る舞いは、彼がいつの日か統治をするかもしれないということを示していた。

これは私たちがみんな知っている話である。しかしその背景には、主要なメディアがあまり報じていない話があったのだ。アパルトヘイト下での何十年にもわたる苛酷な支配を経て、抑圧された多数派は簡単に報復を追求できたかもしれない。ところが、彼らの敵対心の主な焦点は、自らの民自身にあった。なぜなら黒人社会は分裂していたからである。マンデラがANCを指導する一方で、南アフリカの大きなズールー族の首長であるブテレジは独立自由党(IFP)を指導した。両者はお互いに激しく言い争い、殺人も頻繁に起きていた。

南アフリカは、多数派として生き残る必要性が入り交じったオランダ改革派教会の教義に染まった人たちによって支配されていた。これは、奴隷制の慣行を永続させながらそれを聖書的に防衛しようとした米国初期の開拓移民の立場と似ているところがある。しかし南アフリカには他にも霊的な影響があり、その最も支配的なものの一つは、1917年に死去しながらも、240冊を超える著書にキリスト教思想の豊かな遺産を残した聖職者、アンドリュー・マーレーの遺産である。祈りに関する彼の著書は今も世界中で読まれ、評価されている。

南アフリカのキリスト教指導者たちは、起ころうとしていたその紛争を見て、重大な変革の時における平和的解決のために、祈りの取り組みを結集した。同時に、ANCとIFPの指導者たちは、暴力を止めなければならないことがわかっていたので、米国からヘンリー・キッシンジャーを、英国からキャリングトン卿を招いて仲介を助けてもらうことで合意した。事態を助長していたのは、来る選挙でズールー族の投票を禁じるぞというブテレジの脅しだった。これは、マンデラが選ばれた場合―それは既定の結果ではあったが―、ブテレジは主要な部族が投票に加わっていないのだから、その選挙は不当だと宣言するかもしれないことを意味していた。これによって、結果的に、マンデラが負託なしに大統領になり、それは白人によるアパルトヘイトの法律が崩れつつあるまさにその時、部隊を集結させて紛争が高まりかねないという非難の的であった。すばらしい移行と見られていたことが、悪夢になりつつあったのである。

神のとりなしに頼ることのない上層部による仲介がムダであることを知っていたのは、アフリカン・エンタープライズの南アフリカ人指導者であるマイケル・キャシディであった。彼は、その交渉に加わってもらおうと、しばしば「優しい巨人」と呼ばれていたクリスチャンの教授である、ワシントン・オクムに声をかけたのだった。

選挙まで13日前の1994年4月14日、キッシンジャーとキャリングトンは飛行機に乗って帰国し、キッシンジャーは自らが内戦の到来と見なしたものによって100万人の人々が死ぬという予言をした。

マイケル・キャシデイは行動を起こし、ダーバンにある球場を賃借すると、南アフリカ全土で祈祷会が始まった。祈祷会が行われている間に、ワシントン・オクムは、その紛争を防ぐ方法を見つけようと、一晩中IFPと一緒に働いた。合意書を手に、ブテレジ首長の支持を得るために、彼はヨハネスブルグにある空港へと急いだが、彼の到着は遅すぎた。首長はすでに出発したのだ。少なくとも彼はそうだと思った。搭乗して数分経ってから、彼(首長)の操縦士は、機器に問題が起きてヨハネスブルグに帰らなければならなかったと言った。

ワシントン・オクムはブテレジとの会合にこぎつけたのだった。

4月17日、2万5千人が祈りのためにダーバンの球場に出かけ、全国のより小さな祈祷会と軌を一にしていた。その貴賓室で、ワシントン・オクムとブテレジはデクラーク大統領との決着について最終的な議論を行い、何千人もの人たちが平和的解決のために祈っている間に、一つの計画を打ち出したのだった。

10日後、選挙が行われた。首長は自らのズールー族の人たちに投票することを認めたのだった。マンデラが選ばれ、部族紛争で死んだ人は1人もいなかった。

指導力と技能、そして祈る意志の収斂(しゅうれん)が、何十年も残酷さに苦しめられた国に変革をもたらした。善のためのものすごい可能性を秘めた時に、その世界の中へ入ってきた脅威があまりにも重大で、この国は引き裂かれてしまいそうだった。マイケル・キャシデイはクリスチャンの指導者としての力を発揮した。キリスト教信仰の学者であるワシントン・オクムは、交渉にかなりの技能を尽くした。何千人もの人たちがこの国のために祈りのうちに手を差し伸べ、御霊が誰にも予想できないような形でとりなしてくださるだろうと信じていた。そして神がご自身のシラスであるマンデラに、国民を将来にわたって導かせたのである。

世界福音同盟
グローバル大使
ブライアン・C・スティラー

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