三谷和司の記事一覧

福音の回復(57)復活を信じられる信仰 三谷和司

福音の回復(57)復活を信じられる信仰 三谷和司

科学者が、この世界に神などいないと言うとき、それは正しい。なぜなら、この世界は滅び行く性質を帯びているので、滅びることのない神には住めないからだ。この世界は有限であって、それに対して神は永遠なので、有限の中に永遠は入り込めないのである。

2018年03月31日21時17分

三谷和司

福音の回復(56)なぜ苦しみがあるの? 三谷和司

今回考えてみたいことは、「キリストゆえの苦しみ」以外の「苦しみ」についてである。心を神に向けようとすることで生じる「キリストゆえの苦しみ」は神が助けてくださり、「安息」へと導かれるが、ならばそれ以外の「苦しみ」はどうなるのかである。

2018年03月17日8時36分

三谷和司

福音の回復(55)苦しみをも賜った?(後編) 三谷和司

「キリストゆえの苦しみ」とは、心を神に向けようとすることで生じる苦しみであり、「肉の思い」との戦いを意味する。それは激しい戦いではあるが、この戦いを通じて神を信頼できるようになり、人を愛せるようになる。

2018年03月03日18時04分

三谷和司

福音の回復(55)苦しみをも賜った?(前編) 三谷和司

ともすると、こうしたコラムでは「苦しみ」の話は避け、ハッピーな話に終始する傾向があるが、私たちは「苦しみ」をも賜っていることを無視することはできない。そこで今回のコラムは、「苦しみをも賜った?」である。

2018年03月03日17時56分

三谷和司

福音の回復(54)頑張らなくていい? 三谷和司

クリスチャンになったなら、自分の重荷を下ろすことができ、生きることに喜びを覚えるようになる、はずである。ところが現実は、クリスチャン生活を送るにつれ、しんどくなったと訴える人は後を絶たない。

2018年02月17日23時15分

三谷和司

福音の回復(53)神のために生きる? 三谷和司

その昔、武士はお殿様のために生きると言い、奴隷は主人のために生きると言い、親は家族のために生きると言った。今日でも、親は家族のためにと言い、会社員は会社のためにと言い、野球選手はチームのためにと言い、オリンピック選手は国のためにと言って生きる。

2018年02月03日18時00分

三谷和司

福音の回復(52)罪を悔い改めよ? 三谷和司

聖書を詳しく調べてみると、「罪を悔い改めよ」というセリフは1カ所もないことに気付く。今回のコラムは、「罪を悔い改めよ」について考えてみたい。私たちが普段当たり前のように言っている、「罪を悔い改めよ」の誤りを正したい。

2018年01月19日7時28分

福音の回復(51)キリスト者の希望 三谷和司

福音の回復(51)キリスト者の希望 三谷和司

キリスト者にとっての希望、それは一体何だろう。キリスト者は、何を希望に生きるのだろうか。何がキリスト者の喜びとなるのだろう。新年最初のコラムは、「キリスト者の希望」について語ってみたい。

2018年01月03日5時54分

福音の回復(50)闇の中に光を見た 三谷和司

福音の回復(50)闇の中に光を見た 三谷和司

人は神に似せて造られました。そのいのちは、神のいのちを吹き込まれて造られました。「神である【主】は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった」(創世記2:7)

2017年12月23日18時35分

福音の回復(49)十字架の意味(前編) 三谷和司

福音の回復(49)十字架の意味(後編) 三谷和司

キリストの十字架は、私たちの罪を背負った十字架であった。その罪とは「神と異なる思い」であり、それは神との結びつきを失う「死」が原因であった。罪となる「神と異なる思い」は、まさしく「死」から来た「とげ」であった。

2017年12月09日19時08分

福音の回復(49)十字架の意味(前編) 三谷和司

福音の回復(49)十字架の意味(前編) 三谷和司

なぜ、キリストは十字架にかかられたのか。どうして、十字架にかかる必要があったのか。今回は、「十字架の意味」について考えてみたい。十字架の意味については、昔から議論が繰り返されてきたが、今回はその議論に参戦してみたい。

2017年12月09日19時07分

三谷和司

福音の回復(48)罪の源流を探る―2つの罪 三谷和司

今回は、「罪」の理解を深めるために「罪の源流」を探ってみたい。源流が分かれば「罪」の姿も鮮明になり、どうして罪を「死に至らない罪」と「死に至る罪」に分類するのかも分かるようになる。

2017年11月23日18時39分

三谷和司

福音の回復(47)救いは取り消されることがある? それともない? 三谷和司

今回のコラムは、いったん手にした「救いの義」が、行いによって取り消されることがあり得るのか、あるいは「堕落」は可能なのかについて考えてみたい。要は、本当に信じるだけで救いが確定し、何があろうとも天国に行けるのかということである。

2017年11月08日6時19分

三谷和司

福音の回復(46)信じるだけで救われる―2つの義 三谷和司

今回のコラムは、神からの「義」は2つあることを説明したい。それが分かると、聖書は一貫して、「信じるだけで救われる」ことを、すなわち神の「恩恵」を受け取りさえすれば救われることを教えていると分かる。

2017年10月26日16時04分

三谷和司

福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説(後編) 三谷和司

日本で広く使われている聖書は、「新共同訳聖書」「口語訳聖書」「新改訳聖書」であろう。それらの聖書には、イエス・キリストを信じる「信仰」によって人は義とされることが書かれている。

2017年10月13日6時52分

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