著者は、一般にシルクロードの用語(※)で知られる交易路網について、バイブル・メシアロードという表記を使用している。なぜならこの道を通して、西アジアから中央アジアを経て東アジアへと、イエス・メシアの教えである聖書が伝わり、人々がバプテスマを受け、イエスの教会が建てられていったからである。
著者は東方キリスト教会の研究者として、2009年に「日本景教研究会」を発足してから、その源流を探る旅を続けてきた。特に、中国唐代の景教徒たちが使用していた言語がシリア語(アッシリア東方教会の東シリア語)でもあったことから、シリア語を話す現地話者から直接学ぶ必要を覚え、トルコの教師に学び始めた。
それまでは、ある神学校のシリア語講座で学び、シリア語辞書や文法書で学習した。ところが導かれて、2023年と24年、26年の3回にわたり、シリア正教会の修道院や諸教会を見学しつつ、シリア語を話す現地教会役員の教師3人から直接、発音や筆順、基本文法などを学ぶ貴重な機会が与えられた。
今回は、創世記や各福音書の第1章、主の祈りなどの発音を学び、それをビデオに収め、何度も聞いては親しんでいる。
23年と24年の訪問については、既に記してきた。3度目の訪問となる今回は、トルコ北東のアララテ山とその付近まで行った。その経緯について、これから記していきたい。
アララテ山は大小2つがあり、大きい方は標高5137メートル、小さい方でも富士山より高く3896メートルで、大変雄大であった。創世記8章4節でアララテ山は、シリア語やヘブル語の聖書で見ると複数形で書かれている。

ガイドについていくと、そこには小さなノアの方舟博物館があった。


続いて一行は、ノアが方舟から降りて住み着いたと伝わる地にあるアルメニア使徒教会の古代墓地を訪ねた。その地域一帯やアルメニア共和国でも使徒タダイやバルトロマイが宣教したと伝わる。墓石は十字が彫られ、無造作に立っていた。
早速カメラに収め、拓本を採った一部を紹介する。拓本作業は風が強く、紙を石に当ててもめくれ上がり、きれいにはできなかった。帰国後にペーパーを当て、写真を見つつ作り直すと、判然としてきた。墓石の一部にはアルメニア語が彫られており、貴重なものといえる。




一行が帰ろうとしたとき、一人の高齢男性が近づき、トルコ語で自分の家に来るよう誘ってきた。3分ほど歩いて家の門に着くと、門の前にある石を指し、これがノアの方舟に付いていたといわれる6つあったいかりの一つだと言うのであった。
玄関に着くと、お茶とお菓子が出された。男性は、奥から一冊の本を持ってきて、私たちに見せた。そこに掲載されている写真には、彼の若き日の姿があり、大きな墓石を紹介するものであった。一期一会の出会いであったが、この方から多くのことを伺い、有益な旅となった。(続く)


(※)シルクロードの用語は、ドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン(1833〜1905)がその著書『中国(China)』で、古代の東西交易路を「絹の道(シルクロード)」と名付けたのが最初。特に絹が重要な品として盛んに流通していたことからであろう。他にも果物や麦など多くの物品が流通していたことは周知のことである。
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