その後、民はハゼロテを立って進み、パランの荒野に宿営した。(民数記12:16)
今日の箇所に続く場面で主は、イスラエルの民を約束の地に近い場所からあえて向きを変えさせ、遠回りさせたことが書かれています。これは何を意味し、私たちはこれをどのように適用することができるでしょうか。
主はイスラエルの民が荒野を通るとき、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らし、いつも彼らの前を行かれました(参照・出エジプト13:21)。私たちの歩みにおいても、次のブレイクスルーを目の前にしながら、主が私たちを一歩一歩導き、整え、備えるために、あえて遠回りさせる場面があるのです。
イスラエルの民は、そこから約束の地をわずかながら見ることはできたでしょう。私たちもある時点で、神様が与えられた夢やビジョンの一部分を垣間見ることがあります。しかし、後で振り返ってみると、その時点ではまだ、次のレベルに行くほど成熟していなかったと気付くのです。
今、主はあなたのどの領域を取り扱おうとされているでしょうか。後ろのものを忘れ、前にある一つのことに集中して一心に走ることでしょうか(参照・ピリピ3:13)。あれこれと余計なことを考えるのではなく、ただ神に従い、悪魔に立ち向かうことでしょうか(参照・ヤコブ4:7)。
たとえ何度も読んだことのある御言葉であっても、ある時、突然聖書から浮き出るように、特別な意味を持って私たちの心に語りかけることがあります。
今日、主があなたを成長させたいと願っておられる領域について、主に尋ねてみましょう。全てを一度で正すことはできませんが、主は一歩一歩、私たちを前に導いてくださいます(詩篇37:23)。主によって荒野を導かれ、私たちはついに、約束の地へと足を踏み入れるのです。
GOD BLESS YOU!
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