ヨハネの黙示録に出てくる7つの教会がある「アジヤ」と呼ばれる地域は、エーゲ海の東側、現在の小アジア(トルコ)西部に位置します。西暦50年ごろ、パウロ先生が2回目の伝道旅行で、聖霊によって伝道を禁止された地域でした。
「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った」(使徒16:6)
その地域は現在、遺跡群で有名です。ギリシャ神話に登場するアルテミスなどの偶像崇拝が盛んだった地域で、初代教会時代はギリシャ語を話しました。
パウロ先生はその後、エーゲ海沿岸の広い地域に福音を伝え、後年、福音は全ヨーロッパに広がりました。
1. 恵みと平安
ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。…(黙示録1:4、5)
「わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である」(黙示録1:20)…燭台の油は聖霊を表し、個人に与えられる聖霊がおられますが、教会にも天から送られた聖霊がおられることを意味しています。
「その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である」(イザヤ書11:2)…初臨イエスの上に聖霊が留まる預言ですが、聖霊の性質を説明しています。①御父の霊、②知恵の霊、③悟りの霊、④はかりごとの霊、⑤能力の霊、⑥主を知る知識の霊、⑦主を恐れる霊。
「人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」(ピリピ4:7)…神の平安が、私たちの心、精神、思考を守ってくれる祝福があります。
4節を黙示とギリシャ語原典で解くと、「世の終わりの時が近づいたことで、イエス・キリストの黙示が使徒ヨハネに啓示された。そのヨハネから、パウロの宣教により建てられた異邦人教会である、アジヤにある7つの教会へ。今おられ、永遠の昔におられ、後に来られる方である御父から、また、その方の御座の前におられる7つの教会の7つの御霊から、また、真理に忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、王の王であるイエス・キリストから、一方的な恵みと揺るぎない平安が、あなたがたにあるように」となります。
これは、手紙が書かれた西暦100年ごろ既に、ユダヤ人中心の教会時代が終わり、異邦人中心の教会時代に入っていたことを示しています。また、異邦人教会が、聖霊によって全世界に数多く建て上げられていく未来を指し示していて、世界の7タイプの教会を説明し、御使いと聖霊の協力で教会が建てられることを表しています。
実際に、教会は今日に至るまで、聖霊によって全世界に数多く建て上げられてきました。そして、将来必ずイエス・キリストは再臨し、最後の審判が行われ、滅びるべき者と救われるべき御国の子たちを分けられます。
故に、悪魔と悪霊たちの支配下にあるこの世にあっても、私たち信じる者には、全ての根源である御父と、神の栄光と力である聖霊と、道、真理、いのちであり、王の王であられるイエス・キリストによって、恵みと平安が与えられるのです。
2. 王国で祭司
…イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。(黙示録1:5、6)
「あなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」(出エジプト記19:5、6)
黙示と引用聖句、ギリシャ語原典から解くと、「イエス・キリストは私たちを愛し、ただ一度、十字架の死による犠牲の血によって私たちを罪から贖(あがな)い、死の滅びから解放してくださいました。また、御子キリストは、御父のために私たちの礼拝を王国とし、私たち礼拝者を王国の祭司としてくださいました。このキリストに、王国の統治者としての栄光と力とが、永遠にあるように。アーメン」となります。
イエス・キリストの犠牲とは、十字架の死にまで御父に従った私たちへの愛であり、私たちはイエスの血によってのみ、罪による死の滅びから救われます。神は、さらに私たちの集まりを御国の王国とし、私たちを王国の祭司とし、キリストと共に御国の王族として共同相続人とされました。
私たちは、この素晴らしいキリストの福音のために、王の王キリストに栄光と力とが永遠にあるように心から願い、真実をもって「アーメン」と同意するのです。
3. 雲に乗って来られる
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」(黙示録1:7、8)
「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた」(ダニエル書7:13)
「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く」(ゼカリヤ書12:10)
7節を黙示と引用聖句から解くと、「再臨の主が人間に最後の裁きを行われるとき、人であるキリスト・イエスが天の雲間から雲に乗って降りて来られ、全ての目、ことにキリストを否定した者たちとキリストを処刑したイスラエルの民たちが、キリストを見る。地上の罪人たちは皆、神の御子を処刑したことを彼の故に嘆く。その通り、アーメン」となります。
「イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。『わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない』」(イザヤ書44:6)
8節を黙示と引用聖句から解くと、「天の御父と御子である主キリストと聖霊なる神、今おられ、永遠の昔におられ、最後の審判に来られる方、天地万物の支配者である神が、こう言われる。『わたしは万物の初め(アルファ)であり、万物の終わり(オメガ)である。天地万物の創造主以外に神はいない』」となります。
まとめ
「神である主」とは、天の御父と神である聖霊と御子キリストとの三位一体の神です。今、私たちの間に存在し、永遠の昔から存在し、やがて最後の審判のために来られる裁き主であり、いのちの書に名が記された者たちの救い主である、御国の支配者です。
私たちは、やがて雲に乗って天から降りて来られる主イエス・キリストを見て、罪人は神の御子キリストを処刑して殺したことを悟り、救われる者たちは白い衣を着せられ、喜びに満ちあふれて天に上げられます。
神ご自身が、永遠の昔から存在したこと、今も生きて存在すること、後も永遠に存在することを証しされました。私たちキリスト者は、主イエス・キリストが御国を永遠に統治されることを望み、共に創造主を礼拝し賛美し、栄光と力を褒めたたえ、地においても天においても王国の祭司たちなのです。
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