人生は、何を目的に生きていけばよいのでしょうか。何によって目的達成と考えられ、最終的にはどんな終わり方をすればよいのでしょうか。日本の社会情勢は今、政治的にも経済的にも不安定で、健康面でも不安を覚えます。果たして私たちは、日々の生活の中で覚える不安と恐れ、失望による空虚感から逃れられるのでしょうか。
社会が目まぐるしく変化しているため、信仰で物事を考え、問題解決のために祈っても、その最中に次の新しい問題が発生してしまいます。またテレビや新聞からは、正しい情報を入手するのが困難な現実もあります。私たちは、聖書から終末時代を理解することで、祈りの質を向上させ、信仰を成長させる必要に迫られています。
聖書が私たちに教えてくれるものは、まさに人生の目的と、それに対する確信です。
1. 神の言葉とイエスの証し
私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。(黙示録1:9)
聖書全体とギリシャ語原典から解くと、「私ヨハネは、イエスから最高指導者である使徒に選ばれたが、信仰者としては一兄弟であり、あなたがたと共に、信仰による苦難と、御国の恵みと力、度重なる忍耐とにあずかっている者です。私ヨハネは、黙示録を書き、聖書を完結させるために、神から啓示されるイエス・キリストの黙示の言葉と、臨在体験によるイエスの証しとのために、パトモスという島に島流しにされ、試練の中で信仰が高められています」となります。
旧約聖書の創世記から、神はご自身の計画を神のしもべたちによって啓示してきました。イエス・キリストが地上に生まれ、十字架刑で死なれて3日目に復活し、昇天されたことにより、新約時代に入りました。使徒たちを中心に新約聖書が神の啓示によって書かれ、終末時代の神のご計画が全人類に知らされてきたのです。
しかし、12使徒の最後の生き残りであるヨハネが、最後の聖書であるイエス・キリストの黙示を書き上げないと、聖書に書かれた御国の福音が不完全なものになります。
ヨハネの黙示録により、具体的な神による裁きや刑罰、また、地下と地上、世と天の状態、天の構造と救われた人たちの状態や待遇などの実態が、明瞭かつ具体的に示されました。旧約聖書の最初に書かれた創世記から始まった聖書全体は、新約聖書の最後に書かれた黙示録にある御言葉とイエスの証しで完結するのです。
2. 御霊に感じ
私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」(黙示録1:10、11)
「神を拝みなさい。イエスのあかしは預言の霊です」(黙示録19:10)と御使いはヨハネに言いました。
10節をギリシャ語原典と聖書全体で解くと、「使徒ヨハネは、主の復活を記念する主日に、預言の霊である御霊に感じて、後ろに進軍ラッパの音のような、主の大きな声を聞いた」ということです。
私たちもこの終わりの時代、教会の主日礼拝で説教者からハッキリとした声で聖書からの御言葉を聞き、預言の霊である聖霊が働かれ、御霊に感じて神の大きな声を聞くことができます。
11節を解くと、「預言の声はこう言った。『あなたの見た幻を急いで書物に書き記して、7つの教会、すなわち、パウロの宣教で建てられた初代異邦人教会であるエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい』」となります。
創世記の時代から、神の国はイスラエル民族中心に建国されてきましたが、イスラエル民族は神に不義を行ったことで散らされ、国を失い、再建のための大試練の時代を経験しました。その後、救世主であるイエス・キリストが地上に現れて世の終わりの時代になり、まずユダヤ人へイエス・キリストの福音が語られ、ユダヤ人中心にエルサレム教会が建てられました。
次に、異邦人へ福音が語られ、全世界に救いが起こり、後の終末時代にはイスラエル民族が皆救われます。そして、主イエスの再臨に続く最後の審判が行われ、ついにイスラエルが再興され、新天新地が完成されるということです。
故に、異邦人教会の代表的な7つの教会にイエス・キリストの黙示が使徒ヨハネによって記述され、聖書の完結編として書き送られたのです。神は預言者を通さずには何も語られないのであり、イエスの証しは聖霊という預言の霊で語られ、天の御国の民は同じ御霊によってそれを聞き分けます。御霊による霊感によって書かれた聖書の御言葉は、信仰者の内にある御霊による霊感によって解き明かされ、信仰者は神の真理と奥義を知ることになります。
3. 人の子
そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真ん中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。(黙示録1:12、13)
「ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした」(黙示録1:2)
「幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた」(ダニエル書7:13)
「見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた」(同10:5)
12節を解くと「ラッパの音のように私に語りかける声が誰なのか見ようとし、見た全てを証しするために振り向くと、キリスト教会におられる聖霊を表す金の燭台が、全世界を表す7つ見えた」となります。
13節を解くと「全世界の教会を表す燭台の真ん中には、全身の聖別を表す、足まで垂れた衣を着て、御国の大祭司を表す金の帯を胸に締めた、神の子で、かつ人の子のような方であるイエス・キリストが見えた」となります。
使徒ヨハネに啓示された預言は、全てが神の言葉とイエスの証しです。教会には、イエスの名によって与えられた聖霊がおられ、真理の光を照らす預言の霊が祭司であるキリスト者たちの教会に働いています。そして、全世界のキリスト教会の間を大祭司イエス・キリストが巡り歩き、全キリスト教会を一つの御国と見なし、イエス・キリストの啓示を御霊が与えています。
まとめ
ヨハネの黙示録により、旧約聖書から新約聖書までの神のご計画の記述について、その実態が明瞭かつ具体的に示されました。聖書全体は、黙示録にある御言葉とイエスの証しで完結する構造をなしているのです。
私たちもこの終わりの時代、礼拝で説教者によりハッキリとした声で聖書の御言葉を聞き、預言の霊である聖霊の働きで、御霊に感じて神の大きな声を聞くことができます。聖霊という預言の霊が私たちのうちに働き、祭司の教会に、真理といのちの御霊が働いています。
使徒ヨハネに啓示されたイエス・キリストの黙示は、全てが神の言葉とイエスの証しです。教会には聖霊がおられ、教会の聖霊は幕屋の燭台として表されており、真理といのちの御霊の光に照らされた教会を意味しています。
聖書に「いのちの御霊」とあるように、イエス・キリストを信じる者には、永遠のいのちが保証されます。
神は、全世界のキリスト教会を一つの御国と見なし、それら祭司の教会の間を大祭司イエス・キリストが巡り歩かれ、御霊による御言葉と幻による啓示、しるしと不思議のわざによるイエス・キリストの証しを、キリストの教会に与えています。
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