浦上四番崩れ津和野流刑150周年、「乙女峠まつり」で行列や野外ミサ

2018年5月3日00時37分 印刷
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+浦上四番崩れ津和野流刑150周年、今年も「乙女峠まつり」 行列や野外ミサなど
「乙女峠まつり」の様子。信教の自由の大切さを覚える意味を込め、1954年からは毎年、憲法記念日の5月3日に開催されている。(写真:山岡浩二氏提供)
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禁教令が敷かれる中、250年余り潜伏して信仰を守ってきた隠れキリシタンが、長崎の大浦天主堂に姿を現した「信徒発見」。直ちに「大事件」としてローマに伝えられたが、すぐに明治政府による大規模なキリシタン弾圧「浦上四番崩れ」が起きた。集団で信仰を表明した浦上村(現・長崎市)のほぼ全村民約3400人が日本各地に流刑されたのだ。村民たちは各地で拷問を受け、約660人が殉教したとされている。

流刑地の1つ、津和野藩(現・島根県津和野町)には153人が配流され、厳しい拷問により老若男女36人が殉教した。津和野への流刑は明治元年の1868年に行われ、今年はちょうど150周年。毎年、憲法記念日の5月3日に殉教者を偲ぶ「乙女峠まつり」が行われており、今年も千人以上が参加して開催される。

浦上村の隠れキリシタンは多くが農民で、神道研究が盛んだった津和野藩は当初、無学な農民を改宗させるのはたやすいと見て、穏便な説論による改宗を試みた。しかし、津和野に配流されたのはリーダー格の信徒やその家族らで、多くが改宗を拒んだ。そのため津和野藩は、身動き取れないほど小さな「三尺牢(ろう)」に閉じ込めたり、氷の張った池に投げ込んだりする激しい拷問を加えていくようになる。

配流者が幽閉されたのが、津和野町の乙女峠にあった古寺「光琳寺」だった。イエズス会のドイツ人司祭パウロ・ネーベル神父の働き掛けなどにより、カトリック広島司教区が太平洋戦争開戦前の1939年、光琳寺跡地を購入。戦後の51年に「乙女峠記念堂」(乙女峠マリア聖堂)を建立した。

浦上四番崩れ津和野流刑150周年、今年も「乙女峠まつり」 行列や野外ミサなど
聖母マリアと津和野の殉教者36人にささげる聖堂として建立された「乙女峠記念堂」(乙女峠マリア聖堂)(写真:同提供)

その翌年から毎年、聖母行列や野外ミサなどを行う「乙女峠まつり」が開催されている。憲法記念日の5月3日に開催されるようになったのは54年からで、信教の自由の大切さを覚える意味が込められている。

主催する津和野カトリック教会のサイトによると、今年は2日夜に前夜祭が行われ、3日は午前10時から「まつり行列前式典」、正午から「乙女峠殉教者を偲ぶミサ」(司式:白浜満・広島司教)が行われる。同教会の山根敏身主任司祭は「明治維新150年の記念が各地で祝われる中、その時代に起こった出来事を忘れることはできません。皆さんと共に殉教者の信仰に学び、世界の平和と自由のために祈っていきたいと思います」とつづっている。

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