戦後70年、平和を守るために戦争を語り継ぐ 津田塾大でトークイベント

2016年4月12日21時36分 記者 : 坂本直子 印刷
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戦争がもたらす悲劇や、平和を守っていくためにはどうしたらいいかなど、参加者全員が各自の思いを述べた=9日、津田塾大学(東京都小平市)で

津田塾大学(東京都小平市)で9日、「戦後70年を超えて―あの時代を語り継ぐ」と題したトークイベント(津田梅子記念交流館主催)が開催された。学内外から約20人が集まり、戦争により家族の尊い命を奪われた体験者の話を聞き、戦争のない平和な社会を守っていくために今どのように行動していけばよいのかを考えた。

講師を務めたのは、出征先で戦死した父からの手紙を通して、戦争の悲惨さを語り継ぐ活動を続ける宮﨑黎子さんと、学徒動員を前に自死した兄の思いを伝え、個人の尊厳を奪う戦争の実態を訴える寺尾絢彦さん。二人に共通するのは、当時は幼すぎて、父や兄との直接の思い出がないことと、戦後かなり時間を経てその死の真相を知るようになったことだ。

宮﨑さんの父・矢野金治さんは、1910年に秋田県で生まれ、その後、上京し警察官として働いていたが、42年に「赤紙」が届き、出征した。当時の満州牡丹江で兵役につき、この頃から絵入りの手紙が届くようになった。金治さんは、宮﨑さんが生まれた翌年に出征しているため、宮﨑さんには父親の記憶が全くない。宮﨑さんは「戦地から送られたきた手紙から父親の人となりを知り、同時に父との距離の近さ・遠さを感じることになった」と明かした。

当初、金治さんは満州牡丹江からフィリピンのルソン島へ移り、45年7月にマニラ郊外で戦死したとされていたが、真相は違っていた。実際は45年9月に敗走(日本軍は「転進」と称していた)中に捕虜となり、収容所から移送される途中、軍用トラックが猛スピードで急カーブを曲がったときに、側板が外れ、振り落とされて絶命したのだ。このことは、戦後50年たって、当時の上官からの手紙で知らされたのだという。

宮﨑さんは、「終戦は8月15日だけではない」と話す。金治さんは終戦記念日とされる8月15日には生きており、「戦地ではなく、それも戦争が終わって、まさかそんなところで死ぬとは夢にも思わなかっただろう」と金治さんの無念さを代弁するかのように語った。「人間が起こした戦争でありながら、戦争が起きてしまうと人間の力ではどうすることもできなくなってしまう」「こういった事実を、小学生から大学生まで若い人たちにぜひ知ってもらいたい」と、津田塾大学で今回のトークイベントを開催した意義を話した。

戦後70年、平和を守るために戦争を語り継ぐ 津田塾大でトークイベント
戦争により家族の尊い命が奪われた体験を語る宮﨑黎子さん(写真左)と寺尾絢彦さん(同右)

寺尾絢彦さんは家庭裁判所の元調査官。16歳年の離れた兄薫治(のぶじ)さんが自死したのは20歳の時で、学徒動員として駆り出される5日前のことだった。当時4歳だった寺尾さんが覚えているのは、「心臓麻痺で亡くなった」ということで、兄の死については、戦後もずっと家族の間ではタブーになっていたのだという。

寺尾さんがそれとなく薫治さんが自死だったのではないかと思い始めたのは、小学校高学年の時。母親が「お兄ちゃんは薬を飲んで死んだ」とふと口にした一言がきっかけだった。1993年に母親が亡くなり、母の遺品の包みを開けたところ、兄の作文や手紙、成績表、徴兵検査通達書、横浜の学校で代用教員として過ごしたときの記録、オペラに出演したときの写真などが出てきて、兄のことが少し分かったように感じたと話す。

その後、代用教員をしていた頃の教え子たちから薫治さんのことを聞き、2014年、冊子『薫治兄さんとあの時代―私の子どもたち、そして孫たちへ―』にまとめた。それを朝日新聞が取り上げ、紹介したところ、薫治さんを知る人たちから連絡が入り、さらに生前の兄の姿を知ることができたという。寺尾さんは、「何も知らなかったら、単に戦争に行きたくない若者が世をはかなんで死を選んだ、で終わってしまうが、いろいろなことを知ると、この事実を知らせた方がいいと思うようになった」と薫治さんのことを語り継ぐ思いを語った。

寺尾さんは「兄が死を選んだ理由は、私には分からない。でも『つらかっただろう』ということはよく分かる」と述べた。「兄は、個人が徹底的にないがしろにされる軍隊が耐えられなかったのではないか」「軍隊は個人を失わせる究極の場所。そこに学徒動員で行かなければならなくなったときに、兄としては『自分の生きる場所がなくなってしまったな』という思いだったのではないか」と薫治さんの当時の心境を推測した。

戦後70年、平和を守るために戦争を語り継ぐ 津田塾大でトークイベント
寺尾さんが兄・薫治さんについてまとめた小冊子(写真奥)と、宮﨑さんの父・矢野金治さんが戦地より送った手紙の複製(同手前)

「兄は、『こんな戦争、勝てるわけがない』といつも口にし、そのたび母にとがめられていた」と数少ない薫治さんの思い出を語り、同時に「両親も大きな苦しみや悲しみを背負うことになった」と話す。「母は兄の死を『なぜ、止めることができなかったのか』と自分を責めつつも、『でも、息子を人殺しにしなくてよかった』とも言っていた」という。「父は『息子の代わりに犠牲になった若者がいるかもしれない』と戦地に子どもを送った親たちのことを思っていた」と語った。

さらに「当時は出征を拒否することはできなかったため、軍隊に身を置くことが嫌で、自殺をした人も多かったのではないか」と話す。「戦争を始めてしまったらどんな非人間的な手段を取っても勝たなくてはならない。だから、そうなる前に戦争を阻止しなければならいない」と力を込め、現在社会に見え隠れする「戦争」の危険性を察知する想像力の大切さを語った。

2人が話した後、参加者からは感想や意見が多く寄せられた。この日は、薫治さんの代用教員時代の教え子も参加し、当時の思い出を語った。また、宮﨑さんと同じように肉親の死の真相を戦後かなりの時間を経て知らされたというある参加者は、ずっと自分が戦争の被害者だと思っていたが、韓国との交流を通して自分たちもまた加害者であることを知ったという体験談を明かした。また、津田塾大学4年生の女子学生は、戦争の記憶を若い世代に受け継いでいくためには「考え続けることが必要」だと意見を述べた。

このトークイベントに合わせて、2人の遺品を集めた企画展が3月28日から4月10日まで津田海子記念交流館で開催された。

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