社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(4)暗黒街の光

2016年2月18日16時39分 執筆者 : 栗栖ひろみ 印刷
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1909(明治42)年12月24日。賀川は布団や衣類の入った行李(こうり)、本、書棚を載せた荷車を引っ張って葺合新川(ふきあいしんかわ)のスラムに引っ越してきた。

車は一番人口の多い北本町6丁目の大通りを西に曲がり、10軒続きの長屋の2軒目のぼろぼろの家の前に止まった。彼が借りた部屋は、表が3畳、奥が2畳に仕切られていた。殺人があったらしく、壁には血が飛び散った跡が残っている。誰も借り手のない部屋なので、大家は月2円の家賃にまけてくれた。荷物を入れ、古道具屋から1枚1円20銭の畳を3枚買ってきて入れると、何とか住居らしくなった。彼は新しい生活を前に、ひざまずいて神の導きを祈った。

2日目の夕方、人相の良くない男が3人、肩で風を切って入ってきた。「ごめんやす。しばらくここに置いてくれへんか? 居る所がないよってなあ」。彼らは稲木、林、丸山と名乗った。賀川は快く3人を狭い家に入れ、同居させてやった。そのうちに、外でガヤガヤと人が騒ぐ声がするので見ると、新しく引っ越してきた彼に興味を持って、その辺りの人々が押しかけてきたのだった。彼らは珍しそうに窓から中をのぞき込んだ。

皆髪はバサバサ。体は垢(あか)で黒光りし、冬というのによれよれの着物を着ていた。その中に、おかっぱ頭や坊主頭が混じっているのを見て、賀川は微笑した。手招きすると、彼らは鼻をすすりながら入り口までやってきた。ちょうどその時、マヤス博士からおもちゃの入った大きな行李が二つ送られてきた。

「こっちへおいで。いいものがあるよ」。そう言って行李のふたを開けた途端に、わっと子どもたちが押し寄せてきた。「おもちゃおくれよう!」。彼らは下駄(げた)も脱がずに上がってきて、手づかみでおもちゃを奪い合った。

「あっ、だめだめ! けんかしないよ」。賀川は叫んだ。しかし、彼らは引っ張り合いをして、とうとうおもちゃをめちゃくちゃにしてしまった。それから、車がとれた汽車だの両手のとれた人形、引き裂かれた絵本などをしっかり抱えて帰っていった。「そうか。ここの子どもたちはおもちゃを買ってもらったことがないから飢えていたんだ」と、彼はつぶやいた。

12月27日の夜のことである、稲木が園田というやくざをつれてやってきた。園田は餅屋(もちや)に払うお金がないから5円貸せと言ってすごんだ。

「私だってないんだよ」と賀川が言うと、いきなり彼は火の入ったしちりんを畳の上に投げつけ、刃物で障子をめちゃくちゃにした。「お前の顔にも傷つけたろか」。そう言って詰め寄ってきたので、とうとう我慢できずに賀川は家を飛び出し、海岸に行った。

「神様、スラムに来たばかりで、もう自分は恐怖を覚え、心が弱っております。どうかこの新川の人々を愛する力をください」。賀川は、砂浜にひれ伏して祈った。すると不思議なことに、彼の中から力が湧き出してきて、自分を脅す男が少しも怖くなくなってきた。

彼が家に引き返すと、園田はまだあぐらをかいて座っていたが、疲れたようにぼんやりと台所の方を見つめていた。賀川は家に上がると、ひっくり返されたしちりんに火を起こし始めた。「ああ、ちょうどいい。一緒にご飯を食べていらっしゃいよ」。賀川はそう言ってご飯を炊き、ありったけのおかずを出すと、彼と一緒に食べ始めた。

「ところで、わいは金を借りに来たんや」。ご飯を食べてしまうと、また園田はすごんだ。賀川はため息をつき、たんすを開けると、全財産である20円をそっくり彼に与えた。「恩にきまっせ」と、園田は金をわしづかみにしてふところに入れると出て行った。賀川は荒らされた障子をはめ直すと、くたくたとテーブルの前に崩れ折れた。

「おじちゃん・・・」。その時、戸口で叫ぶ声がするので出てみると、おかっぱ頭の女の子が鼻をすすりながら人懐こい笑いを見せていた。「おもちゃおおきに。いつもこれで遊んでいるんや」。そして、両手のとれた人形を見せた。「そう。いい子だね。名前は?」「花枝」

すると後ろから、真っ黒な顔をした男の子がのぞいた。彼は全部車のとれた汽車を大切そうに抱えていた。熊蔵という名前だという。彼らの目は澄みきって、キラキラ輝いていた。(この暗闇のスラム街にも光があった。それはこの子どもたちの目に宿っている)。彼らを見送りながら、賀川はつぶやいた。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。

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