神様からのメッセージ―聖書は偉大なラブレター(26)聖書を翻訳した人たち―カール・ギュツラフの翻訳(日本語) 浜島敏

2016年1月9日07時11分 コラムニスト : 浜島敏 印刷
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神様からのメッセージ―聖書は偉大なラブレター(26)聖書を翻訳した人たち―カール・ギュツラフの翻訳(日本語) 浜島敏

このように、イスラエルの国から始まったキリスト教は、ヨーロッパに、アメリカに、またアジアにと伝えられ、アジアの東の端にある日本にも伝えられました。16世紀に伝えられたキリスト教は、カトリックといいますが、日本ではキリシタンと呼ばれていました。

カトリック教会は、キリスト教であることに違いはありませんが、聖書のことをあまり大切にしませんでした。ですから、その人たちが翻訳したといわれる聖書もあるにはあるのですが、残っていません。

ところが、150年ほど前にアジアにやって来た宣教師たちの中には、日本に上陸して、日本でキリスト教の教えを宣べ伝えようと考えている人たちがたくさんいました。結局日本に上陸はできませんでしたが、日本にやがて入って、キリスト教を日本人に伝えようと、アジアの各地で待ち構えている人たちもいました。その一人がカール・ギュツラフ(1803〜51)というドイツ人でした。

彼は、東洋伝道を目指し、勉強していました。そして、東南アジアから中国まで幅広い地域で伝道しました。彼には語学の才能があり、タイ語に初めて聖書を翻訳したり、中国語の聖書を改訂したりしました。

またとても活動的な人で、中国の奥地まで彼の行かないところはないといわれるほど、あちこちを訪ね、それぞれの地域方言に聖書を翻訳しました。一時は、韓国も訪れて、中国語の聖書をみんなに渡しています。

でも、ギュツラフは、いつか日本に行きたいと思っていました。そこに神様の不思議な導きで、3人の日本人がギュツラフのところに預けられることになりました。

この3人の日本人というのは、名古屋の近くの港から米を積んで、江戸(今の東京)まで運ぶ大きな船の船乗りでした。たくさんの米を積んで、港を出たときは、船乗りは14人でした。ところが、この船は名古屋を出るとすぐ嵐に巻き込まれて、太平洋を流されることになってしまいました。

1年以上太平洋をさまよっている間に、仲間がどんどん死んでしまいました。米はあったにしても、野菜などはまったく無くなってしまったでしょうし、それにひょっとして魚が釣れたかもしれませんが、それもいつもではなかったでしょう。

それよりもなによりも、水が足りなくなったと思います。時々降ってくる雨をためて飲んだでしょうが、とにかくそんな状態で一年以上もいれば、病気になっても当たり前です。1人死に、2人死にして、とうとう3人だけになってしまいました。でも、幸いなことにこの船は太平洋を流されて、カナダとアメリカの国境近くに着くことができました。

陸地を見た三人はとても喜んだでしょうね。ところが、それからがまた大変でした。そこに住んでいた原住民(昔はインディアンと呼ばれていました)に捕まえられて、奴隷にされてしまいました。

そこでも、苦しい生活をさせられていましたが、その原住民とイギリス人が貿易をしていました。彼らから、イギリス人は毛皮などを買っていたのです。そのイギリス人に見つけられ、3人をかわいそうだと思った彼らに助けられました。

それからは、しばらく本当に幸せに過ごしたのですが、イギリスの政府はこの3人の日本人は日本に帰してやろうということにしました。3人も日本のことを忘れたことはありません。どんなに喜んだことでしょう。

彼らはイギリスの船に乗って、ハワイ、南アメリカの南を通ってロンドンまで行き、そこから再び別の船に乗って、アフリカの南を回り、インド洋を通って、香港の隣のマカオに着いたのでした。ここまで来れば日本もすぐそこです。そこで、この3人はギュツラフのところにしばらく世話になることになったのです。

次に日本に行く船を待っている間、ギュツラフのところに滞在することになった3人は、ギュツラフから聖書の話を聞き、それだけではなく、聖書の翻訳の手伝いをすることになったのです。

当時、日本では中国や韓国と同じようにキリスト教は禁止されていましたので、これを手伝ったり、もし、クリスチャンにでもなれば大変なことです。もう二度と日本には帰れないばかりか、捕まったら死刑にされるかもしれません。

それでも、ギュツラフの親切と熱心さに負けて、手伝うことになったのです。やがて、そこに別の漂流にあった4人の日本人が加わり、7人で短時間に聖書のヨハネによる福音書を翻訳し終えて、シンガポールで木版出版しました。

さて、アメリカの船モリソン号が日本に日本人7人を送り届けることが決まり、7人は懐かしい日本に帰ることになりました。先に沖縄まで行っていたギュツラフも、沖縄からその船に乗って北に向かい、懐かしい名古屋の沿岸を通過し、江戸湾に入りました。

ところが、当時の日本は、もし外国の船が見つかったら、容赦なく攻撃するという方針でしたから、モリソン号を見た日本の役人は大砲を打つよう命令しました。7人の日本人は、6年ものつらい生活の後、世界一周をしてやっとのことで日本に来たのに、目の前に日本を見、日本人さえ見えるのに、上陸もできず、日本から追い返され、やむなくマカオに戻ることになったのです。

彼らの気持ちを考えるとつらかったでしょうね。彼らは、マカオに帰り、そのうちの何人かは神様を信じるようになり、香港でバプテスマを受けて、クリスチャンになりました。日本には帰ることができませんでしたが、外国で同じように漂流して困った日本人を助けて生活していたということです。ギュツラフはやがて、香港で亡くなり、香港の外人墓地に葬られました。

同じ頃、沖縄に上陸して、沖縄で伝道したベッテルハイムという宣教師がいました。彼も苦労しながら、沖縄の人たちに聖書を伝えようと、琉球語(沖縄の言葉)に聖書を翻訳しました。

ベッテルハイムも日本本土に宣教をする願いを持っていましたが、それはできませんでした。しかし、琉球の人たちに聖書を伝えたのでした。そのお陰で後にクリスチャンになった人が少なくとも3人はいることが、後の調べで分かっているそうです。

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 ◇

浜島敏

浜島敏(はまじま・びん)

1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。

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