聖書をメガネに 戦前と戦後を結ぶ平和の絆、一人一人の存在と役割(その2)

2015年9月5日23時10分 執筆者 : 宮村武夫 印刷

前回、宮本栄三・宇都宮大学名誉教授からご恵送頂きました、田畑忍編著『近現代日本の平和思想 平和憲法の思想的源流と発展』(ミネルヴァ書房)では、明治時代、また大正期と昭和前期の平和思想において、人物一人一人に焦点が当てられながら、平和憲法の思想的源流を多方面から明らかにしていることをお伝えしました。

明治時代の平和思想において紹介されている19名の人物の最後は、「徴兵を拒否した矢部喜好」です。1970年代、青梅キリスト教会牧師時代に、青梅市にあった引退牧師のホーム、信愛荘におられた矢部喜好夫人と個人的な交流をさせていただいており、今回特別な関心を持ってこの項目を読み、あらためて深く感動しました。

会津若松出身の矢部喜好(1884〜1935)少年は、日露戦争の始まる前、キリスト信仰に導かれ、聖書の教えをひたすら実行しようと歩み、1902年(明治35年)の春、会津若松の街頭で、「戦争反対」を叫び続け、激しい迫害を受けたのです。

また、1905年(明治38年)1月、日露戦争の最中に仙台連隊の召集状を受け、決死の覚悟で良心的兵役拒否の告白をしたのです。日本における最初の良心的兵役拒否者といわれるゆえんです。

この矢部先生が、会津の農村伝道や米国での10年に及ぶ留学の後、1915年(大正4年)に帰国し、間もなく滋賀県大津市膳所を中心に、琵琶湖湖畔伝道に従事なさったのです。田畑忍先生は、若き日、矢部先生が牧会していた教会に属し、そこから同志社大学へ進むのです。政治学や憲法学を専門とした田畑先生は、戦後、平和憲法の擁護運動に従事し、大学では、宮本栄三先生などを育て、世に送るのです。こうして、会津の少年から、滋賀の少年へと平和の思想のともしびは伝達されていったのです。(続く

(文・宮村武夫)

■ 戦前と戦後を結ぶ平和の絆、一人一人の存在と役割:(1)(2)(3)(4)

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