高山右近が通った教会への小道、京都・伏見に現存 史跡として整備

2015年8月30日20時40分 印刷
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月桂冠が所蔵する豊臣時代から徳川時代にかけての伏見城下町を描いた古絵図(写真:月桂冠提供)

戦国時代のキリシタン大名、高山右近(1552〜1615)が通ったとされる教会へ小道が、京都市伏見区の酒造会社「月桂冠」の敷地内に現存することが、同社の調査で分かった。カトリック教会で最高位の「聖人」に次ぐ「福者」に認定される見込みの右近と伏見のつながりを、多くの人に知ってもらうことを期待し、同社はこの小道を右近の史跡として整備し、公開している。京都新聞などが伝えた。

1637年に創業した同社には、豊臣時代から徳川時代にかけての伏見城下町を描いた古絵図が現存しており、そこに現在の本社付近に「高山右近」と書かれた一画があった。京都新聞によると、キリシタン史を専門とする京都聖母女学院短期大学の三俣俊二名誉教授は、1604年から、禁教令で1614年に焼き払われるまで、この場所がイエズス会の「伏見教会」だったとし、右近が頻繁に教会へ通っていたため、地図の制作者が右近邸と勘違いしたと推測しているという。

同社に現存する小道は幅2・4メートル、奥行き8・4メートルで、同社が所有する月桂冠大倉記念館の駐車場奥の空き地にある。5月中旬に小道を石畳敷きにし、立て看板を設置した。これまでにカトリック大阪大司教区の約30人が訪れたほか、6月下旬には右近の福者申請の手続きを担当するアントン・ビットベル神父がローマから来日して訪れているという。

一方、同社はキリシタン灯籠を所蔵していることでも知られる。この灯籠は、ともしびが入る火袋の下側にある竿の部分に、十字架を連想させる膨らみが施され、竿の下端に神像または仏像を思わせる彫像が見られることから、キリシタン灯籠と呼ばれている。弾圧の厳しかった時代、信徒はこの彫像を土中にほとんど隠れるように埋めて、ひそかに礼拝していたと考えられている。

12歳で洗礼を受けた右近は、21歳で高槻城主となり、織田信長や豊臣秀吉に仕えた。高槻城主時代は布教活動にも非常に熱心で、領民のうち7割以上がキリシタンだったとされるほか、伏見で生涯を閉じた希代の天才軍師・黒田官兵衛にも入信を勧めていた。しかし、秀吉の棄教命令に背いたことで大名としての地位を失い、徳川家康により1614年に国外追放となり、フィリピン・マニラで到着の43日後に病死してしまう。

右近没後400年に当たる今年、日本のカトリック中央協議会は、地位を捨てて信仰を貫いた殉教者として、右近を「福者」に認定するようローマ教皇庁に申請。報道によると、年内か来年初めにも正式に福者に認定される見通しで、列福式は来年日本で行われる予定。

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