信仰の人・高山右近、殉教から400年 ゆかりの地金沢で記念ミサ

2015年2月3日16時01分 印刷
関連タグ:高山右近
+信仰の人・高山右近、殉教から400年 ゆかりの地金沢で記念ミサ
高山右近が城主であった高槻城跡にある城跡公園(大阪府高槻市)内に建てられた右近の銅像

キリシタン大名、高山右近(1552~1615)の殉教400年を記念するミサが1日、金沢市広坂のカトリック金沢教会で行われた。高山右近は現在、日本のカトリック教会が最高位の「聖人」に次ぐ「福者」に認められるよう、ローマ教皇庁に働き掛けており、今年にも認定されるのではないかと、期待が高まっているという。中日新聞が伝えた。

右近は摂津国(大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)の高山友照(洗礼名ダリヨ)とマリア(洗礼名、実名や出自は不明)の間に嫡男として生を受けた。当時の高山家は三好氏の重臣松永久秀に従って大和国宇陀郡の沢城(現在の奈良県宇陀市榛原)を居城としていた。右近は12歳の頃に洗礼を受け、ジュスト(正義の人)と名乗る。

その後、織田信長の登場により、畿内の状況は一変。それまで支配していた三好氏が急速に衰退し、戦いが激化する。この頃の戦いで右近は首を半分ほど切られる重症を追うが、奇跡的に回復。神への信頼を一層強めたという。

その後、荒木村重に仕えることになったが、村重は信長に謀反を起こし、右近は村重と信長の間で板ばさみとなる。そこでイエズス会のオルガンティノ神父に助言を求めたところ、「信長に降るのが正義であるが、よく祈って決断せよ」と言われ、信長に従った。信長は生涯一度も自ら同盟などの約束を破らなかったと言われている。

本能寺の変の後は秀吉に従い、信長に謀反を起こした明智光秀との戦いで先鋒を務めるなど武功も認められるが、「どこか『清(きよし)の病い』がある」と称されるほど非常に真面目な人物だったと伝えられている。

また、右近は人徳の人としても知られ、ルイス・フロイスの『日本史』によると、高槻城下である村人が亡くなったとき、当時は賎民の仕事であった棺桶を担ぐ仕事を率先して引き受け、領民を感動させたという。

昨年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、生田斗真が右近役を演じて好評を博した。このドラマの主人公、黒田官兵衛や蒲生氏郷、細川忠興(細川ガラシャの夫)や前田利家など、戦国のビッグネームたちを伝道したことでも伝えられている。また、建築や茶道などの芸術にも類まれなる才能を発揮した。

1587年のバテレン追放令後、信仰を守ることと引き換えに領地と財産を全て捨てることを選んだときには、前田利家から領内に招かれ、「加賀百万石」と称される金沢の町の発展の基礎を作った。

しかし1614年、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、人々の引きとめる中、加賀を退去。フィリピン・マニラへ渡ったが、船旅の疲れや慣れない気候により、右近はすぐに病を患い、翌年1615年に64年の生涯を終えた。

その死が殉教と捉えられ、彼にゆかりのある金沢で行われたのが冒頭のミサ。中日新聞は、右近を「競争より人生や命を大切した」と紹介。「激しい競争原理にさらされる今日こそ、追放の身を選択した右近の真価が深い共感をもって理解されると確信している」と、石川県立美術館で8日まで開かれている展示「高山右近とその時代」を企画した同館学芸第一課担当課長の村瀬博春さんの話を伝えている。

関連タグ:高山右近

関連記事

クリスチャントゥデイからのお願い

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。記事の一つ一つは、記者や翻訳者、さらに編集者の手などを経て配信されているものです。また、多くのコラムニストや寄稿者から原稿をいただくことで、毎日欠かすことなくニュースやコラムを発信できています。

この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、読者の皆様にはぜひ、祈りと共に、毎月定期的にサポートする「サポーター」として(1,000円/月〜)、また単発の「サポート」(3,000円〜)によって応援していただきたく、ご協力をお願い申し上げます。支払いはクレジット決済で可能です。申し込みいただいた方には、毎週のニュースやコラムをまとめた申込者限定の週刊メールマガジンを送らせていただきます。サポーターやサポートの詳細、またクレジットカードをお持ちでない方はこちらをご覧ください。


文化の最新記事 文化の記事一覧ページ

新型コロナウイルス特集ページ

人気記事ランキング

おすすめのコンテンツ【PR】

コラム

主要ニュース