エデッサはギリシア語読みで、トルコ語でシャンルウルファ(シャンルとは栄光あるいは美しいの意味がある)、マケドニアにあるエデッサにちなんでこの地が名付けられた。シリア語ではウルハイ。
この地は古くからアッシリア帝国やギリシア帝国、ローマ帝国、ペルシア帝国、モンゴル帝国の支配、イスラム世界などが影響を与えた。ウルファは帝国同士の衝突する緩衝地帯でもあり、戦いを交えた地でもあった。多言語、多文化で栄えた。キリスト教ではアブラハムやヨプの生誕地、東方の博士たちが行き交った地、世界で最初のキリスト教国となったオスロエネ王国の地として知られている。

ウルファの町の中央分離帯に設置された看板(大都市自治体が作成と書かれ、麦、海、魚、灼熱した太陽の熱線がデザインされている)。右はシャンルウルファ博物館。(著者撮影)
小史
紀元前135~130年ごろ オスロエネ王国の誕生
前65年 ポンペイウスがシリアを征服し、ローマ帝国が東方領土を統治
前53年 カルラエ(別名ハラン)でパルティアの将軍スレナが戦う
前4年~紀元後7年 その後13年から50年まで「黒人」アブガル5世ウッカマの治世、オスロエネ王国。イエス活動時代と使徒たちの活動時代。アダイ(アッダイ、イエスの70または72人の弟子)がアブガル王の元に派遣され、手を置くと癒やされ、王と国民は信徒に改宗した。アダイは初代の主教(司教)、2代はアッガイ。やがてシリア文字を作り、聖書翻訳が始まる。バルダイサン(154~222年):シリア語最初の著作家、グノーシス主義者。
177~212年 アブガル8世の治世
197年 最初の教会会議がエデッサで開催(エウセビオスの『教会史』)
202年 エデッサの大洪水により教会堂も壊される、教会が実在した
212~213年 エデッサがローマ帝国の植民地となる
363年以降 二サイビンのエフレム(シリアのエフレムとも呼ばれる、306年ごろ〜373年)がエデッサに避難、シリア語による多くの書物を著す。特にぺシート(ペシッタ)版聖書の改定や修正、シリア(スリヤーヤ)語を使う。
411~435年 エデッサのラブラ司教座
411年 エデッサで写された現存最古のシリア語写本に日付が見える
489年 ペルシア人の学校が閉鎖、校長のナルサイが二サイビンに逃亡
544年 ペルシア軍によってエデッサが包囲される
640年 エデッサのヤコブ(640年ごろ〜708年)の活躍
632~661年 最初のイスラムカリフの統治
661~750年 ウマイヤ朝
750~1258年 アッバス朝
(以下省略)
シリア語による学び:主イエスが教えられた祈り―マタイの福音書6章9~13節―

和訳
天にいます私たちのお父様、あなたのお名前が聖とされますように。あなたの御国が来ますように。あなたのご意志が天でなされるように地でもなされますように。私たちに必要な食べ物を今日も与えてください。そして私たちの罪や負債を私たちが負債者たちに(対して)赦(ゆる)すように、私たちをも赦してください。私たちを誘惑へと連れ込まないでください。私たちを悪から救い出してください。なぜなら王国と力と栄光とが永遠にあなたのものだからです。アーミン。
(続く)
※ 参考文献
『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教碑の風景』(シリーズ「ふるさと春日井学」3、三恵社、2022年)
『The Syriac World: In Search of a Forgotten Christianity』(2023, Yale University Press)
『Glorious Urfa: The Spiritual Legacies of Turkey's Holy Land』(The Rockpile Project, 2018)
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