日本の福音化を妨げているもの 吉田耕三・ソウル日本人教会牧師

2015年6月26日11時17分 執筆者 : 吉田耕三 印刷
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講演するソウル日本人教会の吉田耕三牧師=5月25日、同教会で

マタイによる福音書5章23~24節

日本の教会・信徒が、キリスト者の人口比1パーセントの壁を破ろうという目標を掲げて以来、久しくなります。その間、日本の福音化のために、祈り労してこられた先生方、兄弟姉妹の皆様に心から感謝するものです。今日の私のお話がいささかなりとも皆様の助けとなり、また励ましともなれば、この上ない喜びです。

まず、この国に遣わされている者として、韓国教会の現況からお話し申し上げることにしたいと思います。

韓国は現在、人口が約5千万人で、そのうちプロテスタントの信者が約1千万人といわれています。これは人口比で20パーセントに当たります。一時、25パーセントまで行ったことがありましたが、今は伝道の困難期・停滞期に入っていますから、かつてのようではありませんが、それでも仏教・儒教の国柄で2割もの人々がキリスト者であるということは驚くべき恵みであり、祝福であると言えましょう。

それに対して、20世紀後半以来の目標であった、日本の福音化のための1パーセントの厚い壁が現存のまま21世紀に入ってしまいました。しかも、韓国よりプロテスタント宣教が25年も早く開始されている日本においてです。

従来は、特別伝道などの準備の主流であったトラクト配布や訪問伝道(こころの友伝道)、それに各種の文書伝道や最近の文明の利器となっているIT機器を使った伝道など、皆それなりの長所・利点があり、それらを連動させて用いることによって、さらに効果的な結果を得ることも可能でありましょう。

個々の教会がリバイブされるのもさることながら、各個教会から始まって祖国日本の全国的リバイバルを切望する者として、私は今日、伝道の方法論を展開しようというのではなく、方法論も大事ではありますが、それを生かすか殺すかのより根本的な問題に目を向けていただきたく願っております。

本文聖句のマタイによる福音書5章23~24節にご注目ください。

「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい」(口語訳)

この御言葉は、今まで何度も読んでいて頭では良く知っていたつもりでしたが、韓国に来てからは一変しました。かつてはこの御言葉の真意を悟らず、御言葉に対する理解の浅さや、それでいて信徒の前で平気で説教してはばからない傲慢(ごうまん)さ。極めて重要なこのイエス様の警告の御言葉を、なぜこんなに軽々しく、いい加減に受け止めていたのかと赤面の至りでした。

この御言葉の奥義(真意)を、日本中の牧師方が悟られたならば、じっとしておれなくなり、日本伝道の悲願である1パーセントの壁の突破は夢ではなくなるでしょう。この御言葉の旧約版、「リバイバルの条件」として有名な歴代志下7章14節で、神様が約束しておられるからです。

それでは、本文聖句の内容に入ってまいりましょう。

マタイによる福音書の5、6、7の3つの章は、「山上の垂訓」として知られたイエス様の最初の説教集です。その最初は、「ベアティチューウド」(八福=8つの祝福を約束されたメッセージ)で始まっています。

その次は、律法の重要性と「あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない」(マタイ5:20)との極めて厳しい警告であり、主の贖罪(しょくざい)の価値は律法の要求を満たして余りあることをも示しています。

23節の「だから」で始まる本文聖句は、22節を受けていて、兄弟に対して怒る者、愚か者と言う者、ばか者と言う者はそれぞれ裁判を受け、議会に引き渡たされ、地獄の火に投げ込まれるという、恐るべき結果が待ち構えていることを主はあらかじめ警告なさっています。

結論から申し上げるならば、自分に恨みを抱いている兄弟と和解しなかったならば、あなたも地獄に入れられるほか道はないのだ、とおっしゃっているのです。ここに本文聖句の重要性があります。これは日本と韓国との歴史的な関係に、強い霊的光を当てている御言葉です。

先ほど、御言葉の受け止め方が韓国に来てから一変したと申しましたが、マタイによる福音書22章37、39節もその一つです。全身全霊を尽くして主なる神を愛し、自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ、とのご命令です。私は初めて韓国の地を踏んだとき、神様は、ここにお前たちの最も近い隣人がいるということを示してくださいました。

それに続いて主が示されたのは、お前の国は最も近い隣人・隣国を愛してきたか、というチャレンジでした。

これについて私は、神様に顔を上げることができませんでした。愛するのとは正反対の侵略。伊藤博文を統監とする軍国日本は1905年に武力で竹島(独島)を強奪し、1910年には朝鮮半島全体を武力侵略し、国王・国民・生命・国語・名前(姓名)など、「七奪の罪」とか、「十大罪悪」と呼ばれる民族抹殺政策を強行し、男性は危険な工事現場へ、女性は勤労挺身隊へと狩り出されました。

15万から20万人にも上る10代、20代の少女・女性を「慰安婦」として連行・動員し、東南アジア全域の戦場に設けた慰安所に監禁。今、80代、90代となられた元「慰安婦」のハルモ二(おばあさん)たちは、体と心に癒やされざる深い傷を負ったまま、日本政府のまともな謝罪も補償も受けることなく、恨みと憎しみにさいなまれたままで、一人また一人と息を引き取って逝(い)かれる。残る生存者は既に50人を切っているというのに!

本文聖句で主は、「兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解」せよ、とおっしゃっているのです。

私たち日本の教会は概して、隣人・隣国から大変な憎しみ・恨みを抱かれていることさえ知らず、謝罪や和解など思ってもいなかったことではないでしょうか。私たちは礼拝こそ最高の行為だと信じていました。でもイエス様は、順序が違うと叱責されます。

「まず行って」とは何でしょう? 心身の深い傷を与えた被害者のところへ謝罪と和解に行け、そうすればあなたの供え物(礼拝)を受けよう、とおっしゃるのです。

武力によって侵略され、全てを奪われた韓国にとって、われわれ加害者がなすべき和解の行為は「慰安婦」問題だけではありません。いまだ多くの課題が残っていますが、主の御助けによりできることから一つずつ実行するしかありません。まず民族的な悔い改めの祈りからです(エレミヤ5:1、ネヘミヤ9:3)。

※ この文章は、日韓教会協議会主催の「謝罪と和解と交流の旅」(5月25~28日)で、日本からの一行がソウル日本人教会を5月25日に訪れた際、吉田耕三牧師が講演した内容の要旨です。

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