菅野直基
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
今まで、こういうことを何度も経験してきましたが、問題があったことで大きな祝福の扉が開きました。ピンチがチャンスなんてものではなく、ピンチは、大大大チャンスです。インターネット上で誹謗中傷を受けた経験があります。
中国のことわざに、「1日幸せになりたければ、酒を飲みなさい。3日幸せになりたければ、結婚しなさい。7日幸せになりたければ、豚を殺して食べなさい。一生幸せになりたければ、釣りを覚えなさい」というものがあります。
親や友人、社会などの「こうあるべき!」「こうあってはいけない!」などの物差しに合わせて、いつしか背伸びをするようになっていないでしょうか。人の評価ばかりを気にして生きていたら、いっときも心が休まりません。
私は、「創造」と「想像」という漢字を、意図的に使い分けています。「想像」は、すでにあるものの組み合わせを変えることで、新しい事柄を発想すること。それに対して「創造」は、無から有を造り出すこと。その意味で「創造」は、神が行ったことに限定され…
人生は、一瞬一瞬の選択の積み重ねです。過去の選択の結果が今の私だといっても言い過ぎではありません。車を運転する人は目的地に着くまで、一瞬一瞬の選択を繰り返します。多少道を間違えても、その次の選択によって修正することができます。
昨日あんなに喜んでいたのに、朝起きたらどん底の気分になることがあります。自分の気持ちは心の状態を表しているので、それを大切に受け止めてあげることは必要です。自分の気持ちを無視していたとしたら、人の気持ちも分からなくなるし、心は壊れてしまい…
「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の「五蘊」とは、物体の「色(しき)」、感覚の「受(じゅ)」、考えの「想(そう)」、意志の「行(ぎょう)」、認識の「識(しき)」の5つを指します。
Mr. ビーンの映画の一コマに、大きな魚を釣ったけれど、自分が持っているフライパンより大きいので海に逃がして、フライパンのサイズに合う魚だけを釣って持って帰るというシーンがあります。笑ってしまいますが、大切なことを教えてくれているように…
訪問客を送り出すときには、わざわざ訪ねて来てくれたことに対する感謝を行動で表したいものです。どこまで送っていくかで、敬意が伝わるものです。会合の場である会議室でそのまま別れるのは、相手を相当低く見ていることの表れです。
誰かによって傷つけられたとしても、その人を憎み続けるのをやめましょう。そのことで、さらに自分自身を傷つけることになるからです。憎しみと怒りを心の中にしまい込んでおくと、心身に大きなダメージを受けます。
自分の生まれた環境に不満を抱いて「不公平だ!」と嘆く人と、出会うことがあります。確かにカネ(金)やコネ(コネクション)があれば、今とは違った人生を生きられたはずです。しかしそんなことを嘆いても、何も始まりません。
あなたの実力は、今まで積み重ねてきたことの結果です。自分の成果を発表することはワクワク・ドキドキするものです。神学校時代、ピアノリサイタルや英語スピーチコンテストに出場しました。自分の頑張ってきたことの成果を発表するときですので…
私が年間200回以上路上で福音を伝える「路傍伝道ネットワーク」の目標は、参加する一人一人が「いつでも、どこでも、誰にでも伝道できる人になる」ことです。賛美チームが中心になって、路上ライブ形式で伝道をしています。
「帯に短したすきに長し」ということわざがあります。意味は、端的に「中途半端」なことです。丈の長い布があるので帯として使おうとしますが、丈が足りないのでしっかりと結ぶことができない。
怨憎会苦(おんぞうえく)とは「憎い人、腹が立つ人と会わなければいけないことに対する苦しみ」をいいます。実際、ほとんど全ての問題に人間関係が関わっています。人間関係がうまくいっていれば楽しく、人間関係がうまくいっていなければつらいものです。
「求不得苦(ぐふとくく)」とは、「求めているものが得られない苦しみ」のことをいいます。「努力は人を裏切らない」とよくいわれますが、いくら努力をしても、求めるものが手に入るとは限りません。世の中は、自分を中心に回っているのではないからです。
人生とは、選択の連続です。何か事が起こったとき、たとえそれが試練であっても、私たちは喜ぶことを選択できます。試練とは、自分の思い通りにいかない状況のことです。つまり、普通の神経を持っていたとしたら、喜べないのが当然です。
この地上をホテルのように考えている人は、自分の思うように事が進まないと、接客や設備が悪いとすぐに文句を言うお客のように、事あるごとに不平不満を言います。身に覚えのある人がいるかもしれません。
夫を亡くして未亡人となったルツは、しゅうとのナオミと共にベツレヘムへ行きました。ルツは日ごとの糧を得るため、必要に迫られて落穂拾いに出かけました。私たちも「日ごとの糧を今日も与えたまえ」と祈りながら、働きに出かけましょう。
誰かから注意を受けて「叱っていただき、ありがとうございます」とはなかなか思えないものです。注意を受けている理由が納得できなかったり、上から目線の態度にムカっとすることもあるでしょう。