植竹利侑牧師「現代つじ説法」(5)・・・捨て身で生きる

2009年6月18日13時30分 記者 : 植竹利侑 印刷
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なんでも物事は、徹底しないとあと味が悪い。徹底とはどん底にまで達し、貫くことだ。底に達せば足が立ち、そこからやり直すことができる。徹しなければいつまでももがき続け、ますます貧し、鈍してゆく。

私は五年前(一九七七年)の十一月、二十三年半も在職した教会の牧師であることを辞任した。自分の指導性の欠如から、教会内に分裂が生じ、教勢は低迷し、すべてがマンネリに陥った。明らかに責任は自分にあると思い、三年前に辞任を申し出たが、会員の大部分は自分が入信の導きをした人なので受け入れられず、以来、辞任の機会を狙っていた。

自己の半生をかけて育てあげた教会を、壊してしまうということは、もっとも避けねばならぬと思い、自分が一番みじめで無責任な形をとれば、私に対する批判から、残された教会は後任者のもとに団結し、うまくいってくれるだろうと思って最悪の出方を考えた。

あるとき、チャンスが到来した。成人している子どもたちがみな、私たち夫婦の考えに同調し、開拓伝道に踏みきることに賛成した。そこで私は家族に言った。

「失敗の責任は私にある。半生をささげた教会を去るのは悲しいが、牧師は死んでも教会を殺してはいけない。もっともみじめな姿、悪い格好で去らねばならない。これから十年は浮かばれないだろうが、神はかならず、再び生かしてくださる。この教会の会員は一人も連れださず、教会のものは靴のヒモ一本持ちだしてはならない」と。

そして聖書の一節を読んで共に祈った。

「口をちりにつけよ。
あるいはなお望みがあるであろう。
おのれを撃つ者にほおを向け、
満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。
主はとこしえにこのような人を捨てられないからである」(哀歌三・二九―三一)

無からの出発。
ゼロからのスタート。

実際には無理やりついてきてしまった教会員もいたが、それが私たちの合言葉だった。だから神が祝されて、見る見る人々が集まり、協力者が現われ、広島市南区の黄金山の中腹に広い土地も与えられ、大きな会堂も建った。子どもたちも破格の恵みにあずかっている。どうしてこんなに祝福されるのだろうか。

それは自分がすぐれているからでなく、でき上がった教会にあぐらをかかず、捨て身で生きたからにほかならない。自分の子どもにさえ譲ることができずに争う人がいるが、私はなんでも人に譲り、祝されたいと思っている。

(中国新聞 1982年11月30日掲載)

(C)新生宣教団

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植竹利侑

植竹利侑(うえたけ・としゆき)

広島キリスト教会名誉牧師。1931年東京生まれ。東京聖書神学院、ヘブンリーピープル神学大学卒業。1962年から2001年まで広島刑務所教誨師。1993年矯正事業貢献のため藍綬褒章受賞。94年特別養護老人ホーム「輝き」創設。著書に『受難週のキリスト』(81年、教会新報社)、『劣等生大歓迎』(89年、新生運動)、『現代つじ説法』(90年、新生宣教団)、『十字架のキリスト』(92年、新生運動)、『十字架のことば』(93年、マルコーシュ・パブリケーション)。

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