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植竹利侑
(うえたけ・としゆき)
広島キリスト教会名誉牧師。1931年東京生まれ。東京聖書神学院、ヘブンリーピープル神学大学卒業。1962年から2001年まで広島刑務所教誨師。1993年矯正事業貢献のため藍綬褒章受賞。94年特別養護老人ホーム「輝き」創設。著書に『受難週のキリスト』(81年、教会新報社)、『劣等生大歓迎』(89年、新生運動)、『現代つじ説法』(90年、新生宣教団)、『十字架のキリスト』(92年、新生運動)、『十字架のことば』(93年、マルコーシュ・パブリケーション)。 |
なんでも物事は、徹底しないとあと味が悪い。徹底とはどん底にまで達し、貫くことだ。底に達せば足が立ち、そこからやり直すことができる。徹しなければいつまでももがき続け、ますます貧し、鈍してゆく。
2009年06月18日13時30分
わが家は一風かわっている。あるとき、息子がこう言った。あるとき、息子がこう言った。「父さんは、顔が広くてハンサムで、腰が低くて太っ腹」と。お世辞と知っても喜んだ。ところがあとが始末がわるい。
2009年06月13日6時17分
ある人が、老年とは「喪失の時代だ」といった。悲しいけれど、若さを失い、体力を失い、職を失い、収入を失い...
2009年05月30日11時23分
できずにやめた経験を重ねてゆけばゆくほど、ますます自信がなくなって、ついにはできることさえできなくなる。
2009年05月23日8時30分