一神教や多神教など、世界にはさまざまな神観があります。日本は、やおよろずの神々という価値観が一般的で、一神教の「唯一神」に対するアレルギーを持つ人がいます。
世界的な視野で見ると、無宗教は少数派であるといわれますが、日本では、宗教に入っていないことが中立で、無色透明であるように考える人がいます。「一神教は独善的で恐く、多神教が『和をもって尊しとなす』でみんな仲良くするので良い」と考える人がいますが、本当でしょうか。
私は「一神教か、多神教か」よりも「どんな神を信じるか」が大切だと思います。「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」といわれます。精神としてはいい感じがしますが、誰だか分からない存在を信じ、その存在にすがるというのはどうでしょう。
道端で歩いている恰幅が良くて、慈愛深そうな男性を見つけて、「こんな方がお父さんだといいな!」と考えて、「よし、この方を親父と思い込もう!」と念じても、その相手はお父さんではないし、相手も困ってしまうことでしょう。
産みの親と育ての親の2人を持つ人もいますが、自分を産んでくれた父親と母親は一人です。同じように、神はお一方てす。そのように考えるのは、独善的で恐いことでしょうか。聖書は「神は愛である」と教えます。「その神が全てを創造され、人間を造られた」というのです。
もし、その愛の神を信じたとしたら、不寛容で、排他的で、独善的になることがあるでしょうか。もし神がそのように不寛容で、排他的で、独善的な存在だとしたら、とっくに人間を滅ぼし、世界を滅亡させているはずです。
しかし神は、独り子イエス・キリストをこの地上に送ってくださり、不寛容で、排他的で、独善的で、自己中心な人間の罪を背負って死んでくださり、よみがえられて、救いを完成させてくださったのです。
ありのままの神を知り、その方を神として受け入れて、その方と共に生きるならば、この地球は天国のように変わります。悪魔が「そうさせまい!」と躍起になって、本来仲良くし、愛し合い、助け合うべき人間同士を仲違いさせているのです。
今日悔い改めて、愛そのものであり、私たちを造られた神を信じ、信じ続けましょう。一神教や多神教といった宗教の枠組みを超え、全ての大本であり、全ての源、創造者である方に立ち返りましょう。
初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。(使徒17:28)
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)
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