1. スマホ/AI依存症
「僕は完全にスマホとAIの依存症でした。朝起きたら枕元にあるスマホのスイッチを入れ、夜はスマホをつけっぱなしで寝ていました。昼間の時間帯は暇さえあれば、習慣的にスマホをいじっていました。また、AIで簡単に模範解答が得られるので、大学での勉強は基本書も参考書も読まず、授業も極力さぼってきました。会社の業務も同じです。幼い頃からずっと行っていた教会にも行かなくなり、聖書も読まなくなりました。その結果、自分で考える力や一人で祈る習慣が失われ、ただ問題や出来事に反射的に即応するだけの薄っぺらい人間に成り下がってしまいました」
ある犯罪で逮捕され、警察の留置場に勾留されている若い被疑者を接見したときに、こう言われた。彼は一流企業の会社員で、真面目なクリスチャンである。
「長期に勾留されてスマホやAIが使えない状況に置かれ、ようやく自分の頭で仕事のことを考え、自分の心で神様に祈れるようになりました」
「今は心から反省しています。なぜあんなばかなことをしてしまったのか。自分でも信じられません」
しかし、多くの人が似たような体験をしているのではないだろうか。私もスマホを紛失して、それがなかなか戻ってこない間に、似たような体験をしたことがある。スマホやAIがあまりにも便利過ぎて、考えたり祈ったりしなくても、検索すればすぐに一応の解答を見つけられ、仕事や伝道にも使うことができるので、やがて依存的状態になっていた。
2. 人間は考える葦である
これはフランスの17世紀の物理学者、数学者、哲学者でもあったブレーズ・パスカルの著書『パンセ』に残された名言である。
風に吹かれれば折れてしまう「葦(あし)」のように、か弱くもろい存在であっても、人間には「考える」力があり、そこにこそ人間の偉大さと尊厳があるとする。宇宙の中の小さな小さな人間だが、その思考の中に広大な宇宙を包摂してしまうほどの大いなる存在なのだ。
パスカルが発見した「パスカルの原理」は、物理学の基本として広く知られており、パスカルが証明した「パスカルの定理」は、現代でも幾何学上のさまざまな問題を解く際に用いられている。だが真実は、パスカルが思考により発見した「神の原理」であり、パスカルが思考により証明した「神の定理」である。
3. 神の子は信じる葦である
パスカルは、「人間は考える葦である」と言ったが、「神の子は信じる葦である」と私は言いたい。
「神の子」とは、「キリストを信じ、聖霊を受けた人」である。すなわち、救い主イエス・キリストによる神に対する罪の赦(ゆる)しを信じる信仰によって、万物の創造主・父なる神の子どもになった人である。「神の子」、すなわち、「神を信じる者」はどんなことでもできるのである(マルコ9:23)。
しかし、「神の子」という自分の真のアイデンティティーを忘れ、世の人たちと同じように、スマホやAIに依存して、神から与えられた思考する力や信仰によって祈る力をないがしろにするならば、この世の常に揺れ動く諸々の情報を習慣的に受け入れ、それらに翻弄されるだけである。
AIロボットが「神の子」になることは絶対にできない。だから、スマホやAIに依存してそれらに支配されるのではなく、かえって、考える力と祈る力によって、それらを支配し、管理し、適度に利用するのが、「神の子」である人間のあるべき姿である。
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