ウクライナの教会は今、世界の目には戦争の物語に見えるかもしれない。しかし、神の目ではリバイバルの物語として見えている。ロケット弾が爆発する中でも、福音は前進し、最も暗い夜に真理の光は輝き続ける。戦争という極限状態で、人々の霊的渇きがあらわになり、数十万人が教会で初めて神の愛に触れているのだ。彼らが証明しているのは、いかなる暗闇も福音の前進を止められないという真理だ。(第1回から読む)
「歴史を十字架の前にひざまずかせましょう」。ウクライナの伝道者ダビド・カルチャ氏はこの力強い言葉で、欧州伝道会議のメッセージを締めくくった。そして状況にかかわらず、キリストの福音を大胆に宣べ伝えるよう、参加者たちを励ました。
この呼びかけは、ウクライナの教会が実践している現実そのものだ。彼らは塹壕(ざんごう)で、病院で、がれきの中で、遺族のそばで、まず耳を傾け、祈り、助け、そしてイエスを語る。それは計算された戦略ではなく、キリストの愛に突き動かされた自然な応答なのだ。
戦争が日常化したウクライナの兄弟姉妹たちは、重要な真理を示しているように思えてならない。それは、教会の本質は建物にあるのではなく、生けるキリストと、そのキリストの体にあるということだ。建物は破壊されても、キリストの体は決して破壊されない。むしろ、最も困難な状況の中で、その真価は発揮される。
彼らは、彼らが経験している苦しみが無意味ではないことを示している。人々は、永遠に続くかと思っていた平和な日常は、ある日突然、もろくも崩れ去ってしまうということを身を持って知ったのだ。そう、戦争は「見える世界に永遠はない」ことを、これでもかというほど、人々にたたきつけたのだ。そうして初めて、人々は真剣に「永遠」を思うようになるのだ。
そしてその問いに、何よりも力強く答えを提供するものこそが、キリストの福音なのである。平和な時も福音は力強いが、戦争の時、その力は一層際立つ。そして、彼らウクライナの兄弟姉妹たちは、そんな時だからこそ、ストレートに福音を語り、「福音は止められない」という真理を体現しているのだ。
命の危機にさらされている人々に永遠の希望を届けられるように祈ろう。戦死者の遺族に寄り添い、悲しみを共にする者たちに神の慰めが注がれるように。全てを失った人々に仕える教会が、物質的必要だけでなく、彼らの霊的渇きを満たす知恵と力を持てるように。そして何より、この戦火の中で数十万人が経験している霊的覚醒がさらに進み、広がり、ウクライナ全土がキリストの栄光で満たされ、福音にある希望のメッセージが届けられるよう、祈っていただきたい。
■ ウクライナの宗教人口
正教 61・2%
プロテスタント 5・8%
カトリック 10・1%
無神論 19・5%
◇
















