過去3年間で数十万人がウクライナの教会を訪れ、その多くが初めて神の愛に触れた。教会は最前線で、塹壕(ざんごう)の兵士たちに、戦死者の遺族に、全てを失った人々に仕え、まず耳を傾け、祈り、助け、そしてイエスを語っている。初めて福音を聞く者も、人生の大半を神から逃げ続けた者も悔い改め、新しく生まれる奇跡が起きているのだ。(第1回から読む)
「親愛なる兄弟姉妹たち」と、ウクライナの伝道者ダビド・カルチャ氏は欧州伝道会議の参加者たちに呼びかけた。「これが、神が私たちの国で行っておられることのほんの一部です。神はご自分の教会を目覚めさせ、人々に希望への切実な求めを呼び起こし、神が働かれる場所で私たちが彼らに聞き、見守ることを教えておられます」
「神は、苦しみを証しへ、恐れを信仰へ、小さな愛の行為を御国のための種へと変えておられます。世界の目には、ウクライナは戦場に見えていることでしょう。しかし神の目には、それはリバイバルの現場なのです。福音は何があっても前進することを、私たち全員に思い起こさせる現場なのです。ロケット弾が私たちのすぐ隣で爆発していても、キリストの土台は揺るぎません。最も暗い夜でさえ、真理の光は今も輝き続けているのです」
世界が見ているのは戦争だが、神が見ておられるのはリバイバルだ。この真実こそが、ウクライナの教会が置かれている霊的現実なのである。
カルチャ氏の証言によれば、ウクライナの教会が経験していることは、単なる困難の中での忍耐ではなく、霊的大覚醒であり、神の力強い働きの顕現だ。教会の建物がミサイル攻撃で破壊されても、キリストの体は縛られることがなく、煙が立ち上っても、福音の光は暗くならない。
彼らが発見したのは、戦争という極限状態の中で、福音の力が最も鮮やかに現れるという逆説的な真理だ。平和な時には見過ごされがちな霊的な問いが、死と破壊の現実の前で、切実なものとなる。「私は何のために生きているのか」「死の先には何があるのか」「この苦しみに意味はあるのか」――こうした根源的な問いに対して、教会は生けるキリストという答えを提示している。
そして人々は、その答えに飢え渇いていた。数十万人が教会の扉をくぐり、初めて神の愛に触れた。その結果、数千人が洗礼を受けて信仰を公に告白した。涙を流して悔い改め、新しく生まれる者が後を絶たないのだ。
ウクライナの教会は、世界に向けて力強いメッセージを送っている。それは、どんな暗闇も、どんな破壊も、どんな戦争も、福音の前進を止めることはできないという希望のメッセージだ。(続く)
■ ウクライナの宗教人口
正教 61・2%
プロテスタント 5・8%
カトリック 10・1%
無神論 19・5%
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