2015年2月15日、ISISが公開した5分間の処刑映像は、世界中のキリスト教徒たちに深い衝撃と悲しみをもたらした。しかし、コプト正教会の反応は予想外のものだった。処刑からわずか数日後の2月21日、教皇タワドロス2世は、21人全員を正式に殉教者として列聖すると発表した。(第1回から読む)
「彼らは信仰の証人です。最後の瞬間まで主イエスの御名を唱え続けた彼らは、現代の殉教者として永遠に記憶されるでしょう」。教皇は涙を流しながら、21人の名前を一人ずつ読み上げた。特筆すべきは、ガーナ出身のマシュー・アヤリガも、コプト正教会の殉教者として認定されたことだった。異なる国籍、異なる教派出身でありながら、信仰によって結ばれた兄弟として、永遠にコプト教会の歴史に刻まれることとなったのである。
上エジプトのミニヤ県アル・アウル村では、殉教者たちの家族が集まり、夜通しの祈祷会が行われた。悲しみに暮れる母親たちを、村人たちが囲んで慰めた。しかし驚くべきことに、遺族たちから聞かれたのは復讐の言葉ではなく、赦(ゆる)しの言葉だった。
殉教者ビシャイ・アスタファナスの兄弟バクホム・アルハムは、地元のテレビ局のインタビューでこう語った。「ISISは私の兄弟の命を奪いました。しかし、兄弟は天国への道を見いだしたのです。私たちは、兄弟を殺した人々のために祈ります。神が彼らの心を開き、真理へと導かれますように」
同じく殉教者サミュエル・ミラドの母親は「息子は信仰を守り通しました。私は息子を誇りに思います。主イエスが十字架上で『父よ、彼らをお赦しください』と祈られたように、私たちも赦さなければなりません」と、震える声で語った。
世界中のコプト・ディアスポラ(離散民)たちも立ち上がった。ロンドン、ニューヨーク、シドニー、パリ、そしてカイロで、ろうそくを掲げた追悼集会が開かれた。人々は古代から受け継がれるコプト聖歌を歌い、21人の殉教者たちの信仰をたたえた。恐怖で世界を支配しようとしたISISの目論見は、かえって世界中のキリスト教徒たちの結束を強める結果となったのである。
エジプト政府も素早く動いた。シーシー大統領は国民に向けた演説で「21人の英雄たちは、エジプトの誇りです」と述べ、7日間の服喪期間を宣言した。さらに、ミニヤ県に21人の名を冠した教会の建設を約束し、遺族への経済的支援も表明した。(続く)
■ リビアの宗教人口
イスラム 97・0%
プロテスタント 0・2%
カトリック 1・2%
正教 1・2%
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