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ヨハネ福音書を読む

ヨハネ福音書を読む(34)「『イエスはメシアである』という告白」―福音書が執筆された時代の状況として読む― 臼田宣弘

2023年12月6日14時25分 コラムニスト : 臼田宣弘
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関連タグ:ヨハネによる福音書臼田宣弘

今回は、9章8~23節を読みます。

不在となるイエス様

8 近所の人々や、彼が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。9 「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「私がそうです」と言った。10 そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、11 彼は答えた。「イエスという方が、土をこねて私の目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」 12 人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。

ヨハネ福音書の9章は、「エルサレムにおいて、生まれつきの盲人がイエスによっていやされた物語と、福音書記者ヨハネの町において、ユダヤ人が教会の宣教を通してキリスト教の救いに入れられたことが二重写しになって述べられているのである」ともいわれています(『説教者のための聖書講解―釈義から説教へ ヨハネによる福音書』237ページ、平野保氏による論考)。

これは、J・L・マーティンという人が、『ヨハネ福音書の歴史と神学』という本において主張している論理で、聖書学においては、今日広く受け入れられているものです。この本の内容を大まかに説明しますと、「9章は、イエス様の時代の実際の出来事というよりも、ヨハネ福音書が書かれた時代の教会の出来事を反映している意味合いが強い」ということであろうかと思います。

しかし、保守的な立場における聖書解釈においては、この論理は受け入れ難いのではないかとも思います。「イエス様の時代の出来事が、そのまま伝承されてヨハネがそれを伝えている話である」とされるかもしれません。

私は、前回お伝えしたように、9章1~7節は「世の光であるイエス様」という内容が伝えられているため、等しい内容が伝えられている8章12節以下と、同じくだりなのではないかと考えています。8章12節~9章7節は、伝承を同じくする、イエス様のなされた実際の出来事なのではないかと捉えているのです。

しかし、その後の9章8節以下、そして特に34節までは、J・L・マーティンの主張を支持しており、少なくとも紀元80年よりも後の、ヨハネの時代の教会の出来事が反映されている側面が強いのではないかと考えています。その大きな理由は、8~34節がイエス様不在の文章であるということです。イエス様が実際になされた出来事というよりも、後の教会におけるキリスト信仰が伝えられているものではないかと思えるのです。

今回と次回は、そういったヨハネの時代の教会の出来事が反映されているという観点から、執筆したいと考えています。そしてその中で、ヨハネの時代の教会の出来事が反映されていると考える理由についても述べたいと思います。

さてそうなると、8節の「近所の人々」というのは、ヨハネの時代の会堂(コミュニティーの拠点となるシナゴーグ)を中心とした、ユダヤ人居住地区の人々を指していることになります。その地区において実権を握っていた権力者は、ゲルーシア(gerousia)と呼ばれる人たちでした(前掲書40ページ)。ゲルーシアは、「イエスをキリストと告白するものは誰でも会堂から追放される」(R・A・カルペッパー著『ヨハネ福音書文学的解剖』181ページ)ということが決定されていた状況の中で、地区を治めていたのです。

一つの「癒やされた盲人」の話でも、7節まではイエス様の時代のエルサレム神殿付近を舞台としていますが、8節からは、紀元80年以後であるヨハネの時代の、ある町のユダヤ人居住地区の、会堂を中心とするコミュニティーに舞台が移されているという場面設定なのではないかと私は考えているのです。

ユダヤ人居住地区の人々は、イエス様をメシアと告白すれば会堂から追い出されるという環境で生活をしていました。ですから、イエス様によって目を癒やされたとされている人は、その環境の中で、イエス様をメシアと告白するようになった一人の信徒(以下、この人を「信徒」と記載します)のありようを伝えているのだと思います。

8節以下は、ユダヤ人居住地区に住む一人の人に、キリストを信ずることによって変革が起きたという話なのです。この信徒は、ヨハネ共同体の教会に集うようになって、キリストに対して目が開かれたのでしょう。そのため、その地区の人々はこの信徒の変革に驚き、本人であるかどうかという議論が起こったのです。

9節の、信徒の言葉として伝えられている「私がそうです」は、イエス様がご自身を顕現されるときに使われている言葉「エゴー・エイミ(私はある)」です。ですから、信徒自身の言葉というよりも、既に天におられるキリストの御業が、この信徒に現わされていると考える方が適切であろうかと思います。

ユダヤ人居住地区の人々は、「お前の目はどのようにして開いたのか」、つまり「お前の変革はどのようにして起こったのか」と問います。信徒は、イエス様との出会いと、自分に起こった変革については語ることができましたが(11節)、詳細を語ることはできませんでした(12節)。

ゲルーシアの前での信徒

13 人々は、前に目の見えなかった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。14 イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日であった。15 そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が私の目にこねた土を塗りました。そして、私が洗うと、見えるようになったのです。」 16 ファリサイ派の人々の中には、「その人は安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。17 そこで、人々は目の見えなかった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、お前はあの人をどう思うのか。」「預言者です」と彼は言った。

もはや自分たちではどうすることもできなくなったユダヤ人居住地区の人たちは、信徒を前述のゲルーシアのところに連れていきます。ゲルーシアはファリサイ派の人たちでしたので、ヨハネは「ファリサイ派の人々のところへ連れて行った」と記述しています。

15節の「どうして見えるようになったのか」という信徒への問いは、「どうしてキリストに目を向けるようになったのか」ということでしょう。安息日に癒やしが行われたという記述は、安息日の順守に信仰のアイデンテティーを見いだそうとしていたユダヤ教を、キリスト教徒たちの信仰が既に凌駕していたということなのではないかと思います。

17節の「目を開けてくれたということだが、お前はあの人をどう思うのか」というゲルーシアの問いに、信徒が「預言者です」と答えていることは、第10回でお伝えしたサマリアの女性の「主よ、あなたは預言者だとお見受けします」(4章19節)という言葉をほうふつとさせます。女性はその後、イエス様をメシアと受け入れ、水がめを置いて町に帰ります。

今回の話でも、この信徒は「預言者です」と答えることによって、「私はイエス様をメシアとして受け入れました」という信仰を表明しているのではないかと思います。

両親の召喚

18 それでも、ユダヤ人たちはこの人について、目が見えなかったのに見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、19 尋ねた。「この者はあなたがたの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」

20 両親は答えて言った。「これが私どもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。21 しかし、どうして今、見えるようになったのかは、分かりません。誰が目を開けてくれたのかも、私どもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」

18節の「ユダヤ人」は、ゲルーシアのことでしょう。信徒と、信徒に対して最初に問いをしたユダヤ人居住地区の人たちは、舞台から一度姿を消します。そして今度は、信徒の両親が呼び出され、ゲルーシアと両親だけの場面に舞台は移行します。

ゲルーシアは両親に対して、息子の当初と今について尋ねます。「この者はあなたがたの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか」と尋ねたと伝えられていますが、それは信徒のキリスト教信仰への回心について尋ねられたのだと思います。

それに対して両親は、信徒が自分たちの息子であることは認めましたが、「どうして今、見えるようになったのかは、分かりません。誰が目を開けてくれたのかも、私どもは分かりません」と答えます。それは両親が、自分たちの息子がイエス様を信じるようになったという、キリスト教信仰については触れないようにしていることを示しています。

両親がキリスト教信仰を避けた理由

22 両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちはすでに、イエスをメシアであると告白する者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。23 両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。

私はこの22~23節に、ヨハネの時代の教会の出来事が反映されていると強く感じます。「イエスをメシアであると告白する者がいれば、会堂から追放すると決めていた」ということは、イエス様の時代のことと考えるよりも、ヨハネ福音書が執筆された時代のこととする方が自然であると思うからです。

両親はそのように会堂から追放されること、すなわちユダヤ教の信仰コミュニティーから追放されることを恐れていましたが、信徒は恐れずに「私はイエス様をメシアとして受け入れました」という告白をしているのです。いつの時代にあっても、恐れずに「イエスはメシアである」と告白していくことが大事であることが、示されているのではないかと思います。(続く)

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◇

臼田宣弘

臼田宣弘

(うすだ・のぶひろ)

1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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