神学校教育に一石投じる 「拓成学院」が日本の福音宣教へ示すもの(3)

2018年5月29日16時06分 執筆者 : 青木保憲 印刷
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+拓成学院
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2017年4月から始まった「拓成学院」。彼らのユニークな学びは、前回前々回でその概要を紹介できたと思われる。彼らのような方向性は、果たして日本のキリスト教界にどのようなインパクトを与えることになるのだろうか。今回は彼らの働きを踏まえつつ、日本の神学校教育について、筆者なりの提言を試みてみたい。

私の友人であり、神学校で長年教鞭を執ってきたある牧師が、次のようなことを語ってくれた。

「今の神学校教育には大きな問題があります。それは、彼らの卒業後まで面倒を見るシステムがきちんとできていないということです。また彼らの卒業後、神学生時代に学んだことが本当に役立つものであったかのフィードバックを測る指標が曖昧になっていることも問題だと思います」

歴史的に「神学」は、医学、法学と並んで高等教育の3科目であった。しかしここで言う「神学校教育」とは、米国建国以降に生み出された「福音宣教のエキスパートを生み出す機関」としてのそれをイメージしていただきたい。

確かに、例えば海外の神学校(神学大学含む)に留学し、3年ないしは4年学んだ者が日本に帰ってきて率直に思うことは「海外の学びと日本の実践は違う」ということらしい。この辺りは、私にこういった体験がないため、自身の言葉で語れないが、友人で留学経験がある牧師に尋ねると、程度の差こそあれ「実践は別」と回答してくれた。そして国内の神学校、聖書学校であっても同じような感想を抱く者は決して少なくない。

その原因はどこにあるのか。日本と外国の文化の違いか。それとも教え込まれる教団教派の教理が異なるからだろうか。

1つ本質的にいえるのは、従来の神学校教育は、牧師および宣教師養成という、いわば個人を育成することに特化してきたということである。拓成学院を取材し、あらためてこのことを思わされた。なぜなら、この学院は個々人の資質を高めることを最終目標に掲げていないからである。あくまでも「教会開拓のチーム」を育成すること。これが拓成学院の目標である。そういう視点から従来の神学校教育を俯瞰(ふかん)するなら、個人の育成かチームの育成か、という対照的な強調点が浮かび上がってくる。

インタビューの後半で、1つ大胆な質問を拓成学院の発案者であるクリス・モア氏に投げ掛けてみた。

「拓成学院と従来の神学校教育と、最も異なる点はどこだと意識されていますか」

すると彼は、しばらく考えてこう答えてくれた。

「献身の定義を変えたことでしょうか。私たちは拓成学院で牧師を生み出そうとは考えていません。そういう人が出てきたらそれはそれでいいですが、あくまでもテントメイキング(教会の働きをしながら、生計を自分で賄うやり方)ができる人材を輩出することを目指しています。そしてこのやり方こそ、日本の福音宣教には必要なことだと考えています」

多少大げさに聞こえるだろうが、これは一種の挑戦である。中世以来、西洋化されたキリスト教が牧師・宣教師を養成する機関として生み出した神学校教育は、確かに一定の成果を上げてきた。だが「宣教地・日本」ではあまり功を奏していないと言わざるを得ない。このことは、いつまでも「1パーセントの壁」を抱えている日本のキリスト教界の現状を見ればよく分かる。

牧師が専門職として食っていけるだけのシェアがない中、毎年必死に献身者を生み出し、そこに1パーセント未満でしか通用しない権威を付与し、「牧師先生」として送り出すことに終始してきた神学校教育の在り方に、疑義を抱かない方はおられないだろう。

神学校教育に一石投じる 「拓成学院」が日本の福音宣教へ示すもの(3)
2017年4月に行われた拓成学院の第1回入学式(写真:ヒズコールチャーチのフェイスブックより)

私も及ばずながら神学校教育に携わってきた人間である。だから従来のやり方を踏襲し、期待される結果を生み出せるように努力はしてきたつもりである。もちろん、まったくダメだったと言うつもりはない。しかし、いまだに日本社会に浸透しないキリスト教の現状を見て取るなら、あれこれと言い訳せず、素直に再考する方が得策であろう。

個としての強烈な才能ではなく、集団として「開拓」に取り組む一点集中型の才能を生み出す。これこそが拓成学院の特質である。そして彼らの働きがもし日本でうまく機能するなら、従来の「献身」のイメージに新たな可能性を開示することになるだろう。

だが一方で危惧することもある。拓成学院のような意味合いの「献身」が日本で広がれば、今までのキリスト教界はどのような反応を示すだろうか。これを素直に「神学校教育の一形態」と受け入れることができるだろうか。

この辺りの不安はモア氏も抱えているようだ。

「今後の動きとして、できたら日本や海外の神学校や聖書学校と提携したり、国内で学校法人を取得したりできたらと考えています。そういう協力をしてもいいという神学校があったら、ぜひ教えてほしいです。手を携えていきたいです」

モア氏は、この働きが「拓成学院」であって「ヒズコール聖書学院」ではない、と何度も語ってくれた。その言葉通りにするためには、他の神学教育機関との連携が必須である。しかしまだ具体的な動きは起きていないようだ。これは拓成学院の今後の課題だと思われる。

拓成学院は始まってまだ1年の教育機関である。しかし、見据えているのは「10教会の開拓」である。そのために拓成学院の生徒たちは、今日も朝6時から笑顔で集まり学んでいる。そしていつかこの働きが日本の福音宣教に貢献できることを願っている。

筆者は、彼らとは異なる意味での「(従来の)献身」を実践している者である。だからこそ私は拓成学院の試みを歓迎したい。彼らから何が生み出されるかは分からないが、聖書の次の言葉は今なお有効であると信じているからである。

そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9:37、38)

だから彼らの動向から目を離すことができないのだ。年齢や経験年数は関係ない。私も日本の福音化を願う者として、彼らを応援し、彼らから学びたいと願う者の一人なのである。(終わり)

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■「拓成学院」が日本の福音宣教へ示すもの:(1)(2)(3)

青木保憲

青木保憲(あおき・やすのり)

1968年愛知県生まれ。愛知教育大学大学院を卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科卒(修士)、同志社大学大学院神学研究科卒(神学博士、2011年)。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(2012年、明石書店)。

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