後藤牧人

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日本宣教論(73)黒人神学 後藤牧人

アメリカ大陸には白人は圧迫者、暴君として上陸し、黒人は奴隷、残酷な待遇の被害者として上陸した。また、先住のインディアンは、絶滅政策の対象であった。この体制を許容し支持したのは、白人の神学である。

2018年09月05日22時18分

後藤牧人牧師

「21世紀日本宣教」を熱く語る 後藤牧人氏、8年ぶりの新刊

日本の教会が戦争責任や天皇制、神道に対して持っていた従来の捉え方を根本から見直し、独自の視点から日本宣教を論じる本紙の人気コラム「日本宣教論」を連載中の後藤牧人氏が、前作『日本宣教論』の続編となる8年ぶりの新刊を来年1月に出版する。

2018年08月31日20時00分

後藤牧人

日本宣教論(72)米国の黒人キリスト教会 後藤牧人

米国の黒人キリスト教会は、独自の発展を遂げている。奴隷制時代には、黒人は書くことを禁止されており、手紙を書いたり、日記を付けたりできなかった。読み書きができると黒人間のコミュニケーションが成立し、反乱の原因になる。こうして黒人の団結の手段となるものは、すべて禁じられていた。

2018年08月22日19時06分

後藤牧人

日本宣教論(71)米国内の異文化宣教 後藤牧人

米国の教会は、一般に世界宣教に熱心である。世界各地での宣教の現況に関して、意識が高いことは素晴らしい。世界の宣教の状況には通じており、世界各地のために祈っており、よくささげている。

2018年08月08日15時29分

後藤牧人

日本宣教論(70)アラブ社会と福音 後藤牧人

アラブ世界(西アジアも入れて)の福音宣教は困難で、この地域は最も伝道が難しい所とされている。アラブ社会は「西欧的キリスト教」を拒否しており、ほとんど教会を形成するに至っていないとも言われている。

2018年07月25日21時01分

後藤牧人

日本宣教論(69)宗教改革と西欧社会 後藤牧人

ここで、宗教改革について宣教学的な視点から検討をしなければならない。宗教改革は、当時のキリスト教信仰に新しい方法論と新しい前提を与えた。それらを行うに当たり、改革は2つのことをした。1つは法王無謬(むびゅう)、マリア礼拝、煉獄(れんごく)などの教理を排除したことである。

2018年07月11日21時47分

後藤牧人

日本宣教論(68)ケネス・カンツァー 後藤牧人

トリニティ神学校のカンツァー教授は、80年代に『Toward Old Testament Ethics(旧約聖書の倫理に向かって)』という本を書いた。彼は神学校で旧約聖書の倫理を教えることになって教科書を探したが、適当な書籍がない。

2018年06月27日12時25分

後藤牧人

日本宣教論(67)旧約聖書の理解 後藤牧人

旧約聖書の中には、さまざまな文化が混在しており、一見しただけで「絶対的な1つの聖書的な文化」などというものを発見できないことは明白である。アブラハムの時代は、遊牧民族の世界である。

2018年06月13日18時49分

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日本宣教論(66)自己の文化の絶対化 後藤牧人

文化を考えるのは信仰的でないとする態度は、自分が1つの文化の中にいることを自覚していない。そのため、自分の文化に固執し、自分の文化を絶対視することにつながるのである。

2018年05月30日8時26分

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日本宣教論(65)従来のキリスト教と聖書観 後藤牧人

これまでに戦争責任、天皇制、神道イデオロギーなどについて簡単に述べてきたが、問題は日本の側だけにあるのではなく、数百年というスパンで考えれば、問題はむしろ欧米のキリスト教国の側に多くあったことを発見した。

2018年05月16日7時14分

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日本宣教論(64)文化と文化の対立 後藤牧人

日本社会のキリスト教アレルギーは、福音そのものに対するものより、西欧文化に対するものであることが明白で、それはもう誰もが本能的に感じていることである。では、どうすればいいのか。

2018年05月02日13時41分

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日本宣教論(63)宣教学的な所見 後藤牧人

なぜ宣教学で、戦争責任を扱わねばならないのか。明治の開国後に、日本は矢継ぎ早に戦争を体験せざるを得なかった。これは鎖国時代の250年間にまったく体験しなかった事態であった。

2018年04月18日14時23分

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日本宣教論(62)戦責・天皇・神道 後藤牧人

このように見てきていえることは、我々の日本宣教を進めるに当たり、東京裁判の結論を踏まえ、そこから始めるのは不適当ではないかということである。もし東京裁判の決定を宣教の出発点とすると、近世、近代、現代のキリスト教の罪はこれを不問にすることになる。

2018年04月04日16時44分

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日本宣教論(61)政治の道具としての宗教 後藤牧人

日本の精神史においては、織田信長による叡山焼き打ちと豊臣秀吉による石山本願寺の破壊以後、新しい伝統が始まったように見える。それは、政治が宗教の上位に立つという原則であって、宗教は政治の手段として利用され続けてきたように見える。

2018年03月21日19時53分

後藤牧人

日本宣教論(60)神社神道の成立 後藤牧人

こうして、曲折を経て成立した神社神道であった。政府は、主要な神社を官営とし、運営費と人件費のすべてを公費で負担した。これらは大・中・小の官幣社と国幣社である。さらに、県社、郡社、村社など、地方行政が負担するものがあった。

2018年03月07日17時11分

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日本宣教論(59)国体の本義 後藤牧人

最もよく日本の神道ナショナリズムを表現しているのは、1937(昭和12)年の文部省編纂(へんさん)のこの書であろう。当時の文部大臣は林銑十郎(せんじゅうろう)陸軍大将で、この人は陸軍大学の学長も務めた。

2018年02月22日20時12分

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日本宣教論(58)死後儀礼のない宗教 後藤牧人

確かにキリスト教徒は、軍部の意を受けた警察権力により迫害された。そこで使われた論理は国家神道のそれであり、その圧迫はかなりのものであった。しかし、この迫害はあくまで神道から出てきたものではない。

2018年02月07日10時33分

後藤牧人

日本宣教論(57)国教化への抵抗 後藤牧人

葦津珍彦(あしづうずひこ)によると、明治憲法はプロシアの立憲君主憲法を模範としたが、草稿の作成に当たり、顧問を務めたドイツの憲法学者たちは、神道を国教として採用するよう伊藤博文に強く勧めたという。しかし、伊藤はこれを拒否した。

2018年01月24日7時43分

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日本宣教論(56)祭神論争 後藤牧人

1879(明治12)年に、日比谷の神宮遥拝所の祭神のことで出雲大社の関係者たちから、造化の三神と天照大神に大国主命(おおくにぬしのみこと、出雲大社の祭神)も加えて五神とするようにとの要求があり、反対者との間に大論争が起こった。

2018年01月10日5時32分

後藤牧人

日本宣教論(55)神仏分離 後藤牧人

先に述べたように文献と物的証拠だけからすれば、神道は仏教の近縁として発達してきたとしか言えない。また、もし神道が古代に独立した宗教だったことがあるとしても、その直接の証拠は存在していないのである。

2017年12月30日18時48分

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