ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを豊かに加えられるのです。(Ⅱペテロ1:10、11)
自分の人生を振り返るときに言えることは、ただ一言「不思議」ということです。私は生まれつき運動能力の高い方ではありません。むしろ劣っている方です。
小学校に入学したときは、授業についていけない劣等生でした。小学校4年生までは、授業についていけなくて居残りが当たり前でした。
全ての面で遅れていたと思いますが、唯一の趣味は読書でした。本の世界は全ての制限を取り払い、夢の世界に導いてくれました。読書好きのおかげで、図書館に置かれていた聖書と出会うことができました。
私は中学生の頃から教会に通っていましたが、何も目立った活動はできませんでした。何か楽器が演奏できるわけでもありませんし、音痴ですから人前で賛美歌を歌うなどということはあり得ませんでした。弁舌が優れているわけでもありませんから、何も活躍できませんでした。
ただ一つできたことは、同級生を教会に誘うことでした。高校の同窓会に行くと、ほとんどのメンバーが「教会に行こう」と私に声をかけられたと話しています。
高校3年生の時の進路希望は、学校の先生になりたいということでした。英語が好きだから、英語の先生をしながら給料がもらえたらいいなと単純に考えていました。
ところが、聖書を本格的に学んでみたいという思いが強くなり、聖書学院に進むという道を選びました。しかし、牧師になりたいという気持ちはそれほどありませんでした。
とにかく聖書を学ぶけれども、自分が牧師に向いているとは思えませんでしたので、何か他の仕事をしながらお手伝いができればいいと考えていました。
私自身は他人に誇れるものは何もありませんが、自分の人生を通して主なる神が愛を注いでくださったこと、どんな時にもそばにいて、慰め、励ましを与えてくださったことはよく分かります。
神は必要なときに、かけがえのない出会いを与えてくださり、道を開いてくださいました。神のお導きを思い起こすときに、身震いを覚えるほどです。
人生にはいろいろな試練がつきものです。一生懸命に尽くしていた組織からの追放、経済的破綻による行き詰まり、予期せぬ病によるダウン、信頼していた人の裏切りなど、誰もが遭遇するかもしれない経験をさせていただきました。
しかし、主なる神につながっている限り、希望を失うことはありませんでした。
東日本大震災を機に鹿児島県宗教者懇和会が結成されたときから、ずっと関わってきました。神社に行ってもお寺に立ち寄っても、受付で「牧師の穂森です」と申し上げるのですが、どこに行っても快く迎えてくださいます。
歴史の流れや、日本文化と既存宗教がどれほど深く関わっているかを学ぶことができ、とても参考になります。他宗教の方々と交流して、自分の信仰が揺らぐことなど一切ありません。ますます自分の信仰を大切にし、深めていきたいと願うばかりです。
宗教者懇和会を母体として「いのち・地球・平和を祈る会」が生まれ、お坊さんや神父さん、シスターたちと毎月第1日曜日の午後、平和巡礼を行っています。教会に集まり、心の中で祈りながら、静かに歩みを進め、途中でお寺や神社にも立ち寄ります。どの宗教施設に行っても、自分たちの宗教のやり方で祈りをささげています。
去年は日本に原爆が落とされて80年目ということで、製造した米国と被害を受けた日本で同時に平和巡礼を行いました。資金的に援助してくださる方があり、何と私も代表メンバーに入れていただき、ニューメキシコ州を訪れることができました。サンタフェで平和巡礼と桜の植樹を大司教と一緒に行うことができました。
今年は9月に巡礼団がバチカン市国を訪れ、教皇レオ14世に謁見(えっけん)することが許されました。私が参加することはあり得ないと思っていたのですが、奇跡的に旅費が備えられ、参加することになりました。
今回はまずサンマリノ共和国で平和の巡礼と桜の植樹を行います。サンマリノ共和国は世界で5番目の小国ですが、西暦301年にローマ帝国の迫害を逃れた石工のクリスチャンたちによって建国されました。
山の上にある街の周囲は石垣で囲まれ、堅固な要塞になり、守備は十分ですが、建国以来一度も戦争をしたことがないといわれています。今日でも犯罪発生率はほとんどゼロで、消費税も所得税もない国です。
ローマでは、ユダヤ教のシナゴグ、イスラム教のモスク、仏教の禅センターを巡りながら巡礼します。バチカンでは教皇謁見の後で、諸宗教間対話審議会の長官との交流を予定しています。
私のような者が、なぜこのようなツアーに参加できるのか分かりませんが、神が与えてくださった機会だと信じています。私は、子どもの頃は自分に自信の持てない者でしたが、聖書との出会いにより、神の愛に気付くことができました。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)
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