学校や職場など、人の集まるところでは、良い人がいれば、必ず悪い人もいるものです。聖書の言う良い人とは、どのような人でしょうか。それは神を愛し神と共に歩み、神の御心にかなう行いのある人です。ヘブル人への手紙によれば、アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ギデオン、ダビデ、サムエルなどが御心にかなう神のしもべとして挙げられます。
サルデスとは、エーゲ海の東にあるアジヤのサルデス地方のことで、内陸地にある通商路が交差する地域で人の行き来が多かったのですが、経済的には発展しなかったようです。
1. 死んでいる
また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。「神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。『わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。』」(黙示録3:1)
「ほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」(ヨハネ20:30、31)
「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です」(ローマ8:6)
参考聖句を加味して1節の前半を解説すると、「サルデスにある教会の御使いに書き送れ。天地創造の数字七で啓示される、全世界のキリスト教会に与えられた御霊、および全世界のキリスト教会に遣わされた御使い、これら全ての支配権を持つイエス・キリストが、全世界のサルデス的教会へ黙示(暗黙的預言)をする」となります。
1節の後半を解説すると、「キリストであるわたしは、あなたの不信仰な肉の行いを知っている。あなたは、キリストからいのちを得てクリスチャンとして生きていると、自他ともに認識されているが、実は御霊のいのちと平安を持たないので、神の御前では死んでいる」となります。
聖書について多くの知識があっても、優れた倫理道徳的な教えであると理解するだけの段階にとどまっている人がいます。私たちの罪のため神イエス・キリストが人として生まれ、十字架刑で死なれ、3日目によみがえられたことを心から信じ、日々、聖書の御言葉によって自分の罪を悔い改め、神と共に生き、人知を超えた神の御心を知ることは、もっぱら肉的である人間にとって難しいのです。
故に、たとえ教会に通っていても、聖書を倫理道徳的に理解するだけの生活を送っている人は、御霊によるいのちと平安について知ることは不可能であって、いのちの御霊を持たない人は神の御前では死んでいると見なされ、霊的死の状態なのです。
2. 目を覚ましなさい
2)目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。3)だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。(黙示録3:2、3)
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」(1ペテロ5:8)
つまり信仰者は、御言葉によって自分の罪を自制し、悔い改め、うろつき回り食い尽くそうとしている悪魔の誘惑に陥らないよう、いつも霊的に目を覚ましていなさいということです。
参考聖句を加味して2節を解説すると、「悪魔の誘惑に陥って霊的に殺されないよう、霊的に目を覚ましなさい。もし、悔い改めて御霊によるいのちを得たなら、死にかけている他の人たちを力づけなさい。キリストであるわたしは、あなたの今までの信仰による行いが、御父の御前に何一つ全うされたとは見ていない」となります。
3節を解説すると、「あなたには信仰が見られないから、以前どのような御言葉を受けて聞いて悟ったのかを思い出し、その悟った教訓を堅く守り、悔い改めにふさわしい信仰の行いをしなさい。もし、肉的な信仰を悔い改めず、御霊による霊的な目を覚まさなければ、わたしは突然に盗人のように来るが、あなたには、キリストによるあなたへの裁きがいつ来るか分からない」となります。
だから、聖書の御言葉によって不信仰の罪を一つ一つ悔い改め、御霊により霊的な面で目を覚まし、御心にかなう誠実な行いのある信仰生活を続けることです。
もしあなたがそのような肉的状態から立ち直った人なら、他のクリスチャンたちにも自分の立ち直り体験を知らせ、悔い改めを勧めることです。悔い改めない者には、キリストが思いがけない時に来て、その不信仰者を突然に裁かれるのです。
3. 白い衣といのちの書
4)しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。5)勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。6)耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。(黙示録3:4〜6)
「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた」(黙示録20:15)
参考聖句を加味して4節を解説すると、「しかしサルデスには、信仰の衣を不信仰で汚さなかった者が幾人かいる。彼らは聖別された白い衣を着て、神の御前にふさわしい者としてキリストと共に信仰生活を歩む」となります。
5節を解説すると、「御言葉に従い、悔い改めて霊的に目を覚まし、悪魔の誘惑に勝利を得る者は、聖別の白い衣を着せられ、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。キリストが彼の名を父の御前と御使いたちの前で言い表すので、彼は誰からも害を受けることはない」となります。
6節を解説すると、「信仰で聞く耳のある者は、御霊が全世界の教会に言われる終わりの時代の黙示を聞き、従いなさい」となります。
まとめ
天地を創られた神を信じ、日々、聖書の御言葉によって罪を一つ一つ悔い改めて、信仰で誠実な行いのある信仰生活を続けることが、永遠のいのちです。聖書を倫理道徳的に理解するだけの人は、神の御前には霊的に死んでいるので、最後の審判の時には滅びます。
だから、御言葉によって不信仰の罪を悔い改め、霊的な面で目を覚まし、誠実な信仰生活を続けなければなりません。さもないと、キリストが盗人のように思いがけない時にやって来て、裁かれます。もしあなたがそのような状態から立ち直った人なら、他のクリスチャンたちに自分の体験を伝え、悔い改めを勧めることです。
そのように悔い改めの信仰生活を送っている人は、神によって白い衣を着せられ、誰もその天の御国のいのちに害を加えることができません。私たちも世の終わりの時代に、御霊が全世界の諸教会に書き送った、ヨハネの黙示録に書かれている御言葉に聞き従いましょう。
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