社会情勢が急変し、先を見通すことが困難な時代だからこそ、私たちは、聖書の言う今の時代の生き方を知る必要があります。それは、明日のことを心配しない生き方であり、今をどう生きればよいかを日々主キリストに聞き、示された御言葉に従うことを繰り返す生活です。
1. サタンの王座と信仰
また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。「鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。『わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。』」(黙示録2:12、13)
ペルガモ教会は、アジヤにある7つの教会中、最も北に位置します。ペルガモは地域の中心都市として栄えていましたが、同時に、蛇信仰やゼウス信仰の中心地でもありました。
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル4:12)
この聖句が意味することは、聖書にある神の言葉は聖霊と御使いによって生きて働き、両刃の剣よりも鋭く、人格である魂といのちである霊の最深部まで刺し通し、人の人生を判別することができるということです。
参照聖句を加味して12節を解説すると、「聖霊と御使いによって生きて働き、人の人生を判別することのできる鋭い両刃の剣である神の言葉を持つ方の黙示を、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ」となります。
「あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、・・・密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる」(イザヤ14:13〜15)
この聖句が意味することは「『私は御使い長を辞めて、神の御使いたちのはるか上に私の王座を上げ、空中を支配する者となり、神のような権威者になろう。』しかしサタンよ、あなたは死者の世界、よみに落とされ、最後の審判で、第二の死である火の穴の底に落とされる」ということです。
13節を解説すると、「わたしキリストは、あなたの住んでいる所を知っている。そこには、蛇を祭った神殿やギリシャ神話のゼウス神殿など、サタンの王座がある。しかしあなたは、その所でアンテパスがキリストの忠実な証人として殺されたときでも、キリストの名を堅く保って、信仰を捨てなかった」となります。
2. バラムの教えとニコライ派の教え
しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。(黙示録2:14〜16)
「彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです」(2ペテロ2:15)
「あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる」(黙示録2:6)
参照聖句を加味して14、15節を解説すると、「殉教精神があるとはいえ、少し非難するところがある。それは、あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。占い師バラムは、敵国モアブの王バラクに買収され、イスラエルの人々に偶像崇拝や不品行を行わせた。それと同じように、偶像崇拝や不品行につながる風習に妥協するニコライ派の教えを奉じている人々がいることを、キリストが憎んでいる」となります。
16節を解説すると、「バラムの教えとニコライ派の教えを奉じている教会員を悔い改めさせなさい。そうしないなら、裁き主キリストがすぐに行き、両刃の剣で彼らと戦う」となります。
バラムの教えとニコライ派の教えを奉じる人々のいる教会では、その偶像崇拝と不道徳に対するサタンからの呪いと、神からの裁きの嵐が吹き荒れるのです。裁きの嵐が嫌であるなら、教会は彼らを悔い改めさせることです。
3. 勝利と新しい名
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。(黙示録2:17)
「朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。・・・白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。・・・モーセは彼らに言った。『これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです』」(出エジプト記16:13〜15)
「イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった」(同16:31)
これらの聖句が意味することは、「エジプトの奴隷から解放され、荒野をさまようイスラエルの民に、神は40年間、毎朝、白い種のような甘いせんべい味のマナを与え、神からのパンであると教えた」――つまり、私たちに適用すれば、一日を御言葉によって生きるということです。
「あなたは、主の口が名づける新しい名で呼ばれよう」(イザヤ62:2)
「二つのしまめのうを取ったなら、その上にイスラエルの子らの名を刻む。・・・生まれた順に刻む。・・・イスラエルの子らの記念の石としてエポデの肩当てにつける。アロンは主の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする」(出エジプト記28:9〜12)
これらの聖句の意味することは、「しまめのうの石に、イスラエルの子らの名を生まれた順に刻み、約束の民の記念の石として大祭司アロンの肩当てにつけ、主の前で、彼らの名を神の国の記念とする」――つまり、私たちが御国の民として新生し、その名が石に書かれ、大祭司キリストの肩に負われるということです。
参照聖句を加味して17節を解説すると、「信仰の耳のある者は、御霊が全世界の教会に言われることを聞きなさい。サタンの誘惑に対し、信仰によって勝利を得る者に、キリストは、隠れた奥義である御言葉のマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者の他は知ることができない、御国での新しい名が書かれている」となります。
信仰者の人生とは、日々、聖霊によって啓示される御言葉に従うことでサタンの誘惑に勝利し、奥義である御言葉を悟り、永遠のいのちを手に入れる道です。その戦いに勝利する者には、御国で与えられる新しい名の刻まれた白い石が与えられます。
まとめ
ペルガモは当時、異教の蛇信仰やゼウス信仰の中心地であり、偶像礼拝や不道徳な儀式が盛んに行われていました。
ペルガモの教会では、そのサタン率いる偶像崇拝社会からの迫害によってアンテパスが殉教しましたが、死に至るまで忠実な信仰により、教会員は信仰を捨てませんでした。
しかし、偶像崇拝や不品行につながる地域の風習に妥協する、バラクの教えやニコライ派の教えを奉じる教会員がいたので、教会の権威を用いて彼らを悔い改めさせる必要がありました。
もし私たちが最後まで、御霊の与える御言葉によってサタンの誘惑に勝利し続けるなら、主は私たちに奥義の御言葉を与え、また、御国で与えられる新しい名が書かれた白い石をお与えになります。
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