『聖なる漁夫』 ペテロの生涯とアラビア王女のロマンスが交錯する物語

2019年7月2日22時02分 執筆者 : 栗栖ひろみ 印刷
+『聖なる漁夫』 ペテロの生涯とアラビア王女のロマンスが交錯する物語
ラファエロ・サンティ「奇跡の漁(いさ)り」(1515年)

今回紹介する『聖なる漁夫』は、おなじみのイエスの弟子ペテロの生涯を、アラビアの美貌の王女のロマンスと重ねて描いた小説である。この書はすでに、米国でベストセラーとなった同じ著者による『聖衣』と共に世界中の人に親しまれており、キリスト教と無縁な人も楽しく読める一大エンターテイメントである。特にその卓越した筆遣いで描かれたイエスの姿は魅力的で、万人の心を捉えるに違いない。

ロイド・キャッセル・ダグラスの生涯

ダグラスは1877年8月27日、米インディアナ州コロンビアシティーで生まれた。彼は牧師であった父の勧めで、ウィッティンバーグ・カレッジを出るとすぐに神学校に進み、卒業後はルター派の牧師となった。以後30年間牧会に携わったが、定年後牧会から身を引くと、著述生活に入り、50歳を過ぎてから突然小説を書き始めて人々を驚かせた。最初の作品『心のともしび』、続いて『白い旗』『クリスマス前夜の帰宅』と発表した。1943年に発表した『聖衣』はベストセラーとなり、多くの読者を獲得した。そして6年の沈黙の後に『聖なる漁夫』を発表した。

彼の小説を大衆小説と批判する人もいたが、彼は説教や論文で聴衆に語るよりも、より効果的な手段として小説を選んだのであると淡々と語ったという。彼の著作で一貫して描かれているのは、人間の尊厳と愛である。愛のみが人間を救い得るのだという強い信念は、美しい表現と優しい文章で読む人の胸を打ち、著作はことごとくベストセラーとなったのである。しかし、『聖なる漁夫』を世に出して2年後、1951年に彼は自らの使命を全うしてこの世を去った。

あらすじと見どころ

アラビアの美しい王女ファーラは、母親である王妃が侮辱されたことに対し、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスに復讐(ふくしゅう)するために旅に出た。王女を愛している執政官の息子ヴォルデは心配して後を追う。やがてヨルダン川のほとりに着いたファーラは、そこでヨハネという人物が人々に悔い改めのバプテスマを授けているのを見た。そして彼の語る「救世主の到来」に心引かれる。

ガリラヤ湖のほとりでは漁師たちが仕事に精を出していた。シモンは3隻の船の船主で、彼の下で30人ほどの船員が網の繕いをしている。そこへ雇い人の一人であるヨハネが、みすぼらしい姿の若者を連れてきて食事をさせてやってほしいと言う。シモンの義母ハンナは、親切に世話をする。実は、この若者は変装したファーラだった。ヨハネは見てきた不思議な大工の話をする。

シモンは、なんだ、というふうに肩をそびやかした。

「でも弱そうではないんです」とヨハネは、かばうように言った。「何もかぶらず、じかに太陽に照りつけられていたけど、わたしたちよりは、ずっと色が白い。(中略)短い頬(ほお)ひげが生えていたが、それでも声にくらべると、ずっと若く見えた。目が――」

ヨハネは、またここで言葉を切り、一同の視線をあびながら無心に網をいじっていたが、やがて深い溜息(ためいき)をもらすと、また静かに話しだした。(上巻・120~121ページ)

シモンは、ヨハネが話す大工を見に出掛けていく。ハマテの村に入り、群衆にまじって歩いていくと、やがてイエスという名の大工が人々に語っている場所に出た。この時、盲目の女の子を連れた母親を助けたことから、彼はイエスの驚くべき癒やしを見た。

イエスは手を伸ばして軽く子供の目にあてた。いたわるような、なにげない動作だった。それまで子供は周囲の気配におびえて、身をまもるかのように両手を胸のあたりにちぢめ、体をかたくしていたが、イエスの手がふれた一瞬、たちまち緊張がとけ、赤子のように、やすらかな吐息をもらした。突然、シモンは恍惚(こうこつ)とした。イエスの前膊(ぜんはく)が、かれの腕にふれたのだ。ふしぎな感触だった。シモンは子供の恐怖が突然消失した理由を知った。(上巻・187ページ)

シモンはその時以来、イエスが忘れられなくなり、その後を追っていく。そんなある日、イエスは彼を招き、最初の弟子としたのだった。

一方、ファーラを探す旅に出たヴォルデはガリラヤの町カペナウムに着いた。そこでシモンの家に泊まっているファーラと再会する。彼は一緒にアラビアに帰ることを勧めるが、イエスの業に魅了され、その虜となっていたファーラはそれを拒絶。ヴォルデは一人アラビアに帰る。

イエスの12人の弟子もそろい、彼らは伝道の業を開始する。会堂司ヤイルスの家では、足の不自由な若者が癒やされ、ヤイルスの一人娘のシャロンも死からよみがえる。カペナウムのシモンの家は、イエスの宿舎として提供されていたが、イエスは無口で人嫌いのアンドレ(シモンの兄)の性格も変えたのだった。

しかし、この夜にかぎってアンドレは、抑えきれない魅惑のとりこになり、食物を忘れて耳を傾けた。やがてかれは自分がイエスのおちついた目をじっと見つめているのに気づいて、あわてて目をそらそうとした――が、それはできなかった。(中略)イエスから漁夫という職業はおもしろいかとたずねられたとき、かれは微笑をうかべて、漁を楽しむのは他に職業のある人だけだと答えて、一同を、またかれ自身を驚かせた。一同は声をあげて笑い、アンドレも当惑するどころか、かつてない幸福感にひたった。(下巻・7ページ)

このような時、突然シモンの義母ハンナが急病になり、助かる見込みはないと思われた。ファーラはイエスを呼びに行く。そしてイエスは彼女をよみがえらせたのだった。シモンはこの頃、自分が一番弟子であるとの自負からやや高慢になっていたが、イエスはそんな彼を諭すのだった。

ながいあいだ沈黙がつづいた。やっとイエスは言った。

「シモンよ、サタンがその打穀場でそなたを打ったのではないか」

後悔にくれたシモンは一言もいうことができなかった。かれは、うなだれて唇をかんだ。溜息をついて前にかがみこみ、イエスは、もういちどぼろぼろのろくろをとりあげて仕事をはじめた。やがてかれは慈愛のこもったほほえみをうかべ、シモンのほうに向きなおり、折檻(せっかん)をうけた子供をさとすようにやさしく言った。

「しかしそなたのために、わたしはいまもなお祈りつづけている」(下巻・18ページ)

バプテスマのヨハネが、ヘロデ・アンティパスの館で殺されたというニュースが流れてきたころ、イエスはエルサレム入城を決意し、弟子たちに受難と十字架の死についての予告を語る。弟子たちは驚き、悲しむが、師の後について行くことを誓い合った。ベタニヤで最後の晩餐を取った夜、イエスは逮捕される。この時、すでにペテロと呼ばれていたシモンは三度、イエスとの関わりを拒否した。その後、イエスはピラトの官邸で裁判を受け、死刑が確定する。用事で来合わせていたローマの高官でヴォルデの友人メンシウスはこの場を目撃し、心を痛めるのだった。

イエスが十字架につけられた後、心の支えを失ったファーラはギリシャに旅立とうとしていた。しかしその朝、奇跡が起きた。イエスがよみがえったというニュースが流れてきたのである。それはまたたく間に各地に広がっていった。ヴォルデとメンシウスはローマに発つ。その朝、ペテロが浮舟の上で思い悩んでいると、イエスが浜辺に現れ、彼を呼んだ。

三十分後、弟子たちは二人三人と連れ立って、その日の仕事に集まってきた。かれらは焚火(たきび)を前にして並んで座っているペテロとイエスを認めて走りより、それぞれイエスの微笑に迎えられた。大いなる漁夫は蓬髪(ほうはつ)をぬらし、肌をぬぎ、ぬれた下着が、かたわらの砂の上にひろげられていた。かれの眼は赤く泣きはれていたが、異様に輝いていた。何があったかは明瞭だった。ペテロは自分の弱さを涙ながらに悔い、イエスの友愛を完全に回復したのであった。(下巻・196ページ)

その後、弟子たちとイエスを信じる者たちが丘に登ると、そこに現れたイエスは彼らを祝福し、「世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」との言葉を残して天に上げられた。弟子たちは全世界に出て行き、証言するためにそれぞれ散って行った。ペテロは一人、ヨッパに行き、コルネリオに福音を語った後、アラビアに向かった。

ファーラはひとまずアラビアに帰ったものの、そこが安住の地ではないことを知った。そこへやってきたペテロは癒やしの業を行った後、ファーラとヴォルデを連れてギリシャに旅立つことにする。しかし出航直前に、アラビア皇室から使いが来て、王の崩御とヴォルデが新しい国王に選ばれたことを告げる。ヴォルデはアラビアに残り、ファーラはギリシャに行くために永久に別れることになった。

ローマに赴いたペテロは、ローマ皇帝カリグラのキリスト教弾圧の勅令に触れ、投獄される。この時、高官メンシウスの必死の執り成しもむなしく、30日後に処刑が決められた。その日、ペテロはメンシウスと最後の別れをした後、天国での再会を約束し、従容(しょうよう)として死に赴くのだった。

■ ロイド・キャッセル・ダグラス著、大久保康雄訳『聖なる漁夫』(上下巻、角川書店 / 角川文庫、1960年)

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。

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