非戦の牧師・柏木義円の願いを継ぐ 第2回「桜椿祭」、新島襄ゆかりの地・安中で開催

2016年4月11日21時29分 記者 : 新庄れい麻 印刷
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非戦の牧師・柏木義円の願いを継ぐ 第2回「桜椿祭」、新島襄ゆかりの地・安中で開催
あいさつする「非戦の願いをつぐ安中・松井田の会」代表の中嶋昇太郎氏=9日、西広寺(群馬県安中市)で

新島襄にゆかりのある日本基督教団安中教会(群馬県安中市)の5代目牧師を38年にわたって務めた柏木義円(1860~1938年)は、反戦・非戦を終生訴え続けた「非戦の牧師」として知られる。その柏木の願いを継ぐ、第2回「桜椿祭(おうちんさい)」が9日、柏木の墓がある西広寺(同市)で開かれた。主催は市民団体「非戦の願いをつぐ安中・松井田の会」(通称:非戦の会)。新島学園短期大学(群馬県高崎市)の宗教主任・山下智子准教授が「湯浅治郎と群馬の廃娼運動」と題して講演を行った。

柏木は、新潟県与坂町に寺の住職の子として生まれた。東京師範学校卒業後、安中市小学校の校長を務める。小学校在職中に同教会の初代牧師・海老名弾正から洗礼を受けた後、新島襄を慕って同志社で学び、その教えを受ける。熊本英学校などでの教職を経て、同教会牧師として安中に戻り、地域伝道と政治・社会批判活動を活発に展開した。柏木の関心は、足尾鉱毒事件、廃娼運動、未解放部落問題、朝鮮人虐殺問題など多岐に及び、その主張は、柏木が1898年から1936年まで発刊した「上毛教界月報」に著わされている。日露戦争以降は一貫して非戦を訴え続け、「国家を超越する基督教(真の隣交国)」を指し示した人物として知られている。

2001年に発足した非戦の会は、隔月で郷土の歴史や戦争の記憶をテーマにした学習会を開催し、安中市文化センターにある「非戦の石碑」の前で平和集会を開くなどの活動を行っている。昨年から、柏木が生まれた3月30日に近い4月の第1週に、会場を安中教会と西広寺で交互に受け持ち、同祭を開催している。同教会の庭に咲く濃いピンク色の枝垂桜、同寺の樹齢推定300年の椿(県指定天然記念物)にちなんで、桜椿祭と名付けられた。

非戦の牧師・柏木義円の願いを継ぐ 第2回「桜椿祭」、新島襄ゆかりの地・安中で開催
「桜椿祭」の名前の由来となった、日本基督教団安中教会の枝垂桜。後ろに見えるのが、新島襄記念会堂(国登録有形文化財)=9日、日本基督教団安中教会(群馬県安中市)で

当日は、同教会の新島襄記念会堂(国登録有形文化財)の見学も予定されていたが、急きょ葬儀が執り行われることになり中止となった。安中には、安中藩士の子として生まれた新島にゆかりのある史跡が数多く残されている。群馬最古のキリスト教会である同教会もその一つ。新島が1878年に、湯浅治郎を含む地元の求道者30人に洗礼を授け、公会設立式を司式したのがその始まりだ。新島の召天30周年記念に当たって、湯浅や柏木の尽力により、ゴシック組石造の同会堂が建てられ、ほぼ1919年の完成当時のまま現存している。会堂内の壁には、新島、海老名、湯浅、柏木らの肖像画が掛けられている。

同祭には、近くは同市から遠くは県外から参加者が集まり、会場となった同寺の本堂からは人が溢れるほどであった。非戦の会の代表を務める中嶋昇太郎氏は柏木について、「非戦の精神を貫き通した柏木の文章を学ぶと、はるか昔の人の言葉とは思えないほどに今に生きており、さらなる将来をも見通す力があると感じる」と話し、「安中の地は、新島や柏木などの先人の志を受け継ぐ人々が起こされてきた。自分たちもその後を継ぎたいと非戦の会を発足し、活動を続けている」とあいさつした。

また、「上毛教界月報」の研究を続けている、非戦の会事務局の萩原慧氏が、柏木の残した言葉を紹介。1919年1月15日発行の「上毛教界月報」から「君主国体と民主々義」にある「国民個々に尊厳侵す可からざるものあるを認むる此れ民主々義の精髄である良心の自由、信仰の自由、思想の自由、言論の自由、参政の権利此れ国民個々の人格の尊厳を政治上に於て認めたのである」(原文ママ)という一文を力強く朗読すると、大きくうなずく参加者の姿が多く見られた。

非戦の牧師・柏木義円の願いを継ぐ 第2回「桜椿祭」、新島襄ゆかりの地・安中で開催
講演を行う、新島学園短期大学(群馬県高崎市)の宗教主任・山下智子准教授=9日、西広寺(群馬県安中市)で

講演の講師として招かれた山下准教授は、福島県出身、同志社大学大学院で神学を学び、日本基督教団会津若松教会で牧会という経歴の持ち主で、新島八重の研究でよく知られる。NHK大河ドラマ「八重の桜」などでキリスト教関連指導を担当してきた。今回は、新島と親しく交わりを持ち、柏木の支援者であった、クリスチャン政治家・事業家の湯浅を取り上げ、その人生を概観する内容の講演を行った。

江戸時代末期に、味噌・醤油醸造を営む有田屋の跡取りとして生まれた湯浅は、福沢諭吉の影響を受けて日本初の私立図書館を設置するなど、若い頃から西洋文化・思想に強く心引かれていた人物だった。米国から帰国した新島を通してキリスト教と出会い、「人生の目的も悟り、天地が明るくなり、万事が新たになり・・・愛の実行もできるようになり・・・色々苦痛困難にあいても意外と平然として、これに耐えうるようになれり」と、人生が全く変えられる体験をする。

役所の書記に抜擢されたことに始まり、群馬県会議員、議長、第一回帝国議会衆議院議員と、末は大臣かと言われるほどに政治家として順当な道を歩む一方、YMCAの結成に協力、日本鉄道会社の理事を務めるなど、事業家としても幅広く活躍した人物だ。だが、新島の召天をきっかけにこれら全てを捨て、同志社の一職員として京都へ転居。新島を失った同志社の不遇の時代に、その才能を生かして経営を支え、キリスト教精神を守り抜くよう励ました。

山下准教授によると、湯浅は「無言実行の人」と呼ぶにふさわしく、「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない」という聖書の言葉がぴたりと当てはまる人物だという。特に、全国に先駆けて廃娼県となった群馬の廃娼運動の資料を読み解いていくと、その記録にさまざまな食い違いが生じているそうで、それは主唱者であった湯浅があまりにも謙遜しすぎ、その功績が他の人のものになってしまったからなのではないか、と山下准教授は推測する。

柏木は群馬を離れた湯浅の継承者として、廃娼を守り抜くために根気強く戦っていった。柏木自身にとっても、湯浅は心の友とも呼べる大切な存在であったようで、湯浅が召天した日の日記には「これから誰のために上毛教界月報を書けばいいのか」と記されているという。

群馬の郷土かるた「上毛かるた」には、「平和の使徒(つかい)新島襄」という札がある。山下准教授は、この札の原案者が、柏木から受洗した須田清基牧師であることを指摘し、「新島が群馬に伝えたキリスト教によって、湯浅や柏木などの平和愛好の使徒が誕生した。群馬に生きたクリスチャンに倣って、単に戦争がないことにとどまらない、一人一人が大切にされる真の平和実現のために歩む人になってほしいとの願いが込められているのではないか」と話を結んだ。

講演会後には、第2部として、群馬県伊勢崎市出身のテナーサックス奏者、森村恭一郎氏によるコンサートが行われ、「アメイジンググレイス」「グリーンスリーブス」など12曲が演奏された。

「非戦の願いをつぐ安中・松井田の会」への問い合わせは、事務局(電話:027・381・3280)まで。

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