聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時(その1)

2014年9月28日09時22分 翻訳者 : 宮村武夫 印刷

本紙編集長としての歩みを続けている中で、桐生悠々(1873〜1941)の名を何回か見聞きしています。理由の一つは、現在私たち夫婦が購読している新聞にあります。太平洋戦争中に新聞統合される前の一つ、新愛知新聞の主筆として、1914年から桐生は、社説やコラムで反権力の論説を展開していたのです。

1980年代の初め青梅キリスト教会牧師時代、M夫人から、彼女の祖父・桐生悠々の名を初めて聞き、2冊の新書を頂きました。

桐生が信濃毎日新聞主筆であった1933年執筆の「関東防空大演習を嗤(わら)う」を読んで受けた強い印象、そうです、その12年後多くの都市が直面した空襲の悲惨を予告、たじろぐことなく記述する明晰な文章の力を、今でも鮮明に記憶しています。あの時から30数年後、今このとき、もう一度あの文章を精読しています。

そもそもMご夫妻との出会いは、私たちが米国に留学していた1967年、マサチューセッツ州ケンブリッジ市の同じアパートに住んだことによります。M氏は、道路公団から派遣されて、マサチューセッツ工科大学(MIT)に学んでおられ、私たちはとても親しくなり、やがてMご夫妻は、小さな日本語聖書研究会にも参加されるようになったのです。

私たちの交流は、帰国後もMご夫妻の国外勤務を挟んで継続、ついにご夫妻は吉祥寺教会で受洗しました。その前後、M夫人は、桐生悠々が子どもたちを皆ミッションスクールに進学させた事実を強調されながら、祖父・桐生悠々の名を伝え、2冊の新書を思いを込めて手渡してくださったのです。

すでに召天されたM夫人をしのびながら、桐生悠々との対話を改めて始めたいのです。

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