アルゼンチンの教会、死の収容所にいた母親から生まれた孫を見つけた祖母に大喜び

2014年8月17日23時02分 翻訳者 : 行本尚史 印刷
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エステラ・デ・カルロットさん(写真:Abuelas de Plaza de Mayo – Sitlo official)
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35年以上も探したあげく、アルゼンチンの「プラザ・デ・マヨ(Plaza de Mayo)の祖母たち」は、ついに彼女たちの創立者の一人であるエステラ・デ・カルロットさんの孫を見つけた(訳者注: プラザ・デ・マヨは、「マヨ広場」「5月広場」とも呼ばれ、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの中心部にある大きな広場。「プラザ・デ・マヨの祖母たち」や「プラザ・デ・マヨの母たち」は、アルゼンチンの軍事独裁政権時代に失踪した孫や子どもたちを探し求めてその広場に集まるその祖母や母親たちのグループ)。

アルゼンチンにおける1976年から83年までの残虐な軍事独裁政権の時代に妊娠していた自分の娘であるラウラ・カルロットさんが拉致・投獄され、母親のエステラ・デ・カルロットさんは娘を失った。しかし最近、その娘の子が見つかったことでカルロットさんの長くて苦しい旅は終わった。

独裁政権の部下たちはカルロットさんの娘に息子を出産することを認めた。それから彼らはその幼子を連れて、彼らが選んだ子どものいない家族と一緒にさせた。こうした家族の多くは軍部の家族の中から選ばれた。一方、これはその子を出産した後、カルロットさんの娘を殺す直前のことであった。

結成以来、「プラザ・デ・マヨの祖母たち」の目標は、アルゼンチンの軍事独裁政権の秘密の拘留所で生まれた子どもたちを探すことに焦点が当てられてきた。

独裁政権の時代から今日に至るまで、世界教会協議会(WCC)や中南米のWCC加盟教会など、この地域のエキュメニカル組織は、この「母親たち」や「祖母たち」の活動に寄り添ってきた。

人権のための闘いの闘士として見られているカルロットさんにとって、彼女の旅が終わったのは今年7月5日のことだった。ブエノスアイレスのオラバリア市で音楽家として活動するグイドさんという名前の35歳の男性が、カルロットさんの孫だと分かったのだ。これが明らかになったのは、グイドさんがDNA検査を受けることを申し出た後のことだったが、その結果カルロットさんと血縁関係にあることが分かったのである。

グイドさんがDNA検査を受けた理由は、彼が自分自身の存在証明や自分がどこから来たのかについての疑いを持っていたからであった。

孫たちが見つかったという話が他にもある一方で、この話がとりわけ強く心に訴えるのは、それが今、同じような運命で苦しんだ他の女性たちのために正義を求めていることで知られる指導者の女性の人生に触れたからである。

この話が重要なのは、それがアルゼンチンで現在も続く軍事独裁政権の暗い時代の真実を明らかにする必要性を生かし続けるものだからでもある。

歴史を書き直すこと、教会による正義の追求

カルロットさんの孫が見つかったことは、この国の歴史のその部分を書き直す過程にあり、正義を追求する教会に関わってきた、アルゼンチンのエキュメニカル指導者たちによっても称賛されている。

カルロットさんは、中南米教会協議会(CLAI)やWCCの加盟教会から彼女や他の女性たちが受けてきた無条件な支援を数回にわたり公に強調し大切にしてきた。

リバー・プレート福音教会(IERP)のフアン・アベラルド・シュビント牧師は、カルロットさんがいくつかの活動の中でそれらの教会やエキュメニカル組織に寄り添ってきたことを思い出す。

「70年代末にジュネーブへ旅をして、WCCで中南米の人権プログラムを担当していたチャールズ・ハーパーさんに会いに行ったのは彼女でした」とシュビント牧師は語った。「カルロットさんの主張は、他の指導者たちの主張とともに、世界教会協議会やエキュメニカル運動全体の中でいつも非常に敏感に聴いてもらえたのです」と、シュビント牧師は付け加えた。

7月6日にカルロットさん宛に送られた公開書簡で、アルゼンチン福音メソジスト教会のフランク・デ・ヌリー・ブラウン監督は、この母親たちや祖母たちが非常に多くの献身と努力をしてきたことがもう一度うまくいったと、喜びと満足を表した。

「私たちは、孫たちが取り戻されたことに、いのちの与え主である神に感謝するとともに、私たちはこのプラザ・デ・マヨの母親たちと祖母たちが自らの愛する者たちを見つける上で、彼女たちを強め続けてくださいますよう、神に求めます」と、彼はその書簡の中で述べた。

「1973年の直後、WCCはすでにピノチェト政権からアルゼンチンへ逃れるチリ難民を助けるプログラムを積極的に支援する責務をすでに担っていました」と、WCCの元職員であるチャールズ・ハーパーさんは語った。「(アルゼンチン西部の都市)メンドーサとブエノスアイレスにある加盟教会と関連団体は、何千人もの人たちを守るために、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の取り組みと手と手を取り合って活動したのです」

「アルゼンチン軍部による1976年のクーデターがその難民の社会と自国の市民に対して不安定と抑圧を引き起こしたとき、WCCの加盟教会の会員たちは、『人々の強制された失踪』と呼ばれた邪悪な現象に対して、率先して国際的なエキュメニカル運動に警鐘を鳴らしたのです」

ハーパーさんは、「失踪した」のは何百人もの若い政治的反対者たちであり、彼らの一部は幼児やまだ生まれていない子どもたちの親だったと語った。「プラザ・デ・マヨの祖母たち」が、「プラザ・デ・マヨの母たち」としても運動を構築し、行方不明の孫たちの捜索に支援を求めたのはその時だった。

グイドさんの出現とともに、「プラザ・デ・マヨの祖母たち」は自分たちの失われた子どもたちのうち114人を何とか見つけたが、その人たちは軍部支配の元で違法にさらわれたのだった。

ハーパーさんによれば、拉致されて、子どものいない夫婦たち(その大多数は軍隊や警察関係者)によって「養子にされた」、今や大人である400人以上の行方不明の子どもたちが今もなお「逃走中」であることを考えれば、アルゼンチンの多くの人たちにとってこの寄り添いは闘いの終わりではないという。

※ リバー・プレイト福音教会のエウゲニオ・アルブレヒト牧師、アルゼンチン中南米カリブ通信(ALC)、チャールズ・ハーパーWCC元職員、マルセロ・シュナイダーWCC中南米職員からの報告によるもの(この記事は2014年8月13日付のWCCからの情報を日本語訳したものです)。

訳者付記:なお、日本語に訳されたアルゼンチンタンゴの賛美歌「だから今日希望がある / 希望と勇気にあふれ」は、この記事に出てくるアルゼンチンの軍事独裁政権の時代の中でキリストにある希望を歌おうと書かれたものです。

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