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宣教師C・L・ブラウンとその時代

宣教師C・L・ブラウンとその時代(10)―1922(大正11)年(5)

2012年3月1日15時11分
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第5節  西アフリカ、リベリア到着

ボードがブラウンの死後発行した『ブラウン伝記』には、リベリア到着を次のように記している。

「フランスのマルセイユでシェラレオネのフリータウン行きの汽船を確保した。ブラウンを乗せた汽船は、1921年11月5日の日曜日、リベリアのモンロビアに着いた。汽船が到着したのは、深夜であったので、乗客はすべて下船することが出来ず、町を見渡す広々とした港に船は一晩停泊した。翌日の日曜日の朝方、郵便船が一通の手紙を届けくれた。それは総管財人H・F・ワーレイ(Worley)からのもので、ブラウンをモンロビアにて客人として、招待するという手紙であった。」

この『ブラウン伝記』から旅程を推測すると、ブラウンはマルセイユから西アフリカのフランス植民地領であるシェラレオネへの定期航路をもつフランスの汽船の船客となって、フリータウンに到着した。

シェラレオネからリベリアにまたがる、アフリカ最大の熱帯雨林をモンロビアの小さな港湾に停泊する船上から眺めていたブラウンは、名状しがたい感動が身内に満たして行くのを感じていたかもしれない。

ブラウンを載せた汽船は大西洋岸にあるリベリアの首都モンゴリアの埠頭に11月5日の日曜日の朝、着岸したと思われる。

リベリアは国土約11万1,370㎢で、東南東から西北西に548kmある。沿岸地帯は幅40kmほどで、海水の流れ込む沼沢や、浅い入江、マングローブ林が多い。その内陸はゆるやかな起伏の丘陵地で、標高は60~150mほどで、国土の大半は低い山地と台地が連続し、高低が激しい。リベリアから隣国のジェラレオネとコートジボワールにかけてはアフリカ最大の熱帯雨林が展開する。

到着後、ブラウンは次のような手紙をリベリアから第一信として妻に送っている。ここには、暑さの中での厳しい旅程の概要がいっそう直截な言葉と共に述べられている。ブラウンの胸には、クリスマスでの懐かしい家庭の思い出と未来への夢想が、一瞬の間、頭の中で交差したかもしれない。

「
1921年11月7日
モンロビア

昨日の朝、モンロビアに到着した。アメリカ政府の財務担当者、H. F. ワーレイと一緒です。昨日は日曜日であったので、奥地に向かうことはできなかった。今日は、政府の役人から呼び出され、書類を整えました。大統領は病気であり、未だに会うことができていません。会計係の書記である、アメリカ人の役人の一人に会いました。

明日は汽艇に乗って、川を遡りミューレンバークまでいきます。これから約4週間の辛い旅が始まります。暑い季節が始まるので、まさに暑い中で務めを果たさなければなります。

私と一緒にいるH. F. ワーレイ(Worley)は、ワシントンに家族を残してきており、二年ほど前から別々に暮らしています。彼は電報でアメリカ政府に休暇を申請しており、今、その返事を待っているところです。彼は、この国の財政を管理しており、リベリア問題に関して精通しています。私に対して非常に親切であり、助けてくれます。誰よりもリベリアについて知っているので、ミッションにも親近感か抱いています。さらに、彼は行動的な人であり、かつ熱心なクリスチャンであり、その意味でも外国政府の中においては珍しい人です。

この地を視察するには少なくても四週間が必要です。距離もかなりあるので、気候条件もあまり良くないので、東アフリカのようには迅速に進まないはずです。クリスマスの後まではかからないと思いますが、ことによると二週間を費やすかもしれません。それに、ここでは汽艇の連絡が他のところよりも便利が悪いです。僅かなボートしかありません。12月に終えて、一ケ月と20日ぐらいで帰国の旅に向かうことができると思います。クリスマスを家で迎えることができないことを謝らなければならないし、それは私にとって大変残念なことであります。

夜は、キニーネの薬で頭がぶんぶん鳴っています。今、私は一日、5錠を飲んでいます。そのために一日も病気にかかったことがないので、この調子でリベリアでの務めを果たしたいと思います。」
(In Memorial Charles Lafayette Brown,p87-89)

ここでアフリカの植民地分割とリベリアでのキリスト教の歴史について簡単に触れておきたい。

1880年から1910年の30年間に、広大なアフリカ大陸はヨーロッパ列強により迅速かつ一方的に分割された。そのアフリカ争奪・分割の象徴的会議がベルリン会議である。この会議は、1884年11月から翌年2月まで、ドイツ・プロイセン王国の鉄の宰相ビスマルク(Otto Eduard Leopold von Bismarck-Schönhausen)の呼びかけに応じて、13の国、ヨーロッパ列強がコンゴ植民地化をめぐる対立の収拾が図らために参集し、列強による「アフリカ分割」の原則が確認された。13ヶ国は、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、ロシア、オランダ、オーストラリア=ハンガリー、スペイン、ポルトガル、スウェーデン=ノルウェー、オスマン・トルコ、それにベルギーであつた。

会議は全7章、38条で構成されるベルリン協定を締結した。その内容は、コンゴ盆地に関するもの、奴隷貿易の禁止に関するもの、植民地分割に関するものであった。ことに、植民地分割の基本原則が定められ、その一つはアフリカ大陸の沿岸部の占領地が自動的に後背地の所有権を占めというものである。また、他国の権益のない地域を勢力圏に入れるには列強に通告すればよいというアフリカ人の存在を無視した支配の原則を合意したのがベルリン会議であった。

このヨーロッパ列強による「アフリカ分割」の対象とならずに、独立と維持を保った国が二つあった。列強の干渉と侵略を多少受けながらも、例外的に独立国として立場を存続したのは、北東アフリカのエチオピアと、それに西アフリカのリベリアであった。

リベリアは、アメリカの保護と下、アメリカ系アフリカ人の植民地として建国されていった。つまり、リベリアへの最初の定住従者はアメリカの解放奴隷であった。

アメリカ植民地協会が解放奴隷と奴隷船から救出した奪還奴隷をモンロビアに入植させたのが1822年である。彼らは「アメリカ合衆国内に居住する自由な有色人種が、彼ら自身の同意にもとづき、アフリカに植民計画を促進し実行する」という目的で設立された民間団体であり、アメリカ植民地協会及びジェームズ・モンロー大統領の後援を受けていた。

その後、アメリカから移住して来た元奴隷の中には奴隷時代のアメリカ南部のキリスト教文化を身につけ、英語を自由に操り、アメリカ式生活スタイルの価値観をもった奴隷がおり、リベリアの新たなる支配層となった。ただし、アメリカ植民地協会から送られて来た奴隷は当時の大統領モンロー(モンロビアは彼の名前による)の支援を受けたにもかかわらず、原住民の襲撃をかわして、モンロビアに近いプロヴィデンス島に入植者たちの拠点を形成していった。

1847年にアメリカを範とする憲法が取り入れられ、リベリア共和国が樹立された。その後もアメリカからの奴隷の移住者の流入は南北戦争の終結まで衰えることはなく、その間の入植者は1万4千人を上回った。さらに、公海上でアメリカ海軍が奴隷船から奪回した5,700人の黒人も、アメリカ政府によってリベリアに送り届けられ、沿岸地帯には4万人のアメリカ系リベリア人が住むようになった。

多くのヨーロッパ諸国は共和国リベリアの独立を認めたが、合法的に購入したり、開拓した土地からリベリア人を締め出した。それだけでなく、19世紀の最後の四半世紀は、リベリアの豊富な天然資源を有する地域を隣接するイギリスやフランスに植民地として奪われたのである。

ことに、キリスト教文化を身につけた奴隷の多くはプロテスタント系が多く、最大の教派はメソジスト教会であった。早くも、最初の入植年度、1822年に奴隷移民地区に最初のメソジスト教会が形成され、1833年に宣教師が派遣されている。

アメリカ・ルーテル教会のジェネラルカウンシルは、1860年2月にモーリス・オフィサー(Morris Officer)とH・ヘイガード(H.Heigerd)夫妻を宣教師として、リベリアに派遣した。彼らは、モンロビアからセント・ポール川を25マイルさかのぼった奥地の場所に住んだ。この最初の伝道拠点を彼らは、アメリカ・ルーテル教会の創設者であるヘンリー・ミューレンバーグ牧師の名前にちなみ「ミューレンバーグ」と名付ける。

同年8月、コンゴからの1,500人のアフリカ人奴隷を乗せた船をアメリカ海軍が奪回した。オフィサー宣教師は、モンロビアに行き、アフリカ人奴隷となっていた、40名の少年少女を引きうけ、船に乗せて、「ミューレンバーグ」伝道地に連れてきて、男女別々の寄宿学校を設立した。ここに教育事業を中心とした伝道活動が開始される。

けれども、オフィサーは亜熱帯での不如意な生活により健康を損ねて、翌年の1861年にリベリアを去り、一時帰国したが、二度と伝道地に戻らなかった。さらに、ヘイガード夫妻も四年間の宣教活動を経て、同じように健康を害し、アメリカに帰国してしまう。
その後、約30年間で18名の宣教師がアメリカのルーテル派教会から派遣された。宣教師の主な働きは学校の教育事業、それに併せて医療伝道に注がれた。

当初、ルター派への改宗者は少数に留まっていた。けれども、1908年からコポロペル地区での伝道が開始され、それが発展して6地域の伝道展開へと拡大していくことになった。

(続きはこちら)
(本文は「教会と宣教 第17号」日本福音ルーテル教会東教区-宣教ビジョンセンター紀要-2011年から転載しています)

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青田勇(あおた・いさむ)氏略歴
1975年   日本ルーテル神学校卒業
日本福音ルーテル教会牧師
1992年   本教会事務局・広報室長
1995年   本教会事務局長〔総会書記〕

2009年   日本福音ルーテル教会副議長

*画像は日本福音ルーテル教会のロゴ

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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