人からの突然の頼まれごとを引き受けたために、それまで集中して取り組んでいたことを中断せざるを得なくなった経験はありませんか。最近のコスパを優先する世の中の教えに従えば、このような対応はあまり評価されないかもしれません。
聖書の教える集中とは何でしょうか。目的の達成に向かってひたすら集中するために、他の全てを脇に追いやることでしょうか。キリストは、そうではありませんでした。時には当初の目的を果たすことを中断してでも目の前で助けを求める人々に仕えることを選択されました。
イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。(マルコ5:30)
これは、会堂管理者のヤイロが、死にかけている自分の娘を癒やしてもらうためにイエスのもとに来たときの出来事でした。まさに一刻を争うそのような場面で、キリストは後ろを振り向き、12年の間長血をわずらい苦しんでいた一人の女性のために立ち止まりました。
イエスがこの場面で示した集中の方法は、世の教えるものとは異なっています。この世の教えは、集中を中断することを否定的に捉えるでしょう。しかしキリストは、明確な目的を持って前進する中でも、まずは目の前で必要を訴える人々に仕えることを優先されました。
私たちがこのような場面に直面すれば、他のことにはとてもかまっていられないでしょう。邪魔をされたことに腹を立ててしまうかもしれません。
今日、あなたの心の焦点がどこにあるかを見つめ直しましょう。神様の御心にかなった集中とは、他者に仕える機会を全く無視することではありません。確かに言えることは、神様の御心は、私たちが悪の誘惑から遠ざかり、神様が定めてくださった人生の目的に、どんな時にも焦点を合わせ続けることにあるのです。
GOD BLESS YOU!
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