日本宣教論(110)キリスト教の真理性の主張 後藤牧人

2020年2月9日21時14分 コラムニスト : 後藤牧人 印刷
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キリスト教の真理性の主張

従前のキリスト教会の態度では、自分たちの宗教の優越性を意識し、これを主張するのが通常であったが、これは大いに訂正されねばならない。

確かに福音は絶対である。福音とは、永遠の御子であるイエスがこの世界に受肉され、十字架で贖(あがな)いの死を遂げられ、よみがえられ、昇天され、やがて再臨される。そうして新天新地の中に信じる者たちを受け入れてくださり、キリストとの永遠の交わりに入れられるということである。

しかし、福音と合している文化が問題である。歴史的な実践においては、キリスト教がその点において偽善性を多く包含してきたことを認めるべきである。また現在でも、大きな誤謬(ごびゅう)を持ち続けている可能性があり、それも謙虚に認識せねばならない。

だから宗教としてのキリスト教の今までの行状について、優越感を持つのはやめるべきである。それは、歴史に無知であることをさらけ出すだけである。キリスト教の歴史を弁護しようとしていろいろと強弁すれば、余計にみっともないことになる。

我々は、福音の真理性についてはこれを確信するが、歴史上の営為、特にキリスト教会のアジアにおける罪状についてはこれを謙虚に認め、謝罪の念をもって対すべきであろう。また日本の歴史に対して、キリスト教諸国が加えてきたどう喝的な態度も、きちんと認識しておくべきであろう。

問題は、米国ピューリタニズムの偽善性である。自分たちの足元でインディアンは追われ、殺されていった。インディアン狩りの軍人たちは英雄に祭り上げられ、インディアンは害虫のように殺され、処分されたが、教会はそれを傍観した。また、黒人に対する残虐行為がある。

一方では残虐行為をやり、他方で神を愛し、賛美し、博愛事業をやった。どうすればそういうふうになるのか。これは目前の事実の存在を見ぬフリをする、そんなものは存在していないと思う、そういう認識の操作の結果である。そのような偽善的な精神作用、また認識の盲点のようなものが米国精神には常に存在する。これはまた、キリスト教が持ってきた欠陥である。

偽善的な態度を続けると、認識の欠落が起こる。そのブラックホールがあるので、米国人は無邪気に、屈託なく振る舞える。その陽気さの影に、荒廃した精神性がのぞく。現実があまりに醜いので、一生懸命に忘れようと思っているのかもしれない。

日本のクリスチャンも翻って考えてみれば、だいたいにおいて米国ピューリタン信仰の末裔(まつえい)か、あるいはそれから多大の影響とDNAを受けており、大きなことは言えないのである。

それで、信仰の自己吟味をしながら進む必要がある。我々は、キリスト教文化の複数性の原則を大切にすべきであり、また教派それぞれの立場の相対性を受け入れるのである。一つの教派の立場や一つの教理的傾向が絶対性を持つことはない、という認識に徹すべきであろう。

何だか、米国文化に特にきつく当たっているようであるが、それなりの理由がある。それは、米国においてプロテスタント・キリスト教が初めて現在の形で成立した、という歴史的な事実がある。だから、米国文化の責任は大きい。米国において初めて国家と教会が切り離され、非国教会のプロテスタント教会が成立した。現在でも、欧州ではほとんどの国家が国教会制度やそれに近い制度を取っている。東欧もソビエト政権の崩壊後は、急速にその形に戻りつつあるように見える。

また、米国において民主主義的社会が成立したが、そのこととプロテスタント教会の成立とは、思想的な関連がある。プロテスタンティズムの人間観は、民主主義の人間観と根が同じであり、現代のプロテスタンティズムと民主主義の「成立の現場」は、米国社会とその文化である。民主主義とプロテスタント教会の形態は、米国社会で同時に成立したのである。

だから我々の信仰の系譜をたどると、米国のピューリタン信仰に行きつく。我々が、その遺産からさまざまの良い物を受けているのは事実である。しかし同時に、自分たちの体質の中に悪しきDNAも受けているので、それを見極めておく必要がある。このことは強調すべきで、いくら主張しても言い過ぎることはないだろう。

(後藤牧人著『日本宣教論』より)

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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)

後藤牧人著『日本宣教論』

日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。

(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)

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後藤牧人

後藤牧人(ごとう・まきと)

1933年、東京生まれ。井深記念塾ユーアイチャペル説教者を経て、町田ゴスペル・チャペル牧師。日本キリスト神学校卒、青山学院大学・神学修士(旧約学)、米フィラデルフィア・ウェストミンスター神学校ThM(新約学)。町田聖書キリスト教会牧師、アジアキリスト教コミュニケーション大学院(シンガポール)教授、聖光学院高等学校校長(福島県、キリスト教主義私立高校)などを経て現職。

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