Skip to main content
2025年5月16日00時03分更新
クリスチャントゥデイ
メールマガジン サポーターのご案内
メールマガジン サポーターのご案内
Facebook Twitter
  • トップ
  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
  • 記事一覧
  1. ホーム
  2. 論説・コラム
  3. コラム
律法と福音

律法と福音(18)罪とは「愛さないこと」 山崎純二

2015年11月19日16時43分 コラムニスト : 山崎純二
  • ツイート
印刷
関連タグ:山崎純二

定義

前回、罪とは「信じないこと」であると書きましたが、今回はもう一つの定義について書きたいと思います。それは、愛さないことが罪であるということです。

世の中では、警察に車を止められて、「お前には、愛がないな・・・よし逮捕だ」ということにはなり得ません。ですから前回の「信じないことが罪」に引き続き、神の前での罪についてであり、これらは一見すると世の常識とはかけ離れたものとなり得ます。しかしそれは「一見すると」であり、そこには全ての罪の根があります。これまで「律法(戒め)」と「罪」について、さまざまな角度から書いてきましたが、シンプルに言うと、律法は「愛しなさい」という一言に要約することができると説明してきました。そして律法を犯すことが罪なのですから、愛さないことが罪なのです。

盗みや殺人や隣人の妻と姦淫をすることは「愛がない」から起こるのであり、悪口や陰口・ネット上での誹謗(ひぼう)中傷も同様です。何より、警察の踏み込めない領域(心)において、罪は発芽するのですが、心の中で憎んだり嫉妬したり隣人のものを欲しがったりするのも、相手を尊重し、愛する心がないために起こります。こう言いますと、いやいや世の中には「愛憎」という言葉もあるように、愛するからこそ憎んだり嫉妬したり、時に殺意すらも覚えるのだと言われるかもしれません。これについては、どう理解したらよいのでしょうか。

二つの愛

実は「愛」という言葉はさまざまな概念を含意していますので、愛を論考することは容易ではありません。仏教では10以上の少しずつ意味の異なるサンスクリット語を、「愛」という一つの漢語に翻訳したとのことですし、キリスト教においても4つのギリシャ語の「愛」について語られたりします。今回はそれらを2つに大別してみたいと思います。すなわち「求める愛」と「与える愛」です。求める愛というのは、仏教用語では「渇愛」と表現されますが、少し辞典から引用してみます。

「梵〈トゥリシュナー tnol´〉、巴〈タンハー talh´〉:〈愛・渇愛〉。原義は〈渇き〉で、英語〈thirst〉、ドイツ語〈Durst〉と対応し、英語〈dry(乾いた)〉などと同源で、〈十二支縁起〉の一つとして、〈苦〉の原因とされている。際限なく増大してゆく〈欲望〉というのが、仏教の基本的な、愛の見方である」(日立デジタル平凡社刊世界大百科辞典より引用、参照サイトはこちら)

ギリシャ語の「エロスの愛」というのも、相手を思いやるというよりは、自己の欲求の充足を目指しています。最近、私は犬を飼いたいなと思っていろいろと調べたのですが、ペットに愛情を注ぐという行為も、人間の寂しさや孤独を充足させるための自己本位の行為になる場合があります。もちろん、最後まで良好なパートナーシップを持つ方々も多くいますが、一方で人に消費され捨てられたペットたちは毎年30万頭以上殺処分されているとのことです。

これら「求める愛」というのは、「愛」という言葉を使いはしますが、聖書が語る「愛」とは異なる概念といえます。では与える愛はどうでしょうか。身近なところでは、親の子に対する犠牲的な愛が思い浮かびます。これは人間の持ち得る最高の「愛」と言えますし、素晴らしいものですが、「欠け」や「限界」を持っています。それは「わが子」のみを愛するということです。私たちは同時に全ての人々に分け与える力がありませんから、他の子や人々の困窮や困難には目をつぶらざるを得ないのです。それでも、人との関係において、「求める愛」よりも「与える愛」の方が優れていて、多くの良い結果を結びます。

「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」(使徒20:35)

聖書の「愛」の性質

聖書の語る愛の性質について、以前も引用したので重複とはなりますが、Ⅰコリント13章を引用しないわけにはいきません。これは非常に簡潔で力強い言葉ですので、何の追加説明もいらないでしょう。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません・・・」(4~8節)

私たちが本当にこのような愛を持つことができるなら、「愛しているよ」と言いながら相手に多くを要求したり、傷つけたり、はたまた憎んだりすることはないのです。

三者への愛

西郷隆盛は「敬天愛人」という言葉を好んで使ったことは有名ですが、私の恩師であるJTJ神学校創立者の岸義紘元学長は「私たちは愛する時に、三者を愛するのです」とよく強調してくださいました。すなわち神様を愛し、隣人を愛し、自分自身を愛することです。最初の二つは分かるにしても、「自分自身を愛する」というと、先ほど触れた「求める愛」や「自分本位の愛」になってしまうのではと思われる方もいるかもしれません。確かに自己の肉体の欲求だけを満足させようとするとそうなるでしょうが、私たちには肉体だけでなく霊魂があると書かせていただきました。いくら肉体に快楽を与えても、結局この肉体はいつか消滅するのですから、本当の意味で自己を愛しているとは言えません。真に自己を愛するとは、永遠の存在である私たちの魂を神の愛の中に安らがせることであり、最高の幸福とは、隣人と愛の豊かな関係を持つことなのです。これら三者を愛することには、何の矛盾も葛藤もありません。それどころか、三者に対する愛のうち一つでも欠けると、それは聖書の言う本当の「愛」とは呼べないのです。

愛すること&信じること

前回私は「信じないことが罪」だと書き、今回は「愛さないことが罪」だと書かせていただいていますが、信じることと愛することは本質的に同質のものだということができます。敬愛する三浦綾子氏の著作の中にも、『愛すること信ずること』(講談社文庫)という本がありますが、両者は切っても切れない関係なのです。神様を愛するということに関しても、神様を信じることなしに愛することはかないませんし、愛のない者は神を分かることも信じることもできません。

「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです」(Ⅰヨハネ4:8)

キリストの危惧

しかしこの最も大切な「信じること」と「愛すること」が時代を経るごとに失われていくことを、キリストは世を去る前に最も危惧されました。

「あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」(ルカ18:8)

「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります」(マタイ24:12)

ですから私たちは、「今日」と言われる時に、互いに愛し合い、信仰を励まし合わなければならないのです。

愛さないのではなく、愛せない人類

とはいえ、私たちが自分の力で真の「愛」と「信仰」を持ち得ないことも認めるべきです。聖書の戒めとは、以前書かせていただいたように、「心を尽くして」「汝の敵をも」「自分自身のように」愛せよというものであり、信ぜよというものです。しかし正しい事を「せよ」と言われて皆がそれを実行できるなら、世の中には警察も裁判官も不要でしょう。

「信じないこと」「愛さないこと」が罪であるなら、私たちは信じ愛せばよいのでしょうが、それができないからこそ私たちは「罪人」なのです。それでも自分には愛があり、私は罪人ではないと言う方がいるとしたら、その方は自分自身を欺いているのであり、神よりも自分を正しいとしているのです。

「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。・・・もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません」(Ⅰヨハネ1:8~10)

福音の希望

しかし気分を害する必要はありません。私たちが自分の愛のなさや罪深さを認めることは真の希望につながっていくからです。それは「福音(ゴスペル)」と呼ばれるものですが、次回以降、その「広さ、長さ、高さ、深さ」を共に味わっていきたいと思います。

【まとめ】

  • 罪とは愛さないことであり、愛がないからこそ、私たちは行為・言葉・思いにおいて罪を犯す。
  • 愛には「求める愛」と「与える愛」があり、後者の方が優れているが、それにすらも「欠け、限界」がある。
  • 聖書の説く愛には美しい調和があり、そこには何の矛盾も葛藤もない。
  • 信じることと愛することは本質的にイコールである。
  • 私たちが罪人であり、愛がないことを認めるとき、私たちは福音を求め始め、それは真の希望につながる。

<<前回へ     次回へ>>

◇

山崎純二

山崎純二

(やまざき・じゅんじ)

1978年横浜生まれ。東洋大学経済学部卒業、成均館大学語学堂(ソウル)上級修了、JTJ宣教神学校卒業、Nyack collage-ATS M.div(NY)休学中。米国ではクイーンズ栄光教会に伝道師として従事。その他、自身のブログや書籍、各種メディアを通して不動産関連情報、韓国語関連情報、キリスト教関連情報を提供。著作『二十代、派遣社員、マイホーム4件買いました』(パル出版)、『ルツ記 聖書の中のシンデレラストーリー(Kindle版)』(トライリンガル出版)他。本名、山崎順。ツイッターでも情報を発信している。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
関連タグ:山崎純二
  • ツイート

関連記事

  • 涙の数だけ強くなれる 菅野直基

  • 死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(42)正直に神様にぶつけてみる 米田武義

  • ようこそ!みのり農場へ(21) 星野敦子

クリスチャントゥデイからのお願い

皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間30~40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、月額1000円からのサポーターを募集しています。お申し込みいただいた方には、もれなく全員に聖句をあしらったオリジナルエコバッグをプレゼントします。お支払いはクレジット決済で可能です。クレジットカード以外のお支払い方法、サポーターについての詳細はこちらをご覧ください。

サポーターになる・サポートする

人気記事ランキング

24時間 週間 月間
  • 映画「空中の権威」が日本語字幕で視聴可能に 現代クリスチャンに警鐘鳴らす作品

  • 世界では神を信じている人の方が多い 85カ国・地域9万1千人を対象に大規模意識調査

  • カリフォルニア州のビーチで7752人が受洗、米国史上最大規模の合同洗礼式

  • 「司牧と行政の両方に深い知識と経験」 日本司教協議会会長、新教皇誕生でメッセージ

  • 21世紀の神学(27)プロテスタント教会側から見るローマ教皇 山崎純二

  • 神の憐れみ 穂森幸一

  • サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(19)パタラからの悲報

  • コヘレトの言葉(伝道者の書)を読む(3)コヘレトの探求 臼田宣弘

  • 四半世紀ぶりに欧州で大規模伝道会議、今月末にベルリンで 牧師ら約千人が参加

  • 篠原元のミニコラム・聖書をもっと!深く!!(226)聖書と考える「対岸の家事~これが、私の生きる道!~」

  • 新教皇を選ぶコンクラーベ、いつ、何回目の投票で決まる? 181日間に及んだケースも

  • 次期ローマ教皇の有力候補4人

  • 映画「空中の権威」が日本語字幕で視聴可能に 現代クリスチャンに警鐘鳴らす作品

  • 21世紀の神学(27)プロテスタント教会側から見るローマ教皇 山崎純二

  • 聖墳墓教会の床下発掘調査で貴重な発見、ヨハネ福音書の記述を裏付ける証拠に

  • カリフォルニア州のビーチで7752人が受洗、米国史上最大規模の合同洗礼式

  • 「司牧と行政の両方に深い知識と経験」 日本司教協議会会長、新教皇誕生でメッセージ

  • 新ローマ教皇にプレボスト枢機卿、教皇名は「レオ14世」 初の米国出身者

  • 四半世紀ぶりに欧州で大規模伝道会議、今月末にベルリンで 牧師ら約千人が参加

  • 「苦しみ」と「苦しみ」の解決(5)「苦しみ」の構図 三谷和司

  • 新教皇を選ぶコンクラーベ、いつ、何回目の投票で決まる? 181日間に及んだケースも

  • 次期ローマ教皇の有力候補4人

  • 新ローマ教皇にプレボスト枢機卿、教皇名は「レオ14世」 初の米国出身者

  • ローマ教皇フランシスコの死去に対する日本国内の他教派の反応

  • 聖墳墓教会の床下発掘調査で貴重な発見、ヨハネ福音書の記述を裏付ける証拠に

  • フランスのカトリック教会、復活祭に成人1万人以上が受洗 昨年比45%増

  • 映画「空中の権威」が日本語字幕で視聴可能に 現代クリスチャンに警鐘鳴らす作品

  • 2026年に東京のスタジアムで伝道集会開催へ 「過去に見たことのないリバイバルを」

  • 21世紀の神学(27)プロテスタント教会側から見るローマ教皇 山崎純二

  • イースターは「揺るぎない希望」 第62回首都圏イースターのつどい

編集部のおすすめ

  • イースターは「揺るぎない希望」 第62回首都圏イースターのつどい

  • 2026年に東京のスタジアムで伝道集会開催へ 「過去に見たことのないリバイバルを」

  • 「山田火砂子監督、さようなら」 教会でお別れの会、親交あった俳優らが思い出語る

  • 日本は性的人身取引が「野放し」 支援団体代表者らが院内集会で報告、法規制強化を要請

  • 後藤健二さん没後10年、追悼イベントで長女が映像メッセージ 「誇りに思っている」

  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
Go to homepage

記事カテゴリ

  • 教会 (
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
    )
  • 宣教
  • 教育
  • 国際 (
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
    )
  • 社会 (
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
    )
  • 文化 (
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
    )
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム (
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
    )

会社案内

  • 会社概要
  • 代表挨拶
  • 基本信条
  • 報道理念
  • 信仰告白
  • 編集部
  • お問い合わせ
  • サポーター募集
  • 広告案内
  • 採用情報
  • 利用規約
  • 特定商取引表記
  • English

SNS他

  • 公式ブログ
  • メールマガジン
  • Facebook
  • X(旧Twitter)
  • Instagram
  • YouTube
  • RSS
Copyright © 2002-2025 Christian Today Co., Ltd. All Rights Reserved.