三谷和司
-
福音の回復(53)神のために生きる? 三谷和司
その昔、武士はお殿様のために生きると言い、奴隷は主人のために生きると言い、親は家族のために生きると言った。今日でも、親は家族のためにと言い、会社員は会社のためにと言い、野球選手はチームのためにと言い、オリンピック選手は国のためにと言って生きる。
-
福音の回復(52)罪を悔い改めよ? 三谷和司
聖書を詳しく調べてみると、「罪を悔い改めよ」というセリフは1カ所もないことに気付く。今回のコラムは、「罪を悔い改めよ」について考えてみたい。私たちが普段当たり前のように言っている、「罪を悔い改めよ」の誤りを正したい。
-
福音の回復(51)キリスト者の希望 三谷和司
キリスト者にとっての希望、それは一体何だろう。キリスト者は、何を希望に生きるのだろうか。何がキリスト者の喜びとなるのだろう。新年最初のコラムは、「キリスト者の希望」について語ってみたい。
-
福音の回復(50)闇の中に光を見た 三谷和司
人は神に似せて造られました。そのいのちは、神のいのちを吹き込まれて造られました。「神である【主】は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった」(創世記2:7)
-
福音の回復(49)十字架の意味(後編) 三谷和司
キリストの十字架は、私たちの罪を背負った十字架であった。その罪とは「神と異なる思い」であり、それは神との結びつきを失う「死」が原因であった。罪となる「神と異なる思い」は、まさしく「死」から来た「とげ」であった。
-
福音の回復(49)十字架の意味(前編) 三谷和司
なぜ、キリストは十字架にかかられたのか。どうして、十字架にかかる必要があったのか。今回は、「十字架の意味」について考えてみたい。十字架の意味については、昔から議論が繰り返されてきたが、今回はその議論に参戦してみたい。
-
福音の回復(48)罪の源流を探る―2つの罪 三谷和司
今回は、「罪」の理解を深めるために「罪の源流」を探ってみたい。源流が分かれば「罪」の姿も鮮明になり、どうして罪を「死に至らない罪」と「死に至る罪」に分類するのかも分かるようになる。
-
福音の回復(47)救いは取り消されることがある? それともない? 三谷和司
今回のコラムは、いったん手にした「救いの義」が、行いによって取り消されることがあり得るのか、あるいは「堕落」は可能なのかについて考えてみたい。要は、本当に信じるだけで救いが確定し、何があろうとも天国に行けるのかということである。
-
福音の回復(46)信じるだけで救われる―2つの義 三谷和司
今回のコラムは、神からの「義」は2つあることを説明したい。それが分かると、聖書は一貫して、「信じるだけで救われる」ことを、すなわち神の「恩恵」を受け取りさえすれば救われることを教えていると分かる。
-
福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説(後編) 三谷和司
日本で広く使われている聖書は、「新共同訳聖書」「口語訳聖書」「新改訳聖書」であろう。それらの聖書には、イエス・キリストを信じる「信仰」によって人は義とされることが書かれている。
-
福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説(前編) 三谷和司
今回は、「信仰による義認」を再解釈し、前回述べた救いの話との整合性を試みてみたい。最初に、人が救いに至るまでの道のりを見ておこう。それを見ると、従来の「予定説」や「信仰による義認」が支持される背景がよく分かる。
-
福音の回復(44)誰が救われるの?―障がい者の救い(後編)
聖書は、イエス・キリストのことを、「永遠のいのち」とも表現する。したがって、神との結びつきを取り戻すという「救い」は、人が「永遠のいのち」に接ぎ木されることを意味する。
-
福音の回復(44)誰が救われるの?―障がい者の救い(前編)
これは、ある教会で実際に起きた出来事である。クリスチャンの親が、成人した自分の息子を連れて教会に通っていた。息子は知的障がい者で、上手く話すことはできなかったが、賛美するときは手を挙げ、一生懸命口をもぐもぐさせていた。
-
福音の回復(43)不安とは何?―不安の正しい解決 三谷和司
人は訳も分からず「不安」になる。一生懸命生きているのに、一生懸命頑張っているのに、「不安」は消えない。何をしようとも「不安」がつきまとってくる。一体、「不安」の正体は何なのだろうか。私たちはなぜ「不安」になるのだろう。
-
福音の回復(42)弱さとは何? 三谷和司
前回のコラムでは、「愛」について詳しく説明した。「愛」とは、神と結びつこうとする内なる運動である。人の本質は、そうした運動をするように造られていた。
-
福音の回復(41)愛とは何?―苦しみからの解放 三谷和司
今回のコラムは、「愛」について語りたい。「愛」と聞いて、ある人は、愛とは寛容で、親切でといった話を連想するかもしれない。ある人は、愛に満ちた神の話を連想するかもしれない。しかし、これからしようとするのはまったく次元の異なる「愛」の話である。
-
福音の回復(40)真の勇気―それは絶望する勇気 三谷和司
プールで飛び込みができない男の子がいた。一緒にいた母親は叫んだ。「飛び込む“勇気”もないの」と。その昔、敵の攻撃に怯(おび)える兵士に向かって王は叫んだ。「敵と戦う“勇気”ある者はいないか」と。ある時、駅のホームから落ちた老人がいた。すぐさま若者が飛び降り老人を助けた。
-
福音の回復(39)迷い出た羊 三谷和司
ある時、卑しい者と呼ばれていた取税人や、罪人と呼ばれていた人たちが皆、イエスの話を聞こうと集まって来た。イエスは、そんな彼らを喜んで受け入れ、一緒に食事までした。
-
福音の回復(38)ノアの箱舟 三谷和司
人は「ノアの箱舟」の話をどう読むだろう。一般に「ノアの箱舟」は、神が人の罪を見て怒り、人を造ったことを悔やんで滅ぼした出来事として読まれる。人は「ノアの箱舟」を、神が人の罪を裁くことを教えた話として読む。
-
福音の回復(37)神の裁き? 三谷和司
人は「災い」に遭うと、バチが当たったと思う。それは、罪に対する神の裁きだと思ってしまう。しかし、「災い」は神との結びつきを失う「死」に起因するのであって、その「死」も、悪魔の仕業によることを前回のコラムで説明した。
人気記事ランキング
-
福音派増えるベネズエラ、大統領が「マーチ・フォー・ジーザスの日」制定 全国で行進
-
新約聖書学者の田川建三氏死去、89歳 新約聖書の個人全訳を出版
-
N・T・ライト著『わたしの聖書物語』が大賞 キリスト教書店大賞2025
-
米韓政府の政策で対北朝鮮ラジオ放送が80%減少、キリスト教迫害監視団体が懸念
-
主は生きておられる(240)黒い雨 平林けい子
-
シリア語の世界(30)シリア語新約聖書の和訳(1)マタイ福音書からテサロニケ人への手紙第二まで 川口一彦
-
いのちの書に名を記される幸い 万代栄嗣
-
嫌いと無関心 菅野直基
-
立ち向かう勇気 佐々木満男
-
ワールドミッションレポート(8月17日):オランダ ペルシャ語教会の静かなるリバイバル(1)
-
キリスト教徒が人口の過半数を占める国・地域、この10年で減少 米ピュー研究所
-
新約聖書学者の田川建三氏死去、89歳 新約聖書の個人全訳を出版
-
ドイツで神学生が大幅に減少、5年前の3分の2に
-
N・T・ライト著『わたしの聖書物語』が大賞 キリスト教書店大賞2025
-
日本キリスト教協議会、戦後80年の平和メッセージ キリスト者の戦争加担にも言及
-
「苦しみ」と「苦しみ」の解決(10)「苦しみ」から「苦しみ」へ 三谷和司
-
立ち向かう勇気 佐々木満男
-
「20世紀のフランシスコ・ザビエル」 聖心女子大学で岩下壮一神父の特別展
-
日本人に寄り添う福音宣教の扉(228)宣教は聖霊の働きによって拡大する 広田信也
-
主キリストの選びに生きよう 万代栄嗣
-
根田祥一氏の敗訴確定、最高裁が上告棄却 本紙に対する名誉毀損で賠償命令
-
新約聖書学者の田川建三氏死去、89歳 新約聖書の個人全訳を出版
-
キリスト教徒が人口の過半数を占める国・地域、この10年で減少 米ピュー研究所
-
「20世紀のフランシスコ・ザビエル」 聖心女子大学で岩下壮一神父の特別展
-
「苦しみ」と「苦しみ」の解決(10)「苦しみ」から「苦しみ」へ 三谷和司
-
日本基督教団、戦後80年で「平和を求める祈り」 在日大韓基督教会と平和メッセージも
-
日本キリスト教協議会、戦後80年の平和メッセージ キリスト者の戦争加担にも言及
-
コンゴで教会襲撃、子ども含む43人死亡 徹夜の祈祷会中に
-
N・T・ライト著『わたしの聖書物語』が大賞 キリスト教書店大賞2025
-
メディアに取り上げられるキリスト教のイメージを改善する4つの方法