わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。主は言われた、「あなたは行って、この民にこう言いなさい、『あなたがたはくりかえし聞くがよい、しかし悟ってはならない。あなたがたはくりかえし見るがよい、しかしわかってはならない』と。あなたはこの民の心を鈍くし、その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。これは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、悔い改めていやされることのないためである」。そこで、わたしは言った、「主よ、いつまでですか」。主は言われた、「町々は荒れすたれて、住む者もなく、家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、人々は主によって遠くへ移され、荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、こうなっている。その中に十分の一の残る者があっても、これもまた焼き滅ぼされる。テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき、その切り株が残るように」。聖なる種族はその切り株である。(イザヤ6:8~13)
私たちは主に仕える準備ができているでしょうか。主は、信仰をもって一歩踏み出し、与えられた使命を果たそうとする信徒を探し、求めておられます。
主は、私たちが主と共に歩む人生の各段階において、どこまで対応できるかをご存じですから、私たちの能力を超えるようなことは決して求められません(参照・Ⅰコリント10:13)。
ですから、もし特定の領域において、主に仕えようという内なる促し(参照・コロサイ1:27、ガラテヤ2:20)があるなら、それは主からの使命の一端を担うよう、主が私たちに呼びかけておられるのです。
今日、自分の人生に対する神様の使命を盲目的に脇に置いてしまっていないか、振り返ってみましょう。
キリストは、私たちが豊かな人生を生きるよう、十字架にかかられました。その満ちあふれるほどに豊かな人生へと私たちを招いておられます(参照・ヨハネ10:10)。受け取りましょう。
GOD BLESS YOU!
◇

















